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本当は怖い三丁目の夕日 ~昭和30年代事件簿~
- 2023/06/12
近年、若い人たちを中心に昭和レトロが流行しています。生まれた時からデジタル機器やインターネットがある「Z世代」と言われる若者は、道具の不便さや、密接な人のつながりあった昭和に憧れているのだとか。
昭和30年代を描いた映画『三丁目の夕日』シリーズも大ヒットしましたね。しかし、本当に昭和は楽園だったのでしょうか?私たちが憧れる昭和の闇の部分に迫ります。
昭和30年代を描いた映画『三丁目の夕日』シリーズも大ヒットしましたね。しかし、本当に昭和は楽園だったのでしょうか?私たちが憧れる昭和の闇の部分に迫ります。
令和よりも多い、昭和の凶悪事件
私たちがイメージするよりも、本当の昭和はもっと怖くて、危ない時代でした。犯罪に関する統計を見ても、凶悪事件は昭和のほうが圧倒的に多く、平成時代と比べると7倍近くにのぼっています。科学捜査や捜査方法が現代より劣るのにもかかわらず、人口比での犯罪検挙数は昭和のほうが多いのです。
また、少年犯罪も多く、同性愛者の高校生が少年を殺害し、ホルマリン漬けにして眺めていた…なんて事件もありました。昭和30〜50年代の不良・ツッパリブームでも、不良たちが犯罪を繰り返していましたね。
そうした物騒で治安の悪い昭和時代だからこそ、人々は団結し、コミュニティ以外の人間を排除することで自衛をしていたのかもしれません。
ご近所づきあいと差別
昭和時代には、調味料を借りあったり、いたずらをすると叱ってくれる大人がいたりと、隣近所との付き合いが密接でした。しかし一方で、いろいろな差別があったのです。部落差別や女性差別、職業的差別は今よりもひどく、出自によって就職や結婚を断られるケースもありました。今もそうした差別は多少残っていますが、昔は生活するのにも困るほど、差別が浸透していたのです。
このほかにも、日本と欧米、敗戦国と戦勝国という差別もありました。この頃の日本はまだ敗戦を引きずっていて、欧米人に対してきちんと抗議ができなかったのです。
昭和30年代、客室乗務員(昔はスチュワーデス)が殺される事件が起こりました。容疑者は当時交際していたヨーロッパ人とみられ、警察は捜査を開始するものの、治外法権を理由に容疑者は母国へ逃亡。事件はうやむやのままになりました。
また、昭和33年時点でアメリカ軍の犯罪は、被害届が出されているだけで約1万件もありました。
外国人の犯罪は基地関係を含め、今でも治外法権問題が話題にあがりますが、当時はもっともっと、日本人差別がひどかったのです。
やたらと多い心中事件
心中というと、江戸時代に身分差のある恋人同士や、遊女と客のイメージがありますが、昭和でもやたらと人は心中を選んでいます。親に反対される恋人同士や、不倫、許されない恋の果てに心中を選ぶことが多かったようです。
有名なのはラスト・エンペラーの弟・愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)の娘・慧生(えいせい)と日本人学生による心中で、映画にもなりました。しかし、一説には男が一方的に死のうとして迫り、慧生さんが巻き込まれた可能性もあるそうですが、真相はやぶの中です。
また、女性同士の恋愛を描いた「百合」が流行りの昨今ですが、昔もそれなりにあったようで、商家の奥方と、女中という女性同士の心中事件がありました。
なんでも、ふたりの仲を怪しんだ旦那が、女中を問い詰めているうちに深い仲になり、やがて妊娠が発覚。同時期に奥方も妊娠したため「ふたりとも産むことはできない」と、思い詰めて心中に至ったそうです。
おわりに
レトロをテーマにした西武園ゆうえんちでは「唐草模様の風呂敷を担いだ泥棒を、おまわりさんが追いかける」ショーが人気です。昭和時代は確かにそうした牧歌的な犯罪もありましたが、「昭和は犯罪が少ない」というのは令和の私たちの幻想にすぎません。
「昔は良かった」と、古い時代の光の部分に憧れるだけではなく、闇の部分も振り返ることも必要ではないでしょうか。
※参考文献
・唐沢 俊一著『三丁目の猟奇』
・日刊SPA 昭和のほうが凶悪犯罪が多かった
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