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日本の将棋はどうやって生まれたの?最大の謎に挑む

「持ち駒使用」のルールが採用されている将棋
「持ち駒使用」のルールが採用されている将棋
西洋のチェス、中国のシャンチー、タイのマックルック・・・世界には盤と駒を使って戦争を模した古いゲームがたくさんあり、その数は百種類を超えるといわれます。日本の将棋もその中の一つですが、取った相手の駒を自分の駒として使える特殊なルールがあり、他のどれとも似ていない唯一無二のゲームとして知られています。

このユニークなゲームは誰が考え、どうやって生まれたのか? それが将棋史上最大のミステリーです。

あらゆる戦争ゲームは5世紀ごろにインド北部で生まれたチャトランガが起源というのが定説です。将棋の原型も大陸や東南アジアのルートから日本に伝わったようです。

原始的な将棋は「平安将棋」と呼ばれ、鎌倉時代にまとめられた百科事典「二中歴」に駒の動きが紹介されています。かつては15×15マスで駒が29種類もある大将棋、12×12マスで21種類の中将棋などさまざまな将棋が指されていました。現行の将棋はこれらを小さくして持ち駒を使えるルールを付け加えたものです。この持ち駒使用のルールが将棋の奥深さとゲーム性を飛躍的に高めました。

将棋の成り立ちについては先人が研究や考察を続けてきましたが、1993年に大きなヒントが見つかりました。橿原考古学研究所が奈良・興福寺の旧境内から最古の将棋駒を発掘したのです。頭が尖った五角形の木駒で王将、金将、銀将などの漢字が書かれた7点。同じ場所で天喜6年(1058)と書かれた木簡も出土し、制作時期も特定できました。

ここで注目されたのが、駒の裏に書く「成り金」の表記に、それぞれ違う文字が書かれていたことです。「成り金」はどれも同じ動きをするので、駒を取って終わりならば元の駒が何であっても関係ありません。それを識別できるようにしたのは、今から取ろうとしている駒を知る必要があったから―つまり当時から持ち駒を使えるルールがあったのではないかと推測できるのです。いずれにせよ、持ち駒使用のルールが日本で考案されたのは確実です。そこには面白さだけでなく、日本古来の自然観や生死観が込められていたのかもしれませんね。

平安時代の庶民は漢字を読めませんでした。だから将棋は貴族や僧侶など限られた人びとの遊びで、そこからルールが固まっていったのでしょう。元教員の松岡信行氏は「将棋は一条天皇が中国の怪奇譚『玄怪録』に書かれた遊戯の再現を命じ、1015年ごろに創作された」というかなり具体的な説を唱えています。

歴史好きの皆さんも、当時の為政者や文化人の顔ぶれを思い浮かべながら、いろいろ推理してみると楽しいのではないでしょうか。

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  この記事を書いた人
かむたろう さん
いにしえの人と現代人を結ぶ囲碁や将棋の歴史にロマンを感じます。 棋力は級位者レベルですが、日本の伝統遊戯の奥深さをお伝えできれば…。 気楽にお読みいただき、少しでも関心を持ってもらえたらうれしいです。

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