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江戸時代の防犯、棒で戸締りできたの?

心張り棒

「心張り棒(しんばりぼう)」とは、戸や窓が開かないように押さえておく「つっかい棒」のことを言います。江戸時代の民家において、簡単な鍵の役目を担った「心張り棒」が、引き戸などに使われています。

実は用心棒と言う言葉は、「心張り棒」から派生して作られた護身用のこん棒を意味していて、同時に護衛する人も用心棒と呼ばれるようになりました。

一般的な使い方は、引き戸を閉めた時にその引き側に「心張り棒」を斜めに立てかけ、出入口の動きを固定します。これによって外部からの侵入者や、大型の害獣の立ち入りを制限することを目的としたものなのです。

しかし、結果として考えると、引き戸の機能を制限する効果しかなく、戸板自体に正面から何らかの力を加えた場合は、「心張り棒」としての役目を果たしません。

宵越しの金は持たない

江戸時代の庶民が住む長屋には、カギがありませんでした。唯一あるのが「しんばり」と呼ばれるつっかえ棒。ドアの内側から立てかけるだけの、あまりに簡単な戸締りでした。

しかし、表戸の作り自体も障子張りでごく簡易なもの。なので力づくで壊すのなら、簡単に蹴破れたのです。落語や時代劇では、長屋に入る泥棒が良く見られますが、実際のところ、長屋での盗難事件は、ほとんどなかったそうです。

当時の長屋は、防音設備なんてある訳がなく、粗壁で仕切っただけでしたので、隣人の話し声や物音はよく聞こえていました。ですので、泥棒が入ってゴソゴソしていたら、すぐにバレてしまうんですよね。

何よりも一番の防犯対策になるのは、お金を持たないこと。盗む物がなければ、泥棒も入りません。ただでさえ貧乏な上に、「宵越しの金は持たない」という江戸気質が、もっとも優れた防犯対策だったかもしれませんね。

さらには、夜回りが頻繁に行き来していたのも、立派な防犯システムでした。夜になると、路地に設けられた木戸も閉められます。長屋の前を走る路地をうろうろできるのは、住人以外できないということもありますね。

庶民の防犯

江戸時代に実施的に行われていた防犯設備というと、木戸があります。

落語では泥棒もよく登場しますが、大抵は間抜けな泥棒ですよね。根っからの悪人が出てこないのは落語ならでは。とは言っても実際に自宅に鍵はなく、「心張り棒」で内側からつっかいするだけです。しかし「心張り棒」は鍵と違って、家の中に人がいないと使えません。外出する際は、誰でも自由に出入りができます。

という訳で、昼間の防犯はコミュニテイに頼ることになります。つまり、長屋に残っている住人が、不審者を見つける役目を負うことに。江戸時代は、連帯責任が強かった時代でもあり、コミュニティによる監視能力って結構高かったんですよ。

そして夜間の防犯は、木戸が担っていました。日の出(明六つ)から夜10時ごろ(夜四つ)まで木戸は開いていあすが、それ以外の時間は閉じられていて不審者が入れないようになっているんです。

江戸時代のオートロック

木戸には、町ごとに設けられる「町木戸」や、長屋に入る路地口などに置かれる「長屋木戸」があります。

「長屋木戸」は、大家さんや長屋の住人が月番制で開閉します。それに対して、「町木戸」の方は決められた「木戸番」が開閉していました。門を閉めてしまえば、医者と産婆を以外の人は原則通れません。住人以外が通るのを木戸番が認めた際には、拍子木を鳴らして次の町木戸に通行を知らせます。「町送り」と呼びますが、拍子木が鳴っても通行人が通らない場合は、町内を探索したそうです。

江戸時代の「木戸」という設備は、人力ですが現代でいうオートロックシステムと言えるでしょう。住人以外の人が通る時には、入り口で用向きを聞かれ、開錠したのに訪問がない場合は不審者と分かってしまいます。そう考えると庶民の生活においても、江戸時代のセキュリティとして意外に進化していたのかもしれませんね。

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  この記事を書いた人
五百井飛鳥 さん
聖徳太子に縁のある一族の末裔とか。ベトナムのホーチミンに移住して早10年。現在、愛犬コロンと二人ぼっちライフをエンジョイ中。本業だった建築設計から離れ、現在ライター&ガイド業でなんとか生活中。10年以上前に男性から女性に移行し、そして今は自分という性別で生きてます。ベトナムに来てから自律神経異常もき ...

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