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まるで昼ドラ!鎌倉王朝愛憎絵巻・とはずがたりの世界

 鎌倉時代後期、京都・後深草院の御所では昼ドラのような愛憎劇が繰り広げられていました。そんなドロドロ愛憎劇を記したのが後深草院二条の『とはずがたり』です。

 わたしが『とはずがたり』を知ったのは高校時代でした。古文の先生に「内容があまりに過激だったので、長い間隠蔽されていた」と教えられました。

 大人になってから『とはずがたり』の関連書籍を読んだところ、なるほど確かに、今読んでもショッキングな内容でした。

愛憎どろどろの王朝絵巻

 『とはずがたり』は、鎌倉後期、後深草院に使えた女房、二条の手記と言われています。彼女は幼い頃に母をなくし、後深草院によって我が子のように可愛がられて育ちますが…。

源氏物語どおりに恋愛を

 杉本苑子さんの解釈による『新とはずがたり』によると、鎌倉時代の王朝は武士に政権をにぎられていたため、朝廷内での地位の確保と自分たちを『源氏物語』に見立てた恋愛ゲームで無聊を慰めていたそうです。

 後深草院は、源氏物語の『若紫』になぞられて14歳の二条とむりやり「関係を結んだ」のだとか。

 そもそも、後深草院の新枕指導は二条の母が行っていました。そのため、藤壺女御(義母)を思慕した源氏が紫の上(姪)を娶ったストーリーを二条親子でなぞらえようとしたらしいのです。

 しかし、二条たちがドロドロの愛憎劇が繰り広げていた頃に、実は当時、蒙古が日本に襲来していました。鎌倉幕府は対応や応戦にてんてこ舞いだったのに、宮中の人々はのんきに源氏物語ごっこを続けていたんですね。

 もし、蒙古が上陸していたら、恋愛どころではないのですが…。

不倫の末に出産

 後深草院と関係を結んだ二条は、皇后に嫉妬されていじめにあうなど苦労が多く、また、妊娠中に父が亡くなるという不幸にみまわれます。

 二条が心を閉ざして宿下がりしていると、初恋の雪の曙(西園寺実兼)と再会。懐かしさからか、彼とも関係を結んでしまうのです。

 院の目を盗んで逢瀬を重ねた結果、実兼の子を身ごもってしまい、二条は密かに出産。その後もかなり危険な恋を経験していきます。

二条の恋は禁断だらけ

 当時の権力事情もあるので、上位の男性から迫られたら女性は拒めないという事情もありますが、二条という女性は男性を引き付ける魅力があったようですね。そのため、さまざまな恋愛トラブルに巻き込まれていきます。

ヤンデレ高僧に迫られる

 後深草院の弟であり、高僧の阿闍梨(あじゃり)である有明の月。二条が後深草院の使いで訪れた時、一目惚れをして以来、強引に二条に迫ります。その様子がもう、現代でいうところの「ヤンデレ」なんです。

 「ヤンデレ」とは愛情が暴走して精神が不安定になる人のことで、有明の月は無理やり二条に関係を迫り、権威的に二条が断れないことを利用してやりたい放題でした。

 亡くなるときも二条から強引にもらった小袖を一緒に焼いてほしい!と遺言したとか。そして自分が死んだ後も、煙となってまとわりつきたいと言う始末。

 有明の月は、現代だったらストーカーになりそうですね…。

情事をモニタリングされる

 後深草院は二条の育ての親であり、最愛の人です。そして、この御方も弟に負けず劣らずヤバい方でした。

 二条のことは特別視しているのに、他の女性との逢瀬を取次させたり、異母妹と…。いやもう、ここでは書けないようなヤバい事をいろいろやっています。

 どうも後深草院は、二条を愛しいと思う反面、いじめたい欲求がひそんでいたようです。弟の有明の月との関係を認めて二条に出産させたり、他の男との情事をモニタリングしたりと、現代の私たちから見てもサディスティックな行為が多いのです。

後半生は写経と旅の日々

 愛憎生活の後、御所を去ってからの二条は、出家をして全国各地を旅して回ります。寺社に参拝し写経を行い、両親や後深草院の菩提を弔うという日々を送りました。

 しかし、いくら貴族の姫とはいえ、旅費や写経、寺社へのお布施にお金がかかるようで、両親が残してくれた絵巻や、後深草院から贈られた衣などを売って写経資金にしていました。

 当時の写経は今と菩提を弔う深い意味があり、それを女人が行うのは大変なことでした。それでも、旅の合間には鎌倉幕府の関係者や各地の僧侶、尼たちと交流しています。二条は鎌倉にも立ち寄り、幕府の女官たちにしきたりを教えたり、衣を縫うなどの仕事もしていたようです。

 狭い宮中から広い世界を知り、和歌で各地の文化人と交流した二条。それでも前半生の思いは断ち切れなかったようですが、ひとときのやすらぎは得られたのかもしれません。

まとめ

 2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、鎌倉幕府でのハードなバトルロイヤルですが、宮中ではドロドロの愛憎のバトルロイヤルが繰り広げられていました。

 鎌倉時代はそうしたむき出しの感情が渦巻き、人々が救いを求めていたからなのか、踊り念仏などを行う宗派・時宗が誕生しています。

 いい意味でも悪い意味でも、鎌倉時代は己の欲望に忠実な反面、来世での幸せを願う仏教が発展した時代だったようですね。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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