健康オタクにして漢方のエキスパート?徳川家康を支えた「常備薬」について
- 2020/09/15
長き戦国の世に終止符を打ち、300年に届こうという政権の礎を築いた徳川家康。粘り強く、機が完全に熟するまで苦節に耐えたその生き様は、太平をもたらした将として高く評価されています。
「三英傑」と呼ばれるように、織田信長・豊臣秀吉と比較されることも多い家康ですが、信長のような英雄タイプではなく、かといって秀吉のような華のあるタイプでもないというのが一般のイメージではないでしょうか。ありていに言えば「堅実で地味」とも表現できるかもしれませんが、信長・秀吉になくて家康にあったものを一つ挙げるとすれば、それは「長命」でしょう。信長が47歳、秀吉が61歳で亡くなっているのに対し、家康は実に73歳という天寿を全うしています。
元気で長生きするというのは言葉にすると簡単なようですが、戦乱の世でそれを実現することはより多くのチャンスを掴むための必要にして絶対の条件だったといえるでしょう。そのために家康は、最大限の努力と工夫をもって自身の健康管理に留意し続けました。
今回は、時に「健康オタク」とも評される家康の健康法、特にその「常備薬」について見てみることにしましょう。
「三英傑」と呼ばれるように、織田信長・豊臣秀吉と比較されることも多い家康ですが、信長のような英雄タイプではなく、かといって秀吉のような華のあるタイプでもないというのが一般のイメージではないでしょうか。ありていに言えば「堅実で地味」とも表現できるかもしれませんが、信長・秀吉になくて家康にあったものを一つ挙げるとすれば、それは「長命」でしょう。信長が47歳、秀吉が61歳で亡くなっているのに対し、家康は実に73歳という天寿を全うしています。
元気で長生きするというのは言葉にすると簡単なようですが、戦乱の世でそれを実現することはより多くのチャンスを掴むための必要にして絶対の条件だったといえるでしょう。そのために家康は、最大限の努力と工夫をもって自身の健康管理に留意し続けました。
今回は、時に「健康オタク」とも評される家康の健康法、特にその「常備薬」について見てみることにしましょう。
家康と漢方薬
現代的な意味での化学療法が十分に発達していなかった当時においては、薬といえば「漢方薬」のことを指していました。現代でも漢方の専門医や愛用者がおり、自然由来の「生薬(しょうやく)」を用いる古来の薬剤であるといえます。植物質の薬草や動物由来の部位、あるいは鉱物由来の成分等を使い、それらを各人の体質や症状に応じた調合で処方するのが一般的です。
ある症状に対して即効性のあるものも存在はしますが、基本的に漢方薬は自分に合ったものを長期間にわたって正しく処方することで、体質そのものを改善していくという側面があります。
戦国武将といえども体質は各人各様で、特有の持病に悩まされたというエピソードも枚挙に暇がありません。軍事においても政治においても、心身が健全で体力・気力ともに旺盛であることはそれ自体が武器でした。
そのことをよく理解していた家康は、食事や運動に配慮し、自ら薬学の知識を吸収して実践していたことが伝えられています。
自らも調合、必携の秘薬
家康が漢方を学び、自ら調合したことは先に触れました。実際に家康が参照した李氏朝鮮時代(16世紀)の『和剤局方』という製薬法の解説書や、薬草を刻むための小刀、薬壺や鉢・乳棒といった道具一式も伝わっています。では、家康はどのような薬を常備したのでしょうか。以下に有名な2種類を挙げてみましょう。
八の字(無比山薬丸)
家康の薬といえば、この「八の字」がもっとも有名かもしれません。薬箱の八段目に収納することを決めていたため、この通称が生まれたとされています。俗にいう「八味地黄丸」または「八味丸」と混同されることがありますが、実際には「無比山薬丸(円)」という薬がベースになったものです。
これは「地黄」「山茱萸」「山薬」「沢瀉」「茯苓」「五味子」「肉蓯蓉」「杜仲」「牛膝」「巴戟(天)」「免絲子」などを配合したもので、中国・宋代の医学書にも頭痛・めまい・内蔵機能の低下等々、あらゆる症状に効果があると記されていました。
家康はさらに、松前藩から献上された「海狗腎」(オットセイのペニス)を加えた処方箋を用いていたようです。腫瘍を破り消化器官を整え、血圧を下げるなどの効果を持つ生薬が巧みに配合されたこの薬は、家康にとって必携のものだったといえるでしょう。
ちなみに、「八の字」とよく混同される「八味地黄丸」の組成は「地黄」「山茱萸」「山薬」「沢瀉」「茯苓」において「無比山薬丸」と同じであり、山薬丸は地黄丸から派生したものとも考えられています。
紫雪(しせつ)
もう一つ、家康を象徴する薬を挙げるとしたら「紫雪(しせつ)」をおいてほかなりません。これは「硝石」などの鉱物性生薬を主体としたもので、後の三代将軍・徳川家光が3歳のときに罹った大病がこの薬で快癒したと伝えられています。
また、家康九男で後の初代尾張藩主・徳川義直が10歳の頃に駿府城内で感冒に罹患し、他の医師の処方案を退けて紫雪を服用させた結果やはり快癒したといいます。
このように専門家の意見に反してまで我が子に処方したことから、いかに家康が紫雪の効能に信頼を置いていたかがうかがえますね。
おわりに
「健康オタク」と親しみを込めて呼ばれることもある家康ですが、薬だけではなく普段から運動や食事に気を配り、節制して健康維持に並々ならぬ努力を続けていました。言い換えれば家康の天下とはその長命がもたらしたものでもあり、自身の健康を保って長期間にわたり現役であり続けるということは、もうひとつの「戦い」そのものだったのです。そういった意味においては数々の製薬道具や薬種も、家康の戦備えのひとつといえるかもしれませんね。
【主な参考文献】
- 「歴史人物の更年期時期の推定の試み」『phil漢方 №49』 奥井信雄 2014 メディカル・パブリッシャー
- 『戦国武将の健康法』 宮本義己 1982 新人物往来社
- 四国新聞社 長寿の秘密は漢方にあり?/家康愛用、万能薬を再現
- マイベストプロ静岡 家康公の健康法「情報の使い道が運気を呼ぶ」
- くすりの博物館 天下取りの健康法
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