よく聞く「公方様(くぼうさま)」って誰を指す?意味と歴史をさらっと解説!

 日本史上、時の最高権力者に対してその称号そのもので呼びかけることは、とても珍しいようなイメージがないでしょうか。

 「上様」「お上」「陛下」等々、独特の尊称をもってそれに代えるのは、ある種の禁忌意識が働いたものともいえるでしょう。そんな呼び方のひとつに「公方様(くぼうさま)」というものがあります。特に中世以降の歴史を扱ったドラマや小説などで使われる機会が多いようですが、正確には何を指す言葉なのでしょうか。

 今回は、「公方様」という用語の意味を解説してみます!

「公方(くぼう)」とは

 「公方」という言葉を『国史大辞典』で引いてみると、「国家的統治権の所在」という一文が出てきます。

 この語句の初出は平安時代の終わりごろとされ、私的な支配権者に対する公的な統治権者といったニュアンスが含まれていました。

鎌倉~室町時代

 鎌倉時代後期になると、荘園を管理した寺社や武家を指しても公方という習慣ができ、弘安6年(1283)の前後には将軍のことを公方と呼ぶ決まりが生まれました。

 しかし、元弘3年/正慶2年(1333)の建武新政の頃より、南北朝期の南朝側では、将軍ではなく、天皇のことを公方と呼んだとされています。

 室町時代になると、鎌倉府の長官が「鎌倉公方」と呼ばれ、その後身機関においても「古河公方」「堀越公方」といった尊称が使われました。

戦国~江戸時代

 戦国時代には大名のことを公方と呼ぶ場合もありますが、これは一国の統治者を指す本来的な意味から、幕府の求心力の低下をうかがわせる事象のひとつと考えられます。

 先述の『国史大辞典』によれば、江戸時代になると将軍・天皇ともに公方と呼ばれたとされています。しかし当時の天皇に対して、公家衆からの内々の尊称は「お上」などが使われたといい、武士が「公方様」という場合にはほぼ将軍を指しているといえるでしょう。

おわりに

 時代劇などで「くぼうさま」と聞くと、なんとなく将軍様のことを言っているのだろうと想像がつきますね。

 しかし、歴史的には公的な統治権、ひいてはその代表執行者を指す言葉として使われてきました。時代によっては将軍ではなく天皇を指す場合もあるなど、少し紛らわしい語句ではありますが、武家政権の頂点に対する尊称というニュアンスが浸透しているのではないでしょうか。

 鎌倉時代から江戸時代までを舞台としたドラマや歴史小説などで、武士たちが「公方様」と言った場合、まずは将軍のことを想像してみるとよいでしょう。


【主な参考文献】
  • 『国史大辞典』(ジャパンナレッジ版) 吉川弘文館
  • 『全文全訳古語辞典』(ジャパンナレッジ版) 小学館
  • 『古事類苑』(ジャパンナレッジ版)

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  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術についての考察記事を中心に執筆。 全国の史跡を訪ねることも多いため、歴史を題材にした旅行記事も書く。 「帯刀古禄」名義で歴史小説、「三條すずしろ」名義でWEB小説をそれぞれ執筆。 活動記録や記事を公開した「すずしろブログ」を ...

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