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系図から見る池田輝政、なぜ100万石の大名になれたのか?

織田信長の乳兄弟から側近となった池田恒興と長男の元助は、信長の死後に羽柴秀吉に仕えましたが、小牧長久手の合戦で戦死。恒興の次男である輝政が池田家を継ぎました。

秀吉の死後は家康に仕えて生き残っただけでなく、関ヶ原の戦いの後には播磨100万石をゲットし、現在の姫路城を築城するまでの大大名となったのです。

池田輝政ってそれほどの功績を残したっけ? と考える人も多いでしょう。その辺の謎が、系図を見ると明らかになるのでご説明しますね。

1、輝政、最初は荒尾家の養子、次に秀吉の猶子になる

輝政は永禄7年(1564年)、池田恒興の次男として尾張国清洲で誕生。父や兄と共に織田信長に仕えました。ちなみに「輝政」の名乗りは、慶長12年(1607年)7月からで、それまではずっと「照政」でした。

輝政は、9歳で母方の伯父・荒尾善久の養子として木田城主となりました。また、本能寺の変後、父恒興と秀吉の同盟のため、人質の意味で秀吉の猶子となったので、秀吉恩顧の武将なのです。

2、父と兄の戦死で、池田家を継承

天正12年(1584年)小牧長久手の合戦において、父の恒興と兄の元助が討死したので、輝政が家督を相続、父の美濃大垣城主13万石を領し、翌年は岐阜城主になり、紀州征伐や九州平定など、秀吉の主要な合戦に従軍しました。

そして天正16年(1588年)、従四位下侍従に叙任して豊臣姓を下賜され、2年後、小田原征伐、奥州仕置に参加した功績で、三河国15万石をゲットして吉田城主となったのです。

この頃、尾張を領していた秀吉の甥の豊臣秀次に属され、朝鮮出兵時には東国警備とか後方支援と、伏見城や大和多内城の普請を担当しました。

3、家康の娘・督姫と再婚

輝政は、中川清秀(山崎合戦のあと、秀吉に馬上から「ご苦労」と声をかけられ、猿め、天下取ったつもりかと罵倒した人です)の娘と結婚して、長男利隆が生まれたのですが、出産後に病気になり、実家に帰ったのでした。

そこで文禄3年(1594年)養父である秀吉の仲介で、徳川家康の娘で、小田原の北条氏直の未亡人となった督姫(とくひめ)と再婚。夫婦は円満で、5男2女が生まれました。再婚で生まれた輝政の息子たちは家康の孫になりますね。

なお、輝政の妹は秀次の正室でしたが、文禄4年(1595年)の秀次事件で多くの妻妾が処刑されたのに、例外的に助命され、特別丁重に扱われました。

輝政は秀吉の時代、豊臣一族に準じて遇されていたのですが、秀次事件の連座で失脚した人も少なくない中、特筆すべきことと思います。

4、関ヶ原後、播磨姫路52万石をゲット

輝政は秀吉死後には家康に接近、福島正則や加藤清正、武断派の諸将らと共に行動し、石田三成らと対立、加藤清正らと三成襲撃事件を起こしております。

1600年の関ヶ原の戦いでは前哨戦の、織田秀信(信長嫡孫で兄の義理の甥でもある)の岐阜城を攻め、もと岐阜城主としてあっさりと城の攻略を成功させました。そして岐阜城攻略の功績で播磨姫路52万石に加増移封されて、今に残る姫路城を築城したのです。

なお、督姫との間の息子忠継、忠雄らは、家康の孫なので、幼くしてそれぞれ岡山28万石、淡路6万石が与えられ、父輝政が管理、そして弟長吉の鳥取6万石なども合わせると、池田家はほぼ100万石領したことになり、あれほど大きな姫路城が作れたということです。

輝政は、二条城での家康と秀頼との会見に同席後、51歳で中風で死去。輝政の子孫は、岡山藩31万石、鳥取藩32万石として明治維新まで続きました。

まとめ

信長の乳兄弟から織田家の親戚、重臣となった池田家は、次の代の輝政も秀吉の猶子として一族待遇、その後、関ヶ原での功績と家康の婿としてのコネもあって大大名となりました。

輝政は督姫との縁組が決まった後、家康の伏見の邸で、父恒興を討ち取った家康の家臣の永井直勝に、その最期を語らせたとき、直勝がどれだけ加増されたか聞いて、「え、父の首はたったの5000石」とぼそっとつぶやいたため、それを聞いた家康は慌てて直勝を加増して1万石の大名にしたという話があります。

家康の婿として大名になったことをからかわれても、冗談で返した(ちょっと卑猥で書けませんが)など、おおらかな性格だったようです。

池田家がなんで生き残ったのか不思議に思っていた私、やっぱり表面的な武将としての功績だけでなく、性格から親戚関係まですべて総合してみて、なるほどと思う気がするのですが・・・。

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  この記事を書いた人
angelica さん
子供の頃からの歴史好きです。 特に、女性史と外国人から見た日本史に興味を持っています。 最近は、ネット検索でどこまでも系図をたどったり、 再評価された人物とか、新しい発見とかを見つけて 学び直すなど、改めて歴史を楽しんでいます。

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