女の鬼はなお怖い?日本の昔話に登場する鬼女と鬼婆を解説

日本の昔話には鬼が付き物。女の鬼となれば情念が高じた狂気がなお怖く、その大半は恐ろしい悪役であり、作中で非道を働いて善良な主人公たちを苦しめます。
しかし彼女たちも最初から鬼だったわけではありません。今回は日本の鬼女・鬼婆に焦点を当て、昔話の成り立ちをご紹介していきます。

戸隠の鬼女紅葉、世に仇なし平維茂に討たれる

 最初に紹介するのは日本で最も有名な鬼女、紅葉の伝説。

 承平7年(937年)、大納言・伴善男の子孫に当たる笹丸は第六天魔王に子宝祈願し、一人娘の呉葉(くれは)を授かります。

 絶世の美女に育った呉葉は沢山の男に求婚されました。豪農の息子・源吉はとりわけ強引で、多額の支度金を用立て、無理矢理縁組を迫ります。困り果てた呉葉が第六天に祈った所、自分と同じ顔の娘が空から遣わされたので、彼女を身代わりとして嫁がせました。しばらくすると替え玉は蜘蛛の糸に掴まり、天へと帰ってしまいます。

 都に上った呉葉は紅葉と名を改め、琴の達人として評判を取り、右大臣・源経基に見初められます。それと同時に経基の妻が病に倒れ、瞬く間に息を引き取ってしまいました。

 実の所これは全くの偶然でしたが、紅葉の美貌を妬んだ周囲が「アイツの呪いだわ」「後釜を狙ってるのよ」と噂した為、奥方暗殺の冤罪で捕縛と相成ります。

 経基はそんな紅葉を哀れんで両親ともども信濃国(長野県)に流すものの、この時既に彼女は身籠っており、戸隠の里で男の子を出産しました。
 無実の罪で都落ちを余儀なくされた紅葉ですが、なかなかどうして田舎暮らしも悪くありません。
 里の民は訳ありの彼女を快く受け入れ、不思議な力で病を癒してくれる、やんごとない姫様であらせられると崇めました。そこで紅葉は民の献身に応えるべく盗賊たちを束ねて村を襲い、戸隠の里をどんどん豊かにしていきます。

 安和2年(969年)、冷泉天皇は平維茂に鬼女紅葉の討伐を命じました。紅葉は火の雨や大風の妖術で惟茂の軍勢に抗うものの、彼が霊夢で邂逅した老翁に貰った短剣で貫かれ、激闘の果てに命を落とします。以来戸隠は鬼のいない里を略し、鬼無里(きなさ)と呼ばれるようになりました。
 紅葉伝説は能や浄瑠璃、歌舞伎の題材にも取り上げられ、河竹黙阿の『紅葉狩』は特に有名。戸隠神社には紅葉伝説に関連する祭事「紅葉会」が伝わっており、3日間鬼の亡魂を弔ったのち、岩屋に楓を奉納しているそうです。

姫君に捧げる為に…妊婦の腹を裂いて胎児の生き胆を集めた安達ケ原の鬼婆

 続いて紹介するのは安達ケ原の鬼婆。これは福島県の阿武隈川東岸に語り継がれる話です。
昔々、京の公家屋敷に一人の乳母が奉公していました。名前は岩手と言います。
岩手が仕える姫君は生まれながらに不治の病を患い、5歳になっても口が利けないままでした。
そこで易者に診せた所、「胎児の生き胆が薬になる」と言われます。人の道を外れるのはもとより覚悟の上とばかりに思い詰めた岩手は、長旅の果てに安達ヶ原に流れ着いて岩屋に潜伏し、夜な夜な出刃包丁を研いで獲物の訪れを待ちました。

 時は流れて十数年後……身重の妻とその夫が、木枯らし吹きすさぶ安達ケ原を通りがかります。待ちに待った絶好の機会到来でした。
薬を買いに出掛けた男を見送ったのち、陣痛に苦しむ女の腹を出刃包丁で裂き、まんまと赤ん坊の生き胆を手に入れた岩手。
ああ、漸く姫様をお救いできる……。
喜びも束の間、女が身に付けていたお守りを目にした岩手は絶叫します。それは彼女が都を出る際、生き別れの娘・恋衣に託した物に他なりません。
血の繋がらぬ姫を想うあまり、そうとは知らず実の娘を殺し、遂にはお腹の孫にまで手を掛け……なんとも業が深い結末です。
これ以降岩手は人喰いの鬼婆に成り果て、旅人の生き肝を見境なく奪った挙句、酸鼻を極めたその所業が祟り、紀州の高僧・東光坊祐慶に倒されます。
祐慶は阿武隈川のほとりに塚を建てて岩手を弔い、これが黒塚の起源になりました。近くには非業の死を遂げた娘を供養する、恋衣地蔵が祀られています。
母による娘殺しを描いた安達ケ原の鬼婆伝説は、因果応報を信じる市井の人々に衝撃を与え、能の『黒塚』や歌舞伎の『安達ヶ原』に取り込まれていきました。
明治の浮世絵師・月岡芳年は、恐ろしい形相の鬼婆が包丁を研ぎながら、逆さ吊りの妊婦を睨み上げる無残絵を描いています。心臓が弱い方は閲覧注意。

娘を共犯に巻き込んだ浅茅ヶ原の鬼婆の末路

 最後を飾るのは浅茅ヶ原の鬼婆。現在の浅草寺付近に伝わる、忌まわしくも哀しい昔話です。
用明天皇の時代、武蔵国花川戸の浅茅ヶ原に一軒のあばら家があり、親切な老婆とうら若き娘の親子が暮らしていました。

 道沿いに他の宿が見当たらぬ為、歩き疲れた旅人は老婆の勧めに従い、粗末なあばら屋に泊まります。すると娘がそばに侍ってお酌をしてくれ、すっかり良い気分で酔い潰れてしまいました。

 結果、二度と目覚めません。彼らがぐっすり眠り込むのを待ち、その頭を石枕で叩き割って全財産を巻き上げるのが、世にもおぞましい浅茅ヶ原の鬼婆の手口でした。後始末を命じる母に逆らえない娘は、泣く泣く遺体を池に沈めます。

 老婆の犠牲者が999人に達したある日、1人の稚児が宿を求めにきました。
その夜……。首尾よく1000人目を殴り殺した老婆は、全てが終わった後になって布団を剥ぎ、そこに寝ているのが実の娘と思い知ります。

 心優しい娘は身を挺して母を諌めるべく、稚児と交代で寝床に入ったのでした。
そこへ本物の稚児が現れ、自分は浅草寺の観音菩薩の化身であると明かします。
はるばるあばら屋を訪れた目的は、悪名高い浅茅ヶ原の鬼婆に改心を促す為……。
そうとは知らず娘を手に掛けてしまった老婆は激しく泣き叫び、我が子の亡骸を抱えて池に身を投げました。
別の説では菩薩の慈悲で龍と化し池に飛び込んだとも、己の罪を悔い改め、仏門に下ったとも言われています。
老婆が入水した池は姥ヶ池と呼ばれ、現在も花川戸公園に残っています。

おわりに

 以上、日本の代表的な鬼女・鬼婆伝説をご紹介しました。
浅茅ヶ原の鬼婆を狭義の鬼に分類できるかは微妙な所ですが、凶悪な女性犯罪者を鬼女や鬼婆にたとえる風潮を踏まえれば、あながち間違いとも言い切れません。
個人的には子殺しの罪に耐え切れず狂ってしまった、安達ケ原の鬼婆の悲劇が印象的でした。

参考資料
『北向山霊験記戸隠山鬼女紅葉退治之傳全』辻岡文助(著)
『安達ケ原の鬼婆: 鬼女いわての伝説』渡辺弘子(著)
『日本の鬼図鑑』八木 透 (監修)
『鬼の研究』馬場 あき子 (著)
『鬼と日本人の歴史』小山聡子(著)
『鬼と日本人』小松 和彦(著)

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  この記事を書いた人
まさみ さん
読書好きな都内在住webライター。

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