「中原知親」源頼朝に討たれた山木兼隆の縁者

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場した山木兼隆は、早々に頼朝に討たれて退場しました。その縁者で頼朝に所領を奪われる人物として登場したのが中原知親(なかはらのともちか)です。ドラマの中では面長、馬面であることがやたらと強調され、理不尽に所領が奪われました。


所領を奪われた中原知親

治承4(1180)年8月、源頼朝が挙兵し、まず伊豆国目代の山木兼隆を標的として17日に襲撃し、これを討ち取りました。

その2日後の8月19日、兼隆の縁者で蒲屋御厨(現在の静岡県下田市)にいた知親が目を付けられ、頼朝によって知親の奉行は停止されました。頼朝は以仁王の令旨を根拠に関東で命令できるのだと言って、知親の所領を奪ってしまったわけです。『吾妻鏡』は「是關東事施行之始也(これが關東で行ったはじめての命令である)」と記していて、これが東国支配の第一歩であるとしています。

ドラマでは頼朝の「誰か所領を取り上げてもよい奴はおらんか」という言葉から始まり、「馬面のあいつはどうだ」と挙げられたのが知親でした。やや理不尽な感はありますが、『吾妻鏡』によれば知親の普段の行いは悪く民を悩み苦しませていたようなので、自業自得ではあります。

『十訓抄』のエピソード

知親が面長で馬面であることがなぜそれほどまでに強調されたかというと、鎌倉時代の説話集『十訓抄(じっきんしょう)』のエピソードがあるからでしょう。『十訓抄』上巻の「一ノ四十四」に登場します。

「史大夫朝親といふものありけり。学生なりければ、ここかしこに文の師にてありきけり。若くて文章生にてありけり。ことのほか、顔の長かりければ、世人、「長面進士」とぞいひける。世の常ならず、をこびたるものなり」

「史大夫朝親(したいふともちか)」というのが知親とされています(※『日本古典文学全集』では朝親を藤原朝親とする)。

史大夫は太政官の主典(さかん。最下位の官)のこと。「学生」つまり優れた学者であったため、あちこちで学問の師として活躍していました。若い頃に文章生(もんじょうしょう。式部省の試験合格者で、漢詩文や史書などの文章道を学ぶ者)になっていました。そんな知親は顔が長かったので、「長面進士(顔長学者。※文章生を進士とも呼んだ)」と世間であだ名されていたようです。

知親の顔が長いことが強調された理由はこれでわかりましたが、『十訓抄』の本題はそこではありません。知親の愚か者エピソードが本題です。

知親はある時知り合いの僧に手車を借りて出かけようとしましたが、天井が低かったので烏帽子を脱いで乗っていました。道中、摂関家の藤原忠通と行き合った知親はあわてて車から降りてはいつくばりました。

貴人の行列に会えば身を隠すのが礼儀ですが、知親は宮中で文書を扱う「文殿(ふどの)の衆」として働いていて、時には参上することもあるのだから身を隠すほどのことではないと思ったのです。

しかしあわてていた知親は烏帽子を手に持ったまま、つまり髻を晒したまま伏せていたのです。それを見た忠通の随身たちは笑い転げてしまった、というオチでした。

現代の感覚とは違い、平安時代には冠や烏帽子をしない頭を晒すことはとても恥ずかしいことで、寝る時でさえ被っていたとか。現代でいえばパンツを脱ぐようなものだとよく例えられます。

烏帽子を脱ぐといえば清少納言の父・清原元輔が落馬して烏帽子を落として笑われた話(元輔はその場の人ひとりひとりになぜこうなったかを懇切丁寧に説明してさらに笑いを誘ったユーモアのある人)や、一条天皇に仕えた藤原行成と藤原実方(さねかた)が和歌のことで口論していて、実方が行成の冠をたたき落として左遷された話などがあり、いずれのエピソードからもやはり髻を晒すのはとんでもなく恥ずかしいことというのがわかります。

ふつうに生活していれば誰でも偶然落ちることも知親のようなうっかりもあるはずですが、「優れた学者の意外なあわて者エピソード」としてこのように説話にされて伝えられるのはかわいそうなことです。


【主な参考文献】
  • 『日本歴史地名大系』(平凡社)
  • 上杉和彦『戦争の日本史6 源平の争乱』(吉川弘文館、2007年)
  • 校注・訳:浅見和彦『日本古典文学全集51 十訓抄』(小学館、1997年)※本文中の引用はこれに拠る。
  • 『国史大系 吾妻鏡(新訂増補 普及版)』(吉川弘文館)※本文中の引用はこれに拠る。

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  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。 卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。 当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...

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