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生涯不犯の聖将は美少年趣味だった?上杉謙信とBLの噂について

  • 上杉謙信
 2020/06/29
謙信のBLイラスト

その清廉潔白なイメージと、他国への領土的野心を示さず防衛のための戦闘に終始したともいわれることから「義の人」と讃えられる上杉謙信。毘沙門天を信仰し、女性に触れないという「不犯」を貫いたともいい、「聖将」とすらいわれる稀有な武将です。

戦国武将の中で自身の子孫を積極的に残そうとしなかった事例は異例中の異例ともいえ、古くから謙信の性事情への関心と憶測が飛び交っていたようです。そのなかでもよく取沙汰されるのが謙信の美少年趣味、つまりBL要素についての仮説です。

不犯を貫くことができたのは、そもそも女性に性的な興味がなかったからではないかという推測です。 それらは実際には、どうだったのでしょうか。

いくつかの記録から、これまでの仮説を検証してみることにしましょう。
(文=帯刀コロク)

生涯妻をめとらなかった上杉謙信の、数少ない恋愛記事

越後の戦国大名で知られる上杉謙信は生涯において妻をめとることはありませんでした。

戦国武将としてあえて世継ぎを残さないというのは極めて特異な事例で、謙信直系の子孫は公式に存在していません。謙信の跡を継いだのは養子となった甥の「上杉景勝」でした。

このことから謙信の性事情について古くよりさまざまな憶測があり、女性に興味がない、性的に不能である、宗教的な自制等々の仮説が語られてきました。

結論からいうとそれらのいずれも仮説の域を出ず、そういった事実を示す確実な一次史料は見つかっていません。 ただし、『松隣夜話』という天正期末までに成立したと推定される軍記物には、数少ない謙信と女性とのエピソードが掲載されています。

そこでは、謙信が目をかけていた「土佐佐保」という侍女が期日を過ぎても里帰りから戻らず、強制召喚のうえ処刑したという逸話が語られています。

しかし同書には「青沼新九郎」という謙信の寵愛を受けていた小姓が無断で実家に戻り、その際従軍した戦闘で命を落としたことに激怒したという記事もあり、その一族をことごとく追放したなどよく似た系統のエピソードとなっています。

また、謙信は敵将の娘である「伊勢姫」に激しい恋慕をしたとも伝えています。 結局は状況が許さず、出家した伊勢姫はほどなく亡くなって謙信もショックのあまり体調を崩したといいます。

主の将来を思ってその仲を割いたとされる重臣は後に一族もろとも粛清されたといい、真偽のほどはともかくとして謙信の激情的な一面をうかがわせる内容となっています。

近世以降の創作的な部分の大きい軍記物とは異なり、比較的同時代に近い人物が筆者だと考えられる『松隣夜話』の記述は、そのすべてを鵜呑みにすることはできないとしても謙信に対する興味深い視点を示す史料となっています。

関白・近衛前久(前嗣)の書状にみる、謙信の美少年好き

謙信が美少年趣味であるという噂の出どころは、歴史をひもとくと関白・「近衛前久(このえさきひさ)」(または前嗣)の書状ではないでしょうか。

室町幕府は武家の統括政府といえど、その経済基盤は脆弱で将軍の求心力も決して強くはありませんでした。 むしろ強力な大名が台頭し、義輝の時代には「三好長慶」や「松永久秀」の勢力に都が脅かされている状態でした。

謙信が最後の関東管領を襲名したように将軍家はその軍事力を頼りにし、謙信もまた将軍家を尊び上洛・拝謁も行っています。 義輝と前久は親戚にあたり、謙信が二度目の上洛を果たして近衛邸で度々夜を明かしての酒宴が開かれ、そこには華奢な若衆が大勢集められたことが記されています。

書状に記された「少弼若もし数寄のよし承り及び候」とは、つまり「謙信は若衆好みだということを承知しました」といった意味であり、上洛の際に接待として美少年たちを侍らせたということがわかっています。

この一文だけで謙信が生来の男色家だったという証拠、とは言い難いですが、少なくとも将軍家が頼りにした武将への接待として若衆が大きな役割を果たしたことは、注目に値するといってよいでしょう。

「天部の行者」としての謙信

謙信の生涯不犯を支えた信念として、ほかには宗教的な自制という説があるため概観しておきましょう。

謙信は仏教との縁も深く、曹洞宗・臨済宗といった禅宗、そして真言宗の密教といった教義にも精通していました。 謙信が特に信仰した「毘沙門天」は「天部」という分類の仏尊であり、厳しい荒行を課す行者が本尊にしたともいわれています。

そうした経緯から、謙信の不犯は厳しい戒律を順守してのことという説も囁かれてきました。

一方で、戦国武将が特定の軍神を祀って戦勝を祈願するのはポピュラーな習慣であり、謙信に限ったことではないという事実があります。

また、そういった武将でも妻妾をもち、男色も嗜んだという例も珍しくないため、謙信個人の信仰から跡継ぎを残さなかったという文脈には再考の余地があるのではないでしょうか。

まとめ

「義将」「聖将」というイメージから神格化されがちな上杉謙信ですが、近年の研究からは必ずしも専守防衛を信条としていたわけではない可能性が言及されています。

多くの戦国武将と同じように領土的野心を持ち、非情な戦闘行動も辞さなかった面が浮き彫りになっています。

しかしながらその独自性はやはりミステリアスであり、「美少年趣味」という風聞がたっても不思議ではないような、ある種のストイックさを印象付ける武将でもありますね。


【参考文献】
  • 『性と愛の戦国史』 渡邊大門 2018 光文社知恵の森文庫
  • 『戦国武将と男色 知られざる「武家衆道」の盛衰史』 乃至政彦 2013 洋泉社
  • 『戦国武将からの手紙:乱世を生きた男たちの素顔』 吉本健二 2008 学研M文庫
  • 『破壊と男色の仏教史』 松尾剛次 2008 平凡社新書


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