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茶道・華道に並ぶ三大芸道! 武士が完成させた日本の粋「香道」の歴史と聞香の作法

  • 2025/12/09
聞香炉を持ち、香りを楽しむ女性(『江戸名所百人美女』より。出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ)
聞香炉を持ち、香りを楽しむ女性(『江戸名所百人美女』より。出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ)
 室町時代、茶の湯や連歌と並び、上流階級のたしなみとして武家社会で大いに発展した文化があります。それが「香道」です。香を楽しむ習慣自体は古くからありましたが、茶道や華道と同じく、精神性や作法を伴う「道」として体系化され、現代に繋がる基礎が築かれたのはこの室町時代だとされています。

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香木が日本にもたらされた古代

 現代の「良い香り」は石けんや花、フルーツなどを思い浮かべますが、焚いて楽しむ日本の伝統的な「香(こう)」は、主に香木(こうぼく)の香りでした。

香木(イメージ)
香木(イメージ)

 『日本書紀』によれば、日本に初めて香木が記録されたのは推古3年(595)。淡路島に漂着した流木を島民が焚き木にしたところ、非常に良い香りがしたため、宮中に献上されました。これが東南アジア産の沈香(じんこう)だったとされています。仏教伝来とともに香文化は日本に定着し、当初は仏事で用いられていましたが、奈良時代以降は貴族の生活に取り入れられていきます。

 当時の貴族は、部屋で香木を焚いて楽しむだけでなく、日常着る衣服にも香りを焚きしめる習慣がありました。毎日の入浴習慣がなかったため、これは体臭をごまかすための芳香剤としての役割も担っていました。西洋の香水と同じですね。

平安貴族の「香り遊び」から武士の「たしなみ」へ

 香木の香りは様々で、香りの質はのちに確立される「六国五味(りっこくごみ)」に分類されますが、平安時代には、この数ある香りの優劣を競う遊びがはじまります。

 それが「薫物合(たきものあわせ)」です。歌合や絵合と同じで、持ち寄った薫物の香りと銘の優劣を、判者が判定する遊びです。このころは香木ではなく、種々の香を合わせて作った練香(薫物)が用いられました。香道のはじまりは室町時代、という見方が強いですが、香りを楽しむ風習・遊びの源流は、平安宮廷のこの「薫物合」にあると考えられています。

 時代が貴族社会から武士の社会へと移り、鎌倉時代から室町時代にかけて、香は茶の湯と同じく禅と関わりながら武士のたしなみとしても愛好されるようになります。死と隣り合わせの戦の合間に、心を落ち着ける遊戯として浸透しました。出陣前に兜に香木(伽羅)を焚きしめ、戦場で興奮しないよう鎮静効果を利用したという話も残っています。

 室町時代、薫物合のように沈香木で行う遊びは「明香合(めいこうあわせ)」と呼ばれ、ここから炷継香(たきつぎこう)が派生しました。これは参加者が持参した香を次々と焚き、前の香銘を継いでいくという、高度な文学的教養が求められる遊びです。当時武家社会で流行していた連歌の法則を応用したものです。

足利義政による香道の体系化と二大流派

 香遊びが多様化する室町時代、東山文化で知られる室町幕府8代将軍・足利義政は、香道の作法を定め、ひとつの芸道として体系化した人物とされています。応仁の乱後に東山山荘(銀閣寺)を建てた義政は、山荘で香木収集に熱中し、香道の基礎を築きました。

 現代まで続く香道の二大流派は、この義政の元で誕生しました。

  • 御家流(おいえりゅう):室町後期の公卿・三条西実隆(さんじょうにしさねたか)を祖とする流派
  • 志野流(しのりゅう):足利義政の近臣・志野宗信(しのそうしん)を祖とする流派

 公家の文化であった香を学んだ義政のもとで、宗信と実隆が協力し、香道のルールを確立しました。公家の「御家流」と武家の「志野流」、義政の命によって宗信と実隆の二人が定めた基礎が、現代まで受け継がれています。

聞香(もんこう)と組香(くみこう)

 香道における最も基本的な作法が「聞香(もんこう)」です。

 小さな香木を温め、香炉を手で覆い、指の間から深く息を吸い込みながら香りを「聞く」のが作法です。香りは「嗅ぐ」のではなく「聞く」と表現します。聞香には遊戯的なルールはなく、ただ香りを取り込み、静かに自分の中で楽しむことを目的とします。

 一方、聞香を基礎として、そこにルールを加えて発展させたものが「組香(くみこう)」です。これは平安時代の薫物合を起源とする、知的ゲームです。

三種の香の聞き分け「十炷香(じっちゅうこう)」

 組香の一種である十炷香(または十種香)は、三種の香を三包ずつ、そして客香の一種を一包、合計十包の香を順不同に焚き、どの香木が焚かれたのかを客が順番に聞き分ける遊びです。

 組香の面白さは、この香り当てに文学的要素を組み込む点にあります。例えば、有名な和歌を題材とし、句ごとに違う香を割り振ります。客は焚かれた香りがどの句の香であったかを答えることで、和歌の解釈や教養の深さまでもが試されます。

源氏物語がモチーフ「源氏香」

 組香の中で最も有名で、江戸時代に成立したのが「源氏香」です。『源氏物語』の巻名を図案として利用したものです。

 用意された25包の香のうち、任意で選ばれた5包の香を順に焚いて聞き分け、同じ香りのものに横線を引いて繋ぎます。この線で表される図形のパターンは全部で52通りあり、源氏物語の全54巻から「桐壺」と「夢浮橋」を除いた52巻に対応しています。

源氏香の図(出典:WikiMedia Commons)
源氏香の図(出典:WikiMedia Commons)

江戸時代には庶民に広がり、芸道として確立

 武士によって作法が確立された香道は、江戸時代に入ると、裕福な豪農や町人、そして井原西鶴のような文化人など、下の階級の人々にも広まり始めます。また、武家においても、男性だけでなく女性のたしなみとしても親しまれるようになりました。

 華道・茶道と並ぶ三大芸道のひとつとなった香道は、このように庶民まで気軽に楽しめる文化として普及したことで、現代まで途切れることなく続いています。


【参考文献】
  • 『日本国語大辞典 第二版』(小学館)
  • 『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社、2007年)
  • 小島憲之・西宮一民・毛利正守・直木孝次郎・蔵中進 校注・訳『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)
  • 三条西公正『香道 歴史と文学』(淡交社、1971年初版1991年改訂新版)

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  この記事を書いた人
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。 卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。 当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...

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