※ この記事はユーザー投稿です
こんな仕事があったんだ! 驚きの昭和の仕事
- 2023/04/20
昔、田舎の町にはたいてい「よろず屋」がありました。近所の人々は店の屋号ではなく「よろず屋」と呼び、食品から日用雑貨など、あらゆる品をその店で購入したものです。
今ではコンビニに取って代わられた「よろず屋」のほか、現代では失われてしまった昭和の職業を探してみました。中には「こんな仕事があったんだ!」と驚くような珍しい仕事もありました。
今ではコンビニに取って代わられた「よろず屋」のほか、現代では失われてしまった昭和の職業を探してみました。中には「こんな仕事があったんだ!」と驚くような珍しい仕事もありました。
本当にあった驚きの仕事
昭和時代は、通信や運搬はまだまだ未発達でした。今ならスマホひとつでメッセージや物を送れますが、当時はまだ人や動物が品物を運んでいました。また、訪問販売がさかんだった当時、今では考えられないような商品を売っていたのには驚きました。街角メッセンジャー
戦後から昭和30年代では、電話はまだ一般家庭に普及しておらず、急用で相手に知らせたい場合などは「街角メッセンジャー」と呼ばれる職業の人に伝言を運んでもらったそうです。メッセージを届けるほか、ちょっとした手荷物を運ぶなど、何でも屋の役割を担っていました。
新聞社伝書鳩係
昭和初期、電話や電報では伝えきれないニュースは伝書鳩を使って運びました。そのため各新聞社には、伝書鳩の訓練と世話をする専門の社員がいたというのは驚きです。地方でおきた事件や事故を、いち早く都会の新聞社におくるため、伝書鳩には写真と記事を別々にもたせていました。野鳥に襲われたり、戦火の中を飛んだり、大変な思いをしながら鳩がニュースを運んでいた時代があったのです。
天皇陛下(昭和天皇)の写真売り
今でも田舎の大きな家に行くと、家族の古い写真とともに、昭和天皇の写真(御真影)が飾られていることがあります。そうした写真は、民間の業者が訪問販売で売りに来ていたのです。戦前、天皇は信仰の対象として拝まれていたため、こうした御真影は高値で売買されていたのだとか。写真売りは恐れ多くも天皇陛下のお写真なので威厳を示すため、背広を来ていたそうです。
今では考えられない、驚きの「商品」ですね。
小説に登場する昔の仕事
幇間(ほうかん)
谷崎潤一郎の小説『幇間』では、元投資家だった三平という男が、人にバカにされたり笑われたりすることが好きで幇間になります。幇間は別名「太鼓持ち」とも言われ、遊郭などで客の機嫌をとり、楽しく遊ばせる職業でした。いい客の相手をするためには教養も必要で、そのため幇間には、遊びで身を持ち崩した「いい家のボン」が多かったのだとか。
かつぎ屋(太宰治『グッド・バイ』)
戦後すぐの闇市で食料を仕入れて売る職業の人を「かつぎ屋」と言いました。太宰治の小説『グッド・バイ』では、キヌ子という女性が担ぎ屋をしていました。このキヌ子という女性が、美人なのに大食いで力持ち、男勝りなかつぎ屋、というのが今で言う「ギャップ萌え」で魅力的です。
三助(江戸川乱歩『盲獣』)
触覚の快楽を求め、女性を拉致しては殺す盲目の男。男は自分の理想の手触りの女を探すため、銭湯で三助として働いています。三助とは銭湯で風呂の準備や客の背中を流す職業でした。『盲獣』の男も三助としての腕が立ち、盲目ということで女性客から信頼を集めていました。
おわりに
社会の発展や便利さとひきかえに、昔からあった職業はすたれていきました。しかし、最近のレトロブームや、古い技術を見直す動きなどから、復活をとげた仕事もあります。人力車は観光地で人気の観光ガイドとして活躍し、昔ながらの喫茶店はレトロ好きな若者の間で人気です。
これからの時代は人工知能の発達により、現在の職業の3割が衰退すると言われています。これからの時代、どんな職業がなくなっていくのでしょうか…。
※参考書籍:『昭和の消えた仕事図鑑』
※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。
コメント欄