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日露戦争の英雄たちは"盤上の戦い"にも熱中していた

横須賀三笠公園の三笠と東郷平八郎銅像
横須賀三笠公園の三笠と東郷平八郎銅像
 20世紀初め、東洋の島国の日本が西洋の大国のロシアを破った日露戦争。その立役者として知られる2人の英雄がいます。1人は海軍大将として日本海でバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎(とうごう へいはちろう)、もう1人は陸軍大将として激戦地の旅順を攻略した乃木希典(のぎ まれすけ)です。

 いずれも大衆に絶大な人気があり、神格化もされた人物ですが、両者に共通の趣味があったことをご存知でしょうか。

 その趣味とは囲碁のこと。2人とも大の愛棋家だったのです。東郷はプロの指導を受けることもありましたが、実力は「初段に星目」。つまり初段の相手に対して最初から9つ石を置くハンデをもらう程度の腕前。級位者でも下の方で、お世辞にも強いとは言えませんね。乃木も大正1(1912)年に明治天皇に殉死するまで頻繁に碁を打っていたことが日記などからうかがえます。

 第一線を退いた東郷に可愛がられた安部真造は、よく東郷の囲碁の相手をしていたそうです。そして東郷が妻てつ子と大真面目に打つ様子も目の当たりにしました。そんな親交の中で、東郷から乃木と対局した時の思い出を聞かされたこともあったそうです。

 明治44(1911)年、東郷と乃木は英国王ジョージ5世の戴冠式に天皇の名代として参列する東伏見宮依仁親王に随行し、ロンドンへと向かいました。一行が乗り込んだのは賀茂丸という豪華客船。50日間に及ぶ船旅の退屈をまぎらわすため、2人は何回も囲碁の手合わせをしました。

 実力は乃木の方が若干上回っていたようです。ただし、どちらも「ザル碁」(地を囲おうとしても破れてしまう、下手くそな打ち方のこと)だったとか・・・。「勝ったり負けたりで良い相手だった」と東郷自身が述懐しています。

 読売新聞で連載された実録小説「乃木と東郷」によると、同船に乗り込んだ英国紙の記者は、当時の様子を『2人はいつも離れることなく、日本の戦戯である囲碁を喫煙室で戦わしていたが、終日戦っていても両者は碁盤を挟んで無言で対し何も言わず石を下すだけだった』とリポートしたそうです。

 薩摩隼人で海軍出身の東郷と、長州人で陸軍出身の乃木。年齢も境遇も似ていて何かと比較されることが多い2人ですが、互いに誰よりも深く尊敬し合い、理解し合っていたともいわれます。謹厳実直な性格も似ていて、両者とも口数が多くありませんでした。

 囲碁は言葉を使わないコミュニケーションツールで、昔から「手談」という別名があります。互いに国家という重いものを背負った経験がある2人は、無言で向き合っているように見えても、盤上で雄弁に語らっていたのかもしれませんね。

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  この記事を書いた人
かむたろう さん
いにしえの人と現代人を結ぶ囲碁や将棋の歴史にロマンを感じます。 棋力は級位者レベルですが、日本の伝統遊戯の奥深さをお伝えできれば…。 気楽にお読みいただき、少しでも関心を持ってもらえたらうれしいです。

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