平安貴族の給与格差 紫式部の父(地下官人)と、藤原道長の父(公卿)の給料を徹底比較!

 大河ドラマ『光る君へ』では、主人公・まひろ(後の紫式部)の生家が貧しく描かれていましたね。

「まひろの父・藤原為時は無官であり、一家の暮らしは窮乏していた…」

 事実、この描写はかなり正しいと思われます。奈良時代の例ですが、官位の最下位の「初少位下」と最上位である「正一位太政大臣」では、なんと! 8000倍もの所得の差があったと言われています。衝撃の格差社会ですね。その様相は平安時代になってからも、大きくは変わっていません。

 平安貴族たちは、三位以上の「公卿」が頂点に君臨。次いで五位以上の「殿上人(ここから貴族と言われる)」がいて、六位以下の「地下官人(ぢげかんじん)」と分かれています。

 ここでは平安時代の『拾芥抄』などの歴史資料や論文を参考に、平安時代の貴族たちがどれほどの給料や収入を得ていたのかを追っていきます。大河ドラマの藤原道長や紫式部についても触れていくので、気になる部分だけでも見て下されば幸いです。

平安貴族と官位

 まずは前提知識として「官位」について簡単に触れておきましょう。

 官位というのは、人が就く「官職」と、身分の高低を表す序列である「位階」の総称です。官位相当制という制度により、各官職には相当する位階(品階)に叙位されている者が任官されます。

 位階は正一位から少初位下(しょうそいのげ)まで30階に分かれていて、この位階によって身分が定まります。一般的に、五位以上の官僚が「貴族」、三位以上の官僚が「公卿」となります。

 ちなみに30階の位階(官位相当制)と、大河ドラマ『光る君へ』の登場人物がどの位階に位置しているのか、以下に記しましたので参考にしてみてください。

上流貴族(公卿)

位階官職と人物の事例
正一位
従一位 太政大臣:藤原兼家、道長、頼忠、為光
左大臣:源雅信、藤原顕光
右大臣:藤原実資、頼通
正二位 太政大臣:藤原道兼
左大臣:源高明、重信
内大臣:藤原道隆、伊周
大納言:藤原道綱、斉信
権大納言:藤原公任、行成、源俊賢
中納言:藤原隆家
従二位 中納言:平惟仲、藤原文範
権中納言:藤原義懐
正三位
従三位

中流貴族(一部は殿上人)

位階官職と人物の事例
正四位上
正四位下
従四位上
従四位下天文博士:安倍晴明
正五位上 権左中弁:藤原惟成
肥後守:清原元輔
正五位下 右衛門権佐:藤原宣孝
越後守:藤原為時
従五位上
従五位下式部丞:藤原惟規

下流貴族(地下官人)

  • 正六位上、正六位下
  • 従六位上、従六位下

貴族に値しない階級

  • 正七位上、正七位下、従七位上、従七位下
  • 正八位上、正八位下、従八位上、従八位下
  • 大初位上、大初位下、少初位上、少初位下

平安貴族の給料の内訳

 次に平安貴族たちの給料・収入の内訳を見てみましょう。

  • 位田(いでん):親王以下五位以上に、位階に応じて支給された田畑。田租は免除されない
  • 職田(しきでん):中央の大納言以上、および国司・郡司・大宰府官人などの地方官に、官職に応じて支給された田畑。田租も免除された
  • 位封(いふ):三位以上に、位階に応じて支給された封戸
  • 職封(しきふ):参議以上の官職の者に支給された封戸
  • 位禄(いろく):四位・五位の者に与えられた禄(絁・布・綿などの現物支給)
  • 季禄(きろく):在京の文武職事官と大宰府・壱岐・対馬の職事官に対し、年に2回支給された禄(絁・布・綿などの現物支給)。現代でいうボーナスに相当
  • 節禄(せちろく):節会に参列した親王・諸臣らに支給された禄(現物支給)
  • 時服 (じふく):支給された衣服の原料
  • 馬料(めりょう):五位以上の文武の在京官人に馬の飼育料として支給された銭
  • 要劇料(ようげきりょう):米(1日に2升)での現物支給

※ 封戸(ふこ):特定の数の農民の家を指定し、その家から出る税金や労働を貴族に支給する制度のこと。


 上記をながめてみると、位階や官職が高ければ高いほど、支給されるものが多いのが、なんとなくわかるのではないでしょうか。

禄物価法と現在の貨幣価値換算

 当時の給料は、貨幣よりも現物支給が原則です。現物支給と言われても、どれがどれくらいの価格なのか気になりませんか? 以下、基準となる物価について見ていきます。

 禄物価法 (ろくもつかほう)という、季禄・位禄・時服などの禄を稲穀にて代わりに支給する際に用いられた換算規定においては、禄の支給物である7品目は、稲1束に相当する換算としては、以下のように制定されていました。

  • 絁  1/30疋
  • 糸  1/6絇
  • 綿  1/3屯
  • 調布 1/15段(反)
  • 庸布 1/9段(反)
  • 鍬  1/3口
  • 鉄  1/5廷

 なお、換算比率は地域によって異なりますので、上記はあくまでも畿内(山城国・大和国・河内国・摂津国・和泉国)の例です。

 稲1束は50文(1200円 ※1文24円とする)と定められているので、以下のように置き換えられます。

  • 絁1疋 36000円
  • 糸1絇 7200円
  • 綿1屯 3600円
  • 布1端 18000円
  • 鍬1口 3600円
  • 鉄1挺 6000円

 さらに稲1束は籾にすると1斗、春米にして5升。つまり、1升あたり240円となります。

 以上は物価の規定ですが、それ以外の物に関しても、ちゃんと規定がされていました。

  • 麻布 1反75文(1800円)

  • 絹  1反1貫文(24000円)

  • 褂(単衣のこと)1領50文~700文(1200円~16800円)

  • 麦 一石(約180リットル)500文(12000円)

  • 稲 1束50文(1200円)

ケタ違いな藤原兼家の給料

 平安時代の給料については、支給において厳然とした身分差が存在していました。上級貴族ほど手厚く、下級官人ほど薄く支給。現代で例えるならば、階級や役職による手当が違うというイメージが近いと思われます。

 平安貴族、と一口に言っても前述したように、集団はおよそ三つに分かれていました。まずは従三位以上の上流貴族(公卿)を筆頭に、正四位上~従五位下の中流貴族(一部は殿上人)、、正六位以下の下流貴族(地下官人)と続きます。当然ですが、例えば、位封は従三位以上、位田と位禄は従五位以上と定められているように、年間の所得も官位の序列と比例していました。

 大河ドラマ『光る君へ』では、第1話でまひろの父・藤原為時は六位ですから地下官人です。暮らし向きが厳しいのがうかがえましたね。一方で大納言・藤原兼家(のちに昇進)は三位以上の公卿ですから、身分は全然違います。階級によって就ける職も決まっているので、職封や職田も違ってくるのです。

 具体的に二人の給料を見ていきましょう。

 貞元2年(977)の段階において、藤原兼家は正三位、権大納言の官位にありました。他に陸奥出羽按察使と治部卿を兼任しています。以下に兼家の収入の品目を一覧で作成してみました。

品目換算内訳など
位田1317万6380円40町(40×1町の平均収穫量283束×1束1200円 - 租税)
位封4186万5600円98戸(1封戸の稲束換算で約356束×1束1200円×98)
節禄614万6400円
  • 白褂衣 2領=3万3600円
  • 絁  60疋=288万円
  • 綿  710屯=42万6000円
  • 褂衣 1領=1万6800円
  • 絁  30疋=144万円
  • 綿  250屯=90万円
  • 布  25端=45万円
季禄338万8800円
  • 絁14疋=67万2000円
  • 綿14屯=5万400円
  • 布42端=75万6000円
  • 鍬60口=21万6000円
上記計169万4400円を年2回
時服12万円
  • 纏絁7.4丈=4万3200円
  • 帛(絹)3.2丈(32尺=約1反)=4万8000円
  • 綿8屯=2万8800円
馬料96万円20貫×年2回=40貫
職田664万8000円大納言として。20町(20×1町の平均収穫量283束×1束1200円-諸経費120束
職封2億5632万円大納言として。600戸(356×1200円×600戸)
職田189万3600円陸奥出羽按察使として。6町(6×283束×1200円-諸経費14万4000円)
要劇料16万9920円治部卿として。2升×354日(宣明暦)=708升

 上記の品目全てを合計すると、その金額はなんと!3億3068万8700円。驚愕の年収ですね。 しかもここには荘園からの収入は含まれていないので、官位の収入だけで3億以上ということです。

一方で紫式部の父・藤原為時の給料は?

 紫式部の父・藤原為時の場合ではどうでしょうか?

 貞元2年(977)段階で、藤原為時は散位(位階のみで官職がない状態)でした。このため、位封や位田、位禄などは支給されず、職田と職封も得られません。

 仮に従六位と仮定した場合の収入の品目を一覧作成しました。



品目換算内訳など
位田1317万6380円40町(40×1町の平均収穫量283束×1束1200円 - 租税)
位封4186万5600円98戸(1封戸の稲束換算で約356束×1束1200円×98)
馬料12万円2.5貫(6万円)×春夏の2回
要劇料16万9920円2升×354日(宣明暦)=708升
節禄10万8000円
  • 綿10屯=3万6000円
  • 布4端=7万2000円
季禄26万2800円
  • 絁3疋=10万8000円
  • 綿3屯=1万800円
  • 布4端=7200円
  • 鍬15口=5400円
上記計13万1400円を年2回

 以上を合計して、66万720円の年収です。1か月で考えると、わずか5万5000円です。

 大河ドラマでは、藤原為時は4人家族での暮らしでした。そのほかに乳母や下男、外には妾もいるという…。どれだけ厳しい暮らしになるのか想像がつきますね(妾などの自業自得な部分もありますが…)。

おわりに

 以上、藤原兼家と藤原為時の給料について一例を示しました。いわゆる公卿と地下官人では、暮らし向きの次元が違うことがわかりますね。藤原為時はこの後出世を重ね、給料もアップしていきます。しかし公卿である兼家は、それ以上に官位昇進を重ねていきました。

 大河ドラマ『光る君へ』中では、まひろと藤原道長が恋に落ちる…という描き方をされています。しかし当時の身分差から鑑みれば、2人の間には歴然たる壁があったことが想定されます。


【主な参考文献】

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  この記事を書いた人
コロコロさん さん
歴史ライター。大学・大学院で歴史学を学ぶ。学芸員として実地調査の経験もある。 日本刀と城郭、世界の歴史ついて著書や商業誌で執筆経験あり。

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