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  • 上杉謙信
 2019/03/07

上杉謙信の死因は本当に酒だったのか?最期の様子を史料から検証

酒好き上杉謙信のイラスト

武田信玄と並んで軍神と称され、戦国屈指の戦上手としてその名を轟かせた上杉謙信。戦の采配だけでなく、謙信のカリスマ性は上杉家を統率し、戦国期を通じて重要な大名家として君臨しました。

しかし、そんな彼も病魔に襲われることになります。天正6年(1578)に突如として昏倒した謙信は、そのまま帰らぬ人になりました。まだ48歳という若さであったために、死因に関してはさまざまな説が流れました。

そこで、この記事では謙信の死因を史料に基づいて検証し、その実像を解き明かしていきたいと思います。
(文=とーじん)

謙信の最期と辞世の句

謙信は、天正5年(1578)に敗走する織田軍を追撃した手取川追撃戦に勝利しており、これから信長包囲網を敷いて天下に打って出ようとしていたとされています。

その翌年の天正6年の3月9日のことでした。謙信は突如病に伏し、そのまま数日間寝込んだのちの13日に息を引き取ったとされています。死に際して景勝に遺言を残していたとされますが、その突然死に家中はたいそう混乱したとされており、後継者争いが激化したことで御館の乱が勃発します。このお家騒動により、戦国最強とうたわれた上杉家は衰退の兆候を見せ始めるようになるのです。

また、謙信の辞世の句はこのようなものでした。

極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし

現代語に訳すと、私は死後に極楽に行くのか地獄に行くのか分からないが、私の心は有明の月のように一点の曇りもなく晴れやかである、となります。仏教に深く帰依していた謙信らしい句であり、彼の人柄がよく表れているように思います。

さらに、彼の場合は漢詩として残されているものが一番著名なので、そちらも紹介します。

四十九年一睡夢、一期栄華一杯酒、嗚呼柳緑花紅

現代語に訳すと、四十九年のわが生涯は一睡の夢のようであり、この世の栄華は一杯の酒のようなものだ、となります。この漢詩や先ほどの辞世の句も同様ですが、謙信のさっぱりとしていて深く悟ったような性格がよく表れていて、個人的には謙信らしさを感じます。

謙信の死因は本当に酒だったのか?

まず、謙信の死因としてよく語られるところは、彼が大酒飲みであったことから早朝に厠で昏倒し、そのまま意識を失って脳溢血で死亡したとされる説です。

脳溢血の原因として寒冷環境とアルコールの過剰摂取があり、謙信はこれに該当するというものです。この説は謙信の酒好きを根拠としており、その様子は先ほどの辞世の句からも伝わってきます。そのため、少なくとも謙信が酒を愛したことは疑いようもないでしょう。

したがって、謙信が突然死したことと、謙信が酒を愛していたことは疑いようもありませんが、一方でこの二つにどれほどの関連性があるのかというところを考える必要があります。ここからは、その点を史料から考えていきましょう。

死因が酒であることを否定する説

わかりやすく結論からいえば、史料にはこの二つの関連性を示す明確な根拠は発見できません。そのため「謙信の死因が酒」という可能性がなくなるわけではないものの、それが事実であると断言することは困難です。

実際に、史料中には「死の前日に大酒を飲んだ」や「酒に酔って意識を失った」という記載はみられません。『甲陽軍鑑』や『上杉年譜』などの史料で確認できるのは、謙信が突如として倒れ、祈祷や投薬を行なうもその甲斐なく5日目の13日に亡くなったという事実のみです。

また、先行研究では謙信の酒に対する飲み方や亡くなった日時から、酒説を疑問視する主張もなされています。

まず、謙信が酒を愛していたことは史料からも読み取れますが、『北越軍談』によれば酩酊するほどの酒飲みではなかったと記されており、他にもいわゆる「アルコール依存症」を指摘するような史料は見つかっていません。そのため、そもそも昏倒するほど酒を飲むような飲み方をしていたのかという点は疑問視できます。

さらに、昏倒したのは旧暦の3月9日であり、現代の暦の上では4月下旬に相当します。通説では、謙信の昏倒は早朝の極寒が影響していたと指摘されていますが、いくら越後が北国とはいえこの時期にはいくぶん暖かくなっていたのではないかという見方もあるようです。

もう一つの有力説は、虫気によるもの

もう一つ、死因として考えられる原因に「虫気」によるものがあると指摘されています。これは寄生虫の感染により、体内の器官が正常に動作しなくなる感染症の一つと考えられています。

実際に、謙信の病床に立ち会った景勝は、手紙で謙信が虫気であったと書き残しています。当時はまだ細菌への認識も甘かったと考えられ、史料もあることから可能性としては十分考えられます。

ただし、他の研究では当時「虫気」だとされた病気の大半は脳内の病であり、現代のようにCTなどの最新医療技術が発達していなかったために、脳内の病がすべて虫気として考えられていたという指摘もあります。

さて、謙信の死因に関する結論ですが、ここまでの内容から死因を特定することは困難であると指摘できます。つまり、確実なことは謙信が何かしらの原因で突然死したということだけです。


【主な参考文献】
  • 乃至政彦『上杉謙信の夢と野望:幻の「室町幕府再興」計画の全貌』(洋泉社、2011年)
  • 矢田俊文『上杉謙信』(ミネルヴァ書房、2005年)





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