悲哀と涙をともなう昔話・伝説 ~時をこえて伝えられる悲劇の歴史

 昔話は、誰でも一度は聞いたことがあると思います。昔話にはワクワクする展開やのんびりした話、ふふっと笑ってしまうような話もありますね。

 しかし中には、思わず涙がこぼれてしまう悲劇的な話も含まれています。今回は、脈々と語り継がれてきた悲しい昔話を読み、人々の想いを探ってみます。

歴史とともにある悲しみの昔話・伝説

 昔話とは「むかしむかし、あるところに……」で語られる口伝えの話であり、特定の場所や固有名詞はあまり出てきません。一方で伝説は「ここにある○○の名前の由来は……」というように語られ、特定の場所や物・人に由来する話となります。

 こうした昔話・伝説の中には、戦国時代が終わり太平の世となった江戸時代の話も数多くあったようです。当時は毎年のように洪水や冷害、旱魃(かんばつ)といった災害が起こり、大規模な飢饉や疫病が発生していました。そうした歴史の情勢を色濃く反映している、悲劇的な昔話や伝説を集めました。

飢饉:人が人を食う話

 天明2年(1782)から発生した「天明の大飢饉」は、近世で最大の飢饉とされています。

 特に東北地方では、同時期に青森県の岩木山(いわきさん)や長野県の浅間山(あさまやま)が噴火したことから、更なる凶作を呼びました。食料はすべて食い尽くし、草の根を掘っても足りず、ついには人を食う……という伝説は各地に伝えられています。

「人が人を食う話」
その村では、飢饉のために赤ん坊を崖下に捨てていた。息絶えた赤ん坊はカラスの餌食となるのだった。
ある夜、老婆が崖下へと落とされた。老婆はカラスが食べ残した赤ん坊を食うことで生き延びていたが、ある日、生きながらカラスに食われて死んでしまう。
その場所は「崩川(くずれがわ)」と呼ばれるようになり、飢饉がおさまってからも、赤ん坊の泣き声や老婆の叫び声が聞こえたという。

洪水:雉も鳴かずば

 古くから、川の洪水や氾濫などをおさめるために人柱を立てるという風習がありました。川を荒らす神に生贄を捧げることによって、その怒りを鎮めようとしたのです。

 人柱伝説で広く知られているのは、戯曲「長柄」の題材ともなった、大阪府の淀川にかかる長柄橋(ながらばし)です。この伝説の類話は全国的にさまざまな地域で伝えられています。

「雉も鳴かずば」
長柄橋に橋を架ける工事は難しく、すぐ流されてしまっていた。長者が「袴に横継ぎのある男を人柱に立てれば流れなくなる」と言って調べたところ、当人の袴に横継ぎがあると判明した。その長者を人柱にしたところ、橋は流されなくなった。
人柱となった長者の娘(もしくは妻)は口をきかなくなったが、ある時に雉(きじ)が大きな声で鳴いたために猟師に撃たれたところを見て「ものいわじ 父は長柄の人柱 鳴かずば雉も 撃たれざらまし」と言った。撃たれたのは親の雉で、子をかばって鳴いたのであった。

権力:川を上る首

 江戸時代の封建制度は、農民や市民だけでなく武士も縛りつけるものでした。たとえ評判の良い武士であろうと、殿様の裁量ひとつで生死が決まってしまうこともあったようです。

「川を上る首」
兵庫県の井垣城に甚十郎(じんじゅうろう)という立派な侍がいて、殿様の信用も厚かった。
しかし、その有能さを妬んだ者が悪い噂を流し、殿様は甚十郎をがんどう引きの刑(受刑人の首をのこぎりで通行人に少しずつ引かせる)に処した。甚十郎は、「首を川に投げ込めば、己の身の証を立てる」と遺言を残す。
甚十郎の首を川へ投げ込むと、その首は目を見開いたまま川をさかのぼり、人々を驚かせた。首は渦巻く淵を七日間もまわり続けたため、そこは「七日(なぬか)めぐり」と呼ばれた。後になって殿様の誤解は解け、五輪の塔が建てられたという。

流刑:赦免花(しゃめんばな)とお豊虫

 江戸時代において流刑地だった伊豆諸島、八丈島に伝わるお話です。

 当時、死罪の次に重い罪を犯した者は流刑となりました。江戸から遠く離れた島ほど罪の重い者が島流しされたといいます。

「赦免花とお豊虫」
吉原の遊女であるお豊(とよ)は、遊廓の客を殺した罪で八丈島へ流されていた。
八丈島にある二本のソテツの花を見つけた者は赦免(しゃめん/罪を許すこと)の知らせが届くと言われていたが、お豊は一向に赦免とならず、やがて島抜けを決意する。
お豊は複数の罪人たちと船を出したが、八丈島から出られずに捕縛される。島抜けは死罪のため、お豊は処刑場に引き出されて「死んだら毒虫になってこの島の作物を食い荒らしてやる」と叫び、刑に処された。
翌年、島のさつま芋畑におびただしい数の芋虫がついて食い荒らしたため、人々は「お豊虫」と呼んで怖れたという。

貧困:ほととぎすと兄弟

 夕暮れ時などに響く鳥の声は、どこかもの悲しい印象を受けます。あの鳥は前世にどんな因果があったのかと、昔の人々の想像力をかきたてたのかもしれません。

「ほととぎすと兄弟」
貧乏な二人の兄弟がいた。弟は兄のために山芋を煮たが、兄は弟が先に美味しい部分ばかり食べたと思い込み、弟の腹を切ってしまう。
ところが、弟の腹には細い芋(つるくび)しかなく、兄のために少しでも良い部分を分けていたのだった。
兄は心から後悔し、鳥になって「弟(おと)腹切った」と鳴き続け、血を吐くまで鳴いたので口の中が真っ赤になった。これをほととぎすという。
※兄と弟が逆のバージョンや、「あっちゃ飛んだか、こっちゃ飛んだか」などと探す鳴き声の場合もある。

現代における悲しい都市伝説

 現代において、かつての昔話のように口頭で広まる物語としては「都市伝説」が挙げられます。

 都市伝説は主に噂話として伝えられ、「口裂け女」や「メリーさん」、学校の怪談などを知っている人は多いのではないでしょうか。今では都市伝説がメディアによって広まることも多く、口頭で広まるという特徴は薄れつつありますが、年代によって流行る内容が異なるために興味深いジャンルといえます。

首なしライダー

 首の高さにピアノ線が張られていて、猛スピードで通り過ぎたライダーは首を切断されてしまう。そして、首がないライダーの怨霊が辺りを彷徨いはじめる……。

 首のない人間が出てくる話は、西洋の「首無し騎士」伝説、日本では平将門が首を落とされた後も駆け続けたという「首無し武者」伝説もあり、これらの現代版ともいえるかもしれません。

深夜、長いトンネルを走っていると後ろから首なしライダーが現れ、追い越されると事故に遭うという噂。
これは暴走族の一人が、張られたワイヤーに首を切断されて死んだという事件から来たとされる。

ピアスの白い糸

 この噂は、筆者も学生の頃に聞いたことがあります。当時は、自分で手軽にピアスの穴を開けられるという商品が普及しはじめた頃でした。

 とはいえ、安全面を考えると病院で開けてもらうほうが良いのは確か。この噂は、自分でピアスの穴を開けることが怖い学生を中心に広まったと考えられています。

ピアスの穴を針で開ける時、耳たぶの針をさしたところから白い糸が出てきたら、その糸を引っ張ってはいけない。
白い糸はいつまでも出てきて、ぷつんと切れると失明してしまう。その糸は視神経(※)だという。
※耳たぶに視神経は通っていない。

おわりに

 悲劇的な昔話・伝説には、飢饉や貧困によりやむにやまれず残酷な行為に至った話や、権力・憎しみなどによって非道な仕打ちが行われる話があります。

 前者には、そこに至るまでの背景への思い、後者には仕打ちを受けた者に対する同情や不条理を感じる心。昔話を聞いていると、そうした感情が自然と浮かび上がってくるように思えます。

 悲劇的な昔話や伝説は、語り継がれる中で当初の話から形を変えていることもあるでしょう。とはいえ、人は誰もが残酷になる可能性があることをまざまざと示してくると感じました。

<参考文献>
瀬川拓男、松谷みよ子編『日本の民話 10 (残酷の悲劇)』(角川書店、1973年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12467810/1/3
日本放送協会 編『日本伝説名彙 改版』(日本放送出版協会、1971年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12501566/1/15
木村弘之「メディア世間と『都市伝説』現象」『青少年問題研究 (45)』(大阪府生活文化部、1996年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2201999/1/20
池田 香代子『ピアスの白い糸: 日本の現代伝説』(‎白水社、1994年)

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  この記事を書いた人
なずなはな さん
民俗学が好きなライターです。松尾芭蕉の俳句「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」から名前を取りました。民話や伝説、神話を特に好みます。先達の研究者の方々へ、心から敬意を表します。

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