平安時代からの歴史がある宇治川の鵜飼。京都の夏の風物詩をご紹介

  • 2026/05/25
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 平安時代より続く長い歴史を持つ伝統漁法の鵜飼(うかい)。京都の宇治川で行われている鵜飼はとても有名で、京都の夏の風物詩とも言われています。鵜飼の歴史や、現代でも体験できる鵜飼の漁法などについてご紹介していきます。

宇治川の鵜飼の歴史

 鵜飼は毎年7月から9月にかけて行われる京都の夏の風物詩のひとつです。平安時代にはすでに確立していたといわれていて、長い歴史を誇ります。

 『蜻蛉日記』では、作者である「藤原道綱母」が971年に、奈良の長谷寺に参詣した帰りに、宇治にて鵜飼を見物する様子が描かれています。

 ちなみに藤原道綱母は藤原兼家の妻の一人で、子の道綱は藤原道長の異母兄弟にあたります。数え切れぬほどの鵜舟がかがり火を焚き、夜通し鮎漁をする様子を見たという記述があり、当時宇治川では鵜飼がさかんに行われていたことがわかります。

 しかし、平安時代の後期になると、仏教の教えもあり、みやみに殺生をするものではないという考えが広がり、宇治川での漁が縮小していくことになったそうです。

 もともと鵜飼は貴族の優雅な船遊びという側面もあり、人気となっていました。平安貴族の衰退とともに、宇治川の鵜飼もだんだんと衰退し、やがて姿を消してしまいました。しかし再興の動きがあり、大正15年ごろに伝統漁法である宇治川の鵜飼をもう一度始めることとなったそうです。

宇治川の鵜飼とはどんな漁法?

 鵜飼は、鵜(ウミウ)を使います。この鳥は渡り鳥で、ペリカンの仲間に当たるそう。元は野生のウミウを鵜飼ができるように育ててきたそうです。鵜飼が行われる以外のシーズンも、宇治川のそばで大切に育てられていますよ。

 漁は鵜に追い綱という綱をつけ、綱火の灯りに誘われ集まってきた魚を鵜がくちばしで捕まえます。最終的には鵜匠が鵜を引き寄せ、鵜は鵜匠に魚を渡す(吐かせる)という、コンビネーションが必要な匠の技を使った漁法です。

今参加できる宇治川の鵜飼は?

 現在の鵜飼は見物客にも披露されているため、宇治を訪れると参加することができます。夕暮れ時から始まる鵜飼は、始まる前にも参加する鵜の名前や鵜匠の説明などわかりやすい解説があるので理解しやすくなっています。

 事前予約が必要な日もあるため、事前にチェックするようにしてください。参加すると客船(屋形船)に乗船し、鵜飼の様子を見学することができます。

 宇治川の鵜匠は3人のうち2名が女性であり、巧みに鵜を操る様子が見どころのひとつ。船を貸し切りにしたり、周辺の料亭のお弁当を食べながら見物することもできるそうなので様々なプランをチェックしてみて下さいね。

華麗な鵜飼を見に出かけてみよう

 実際に宇治川の鵜飼を間近で見ると、まるで平安時代にタイムスリップしたかのような気分になれます。現代的な器具や漁法を使わず、ただ巧みに鵜を操る様子は絶妙で圧巻です。

 夏に京都を訪れたらぜひ鵜飼を見るために宇治に出かけてみてはいかがでしょうか。

<参考>:宇治市観光協会 公式HP

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