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戦国時代はBL(男色・衆道)が当たり前だった?知られざる武将's ラブの世界

  • 総合・暮らし
 2020/06/22
『衆道物語』より
『衆道物語』より

その伝説的な事績が今なお語り継がれる戦国武将たちも、当然ながら血の通った一人の生身の人間でした。 そこには喜びも悲しみも、苦しみも悩みもありましたが、誰かを愛するということもまた、現代の私たちと同じようにあったのです。

しかし、現代的な感覚だけでは当時の恋愛事情を理解することは、なかなか難しいかもしれません。 正室 + 側室 という一夫多妻のシステムが制度としてあり、しかも異性愛だけではなく同性同士での愛情も細やかだったことが知られているからです。

現代風にいえばボーイズラブと表現できるかもしれませんが、これも独特の習慣となって単なる恋愛とも言い切れないような、複雑な様相を呈しています。

そこで今回は、戦国のボーイズラブがどのようなものだったのか、その概略にスポットライトを当ててみることにしましょう!
(文=帯刀コロク)

戦国武将と「若衆道(わかしゅどう)」

武士の間でいつごろから同性愛の文化が生まれたのかは分かっていませんが、少なくとも鎌倉から室町へと時代が移るころには定着していたと考えられています。

武家社会における男性同士の恋愛関係を「衆道(しゅどう)」といいますが、主君と年少の近習である「小姓」との「若衆道(わかしゅどう)」という関係が基本だったと考えられています。

小姓とは主君のごく近くに仕え、身の回りの世話や秘書的な役割を果たすというもので、少年の親衛隊とも呼べるかもしれません。 対立勢力からの人質として預けられた子弟が着任することも多く、有事の際にはシークレット・サービスのように主君を守るという使命も課せられたといいます。

しかし、組織のトップに近侍することで高度な教養と戦技・戦略、そして組織運営の方法等を実地に学ぶことができ、長じては重臣として活躍する人材も多く輩出しました。

この小姓がやがて主君の性愛の対象ともなった、というのが若衆道の一般的な理解のひとつですが、その発生の経緯についてはいくつかの疑問点が指摘されています。

そのうちもっとも重要と思われる例を挙げると、戦陣において女性の代わりを務めたという文脈でしょう。 文字通り、戦のさ中に陣中で小姓が主君の相手を自然に求められたというものですが、実際には長期の戦では陣の周辺に遊女が集まったり、陣中に側室を伴ったりした例も多くみられます。

ジンクスとして戦の直前数日間は女性に触れることを控える、といった潔斎のようなものがあったようですが、実際に順守されたかどうかはわかりません。

陣中でもそれは同様で、先述の通り側室をアドバイザーや護衛の名目で伴うことや、戦闘の合間に近隣の遊郭に出入りしたという記録もあるほどです。

したがって、小姓との関係が女性の代わりを求めてのことという起源説は、やはり信憑性が低いのかもしれません。

僧侶にみられる男色文化の武家への流入

男色の起源についてははっきりしたことはわかりませんが、平安時代の貴族の間ですでに行われていたことが記録からわかります。

また、僧侶の間で男色が盛んに行われた時期があり、この風習が武家社会に浸透していったことも想定されています。 周知のとおり僧侶は「不犯(ふぼん)」、すなわち女性との肉体関係を戒律で禁じられていました。

しかし平安時代頃に現れたという、僧の身の回りの世話をする少年僧である「稚児」がその代わりを務め、公然とその関係が維持されていたことが記録されています。

稚児は女性のような髪型と衣服で着飾らされ、薄化粧を施すという中性的な容貌をしていたといいます。 13世紀の東大寺僧である「宗性(そうしょう)」が残した自戒の誓約書である起請文のうちには、そんな稚児との関係をうかがわせる記述が残されています。

そこには稚児との交渉は100人を超えないこと、現在関係を持っている特定の稚児以外と交渉を持たないことなどの条項が列記され、その時点で過去に関係した人数が95人であることまでが記されています。

この事例が特異なものであるのかどうかは判別できませんが、後に美貌の稚児をめぐっての殺人事件までが起こっていることから、少なくとも当時の僧侶の世界では男色が極めて日常的であったことを示しています。

戦国期には幾多の宣教師たちが同様の記録を残しており、武士の子弟は僧侶によって学問や剣術を教授され、そこには男色行為までもが含まれるとしています。

このことから、武家における男色の習俗は僧侶からもたらされたものという説もあります。

まとめ:実はまだまだ謎の多い、戦国の男色事情

戦国の主従における男色には異性愛とは異なる、独自の絆のようなものが含まれていたとするイメージがよく浸透しています。

主従間の忠節と愛情、そして武人同士の友情のようなものが綯い交ぜとなった関係だったとされ、心身両面での強固な結びつきをもたらしたというのがその骨子です。

もちろんそういった面があったことは十分考えられますが、実はよく知られている武将主従の恋愛関係の中には、信憑性に問題のある創作的な史料が元となったものが少なからず存在しているようです。

また、そういった武将も多くは正室・側室を擁して子孫を残していることから、現代的な意味でのジェンダーの問題とは少し意味合いの異なる性文化を想定する必要があるでしょう。

研究の進展とともに先入観を排した武将たちの、本当の愛情の在り方が解明される日が来るかもしれませんね。


【参考文献】
  • 『性と愛の戦国史』 渡邊大門 2018 光文社知恵の森文庫
  • 『戦国武将と男色 知られざる「武家衆道」の盛衰史』 乃至政彦 2013 洋泉社
  • 『破壊と男色の仏教史』 松尾剛次 2008 平凡社新書


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