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キャバレー王はアートがお好き
- 2024/04/22
世の中には、成功すると高価なものを買う人がいますよね。以前の記事(「私財を投じて芸術を守った、日本のパトロンたち」)でご紹介した松方幸次郎は、造船業で得た巨万の富をアート収集に費やしましたが、彼自身は絵についての知識はありませんでした。
キャバレー王と呼ばれた実業家・福富太郎(ふくとみたろう 1931~2018)氏もまた、事業で儲けたお金でアートを購入しました。しかし、彼は収集を通じて鑑定眼をつちかい、知識を学びました。さらに絵画に関する著作も多数発表しているのです。
キャバレー王と呼ばれた実業家・福富太郎(ふくとみたろう 1931~2018)氏もまた、事業で儲けたお金でアートを購入しました。しかし、彼は収集を通じて鑑定眼をつちかい、知識を学びました。さらに絵画に関する著作も多数発表しているのです。
波乱万丈な人生
福富氏は戦後まもなく、銀座の喫茶店で働き始め、そこから中華料理店やダンスホール、ヤミ業者など、さまざまな職業を経験します。やがてキャバレーのボーイから支配人にまで上り詰め、臨時ボーナスで鏑木清方の日本画を購入。また、治安が悪く、事件の絶えなかった戦後の盛り場を強かに生き、当時から絵の収集を行っていました。ボーイ時代には収入の10倍の絵を購入したこともあったとか。
豪華な交友録
そんな福富氏が絵画収集をするきっかけとなったのが、鏑木清方の日本画でした。手に入れた清方の初期作品の真贋を確かめるため清方邸を尋ねると、清方は快く対応してくれたそうです。それが縁となって、頻繁に清方邸を訪問するようになります。
また、作家の遠藤周作とも交流がありました。遠藤周作のエッセイ「狐狸庵閑話」シリーズに登場したり、対談を行ったりと、たびたび登場しています。
絵画コレクターとしての慧眼
福富氏は単に絵画をコレクションするだけでなく、その鑑定眼と調査能力がずば抜けていたそうです。中には、プロでさえ見落とした浮世絵師・河鍋暁斎の絵の真価を見抜いた事もあったとか。絵画の知識も豊富で、その絵画収集のエピソードは『芸術新潮』で連載を持つほどでした。
絵画コレクターとして将来値上がりする絵を見つけては、高値で売買することもありましたが、福富氏のコレクションはあくまで「惚れこんで買う」が信条でした。
そのため、福富コレクションの中には幽霊画や骸骨絵なども多かったそうです。名声や話題目当てに絵画を購入する今の実業家たちに聞かせてやりたいですね。
戦争画コレクターとして
福富太郎コレクションの中でひときわ異彩を放つのが「戦争画」です。戦争画とは、戦意を高揚させるため、政府が画家に命じて描かせた絵画のことで、藤田嗣治(ふじたつぐじ)や向井潤吉(むかいじゅんきち)など、名だたる画家が戦争画を描いています。福富氏は戦争で自宅を焼かれ(その際に鏑木清方の絵を消失)、戦争を自分の歴史の一部ととらえ、戦争画の収集を行ったそうです。
その数は、国立近代美術館のコレクションに継ぐほどで民間の戦争画コレクションとしては質・量ともに日本随一でした。
おわりに
福富氏は2018年、86歳で亡くなりましたが、「キャバレー王」の最後にふさわしく、キャバレー葬が「ハリウッド」で盛大に行われました。葬儀ではホステスさんが笑顔で出迎え、歌謡ショーなども開催、なんとも明るいお別れだったそうです。キャバレーとアートを追い求め、最後まで人を楽しませたいと願った福富氏らしい最後でした。
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