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鎌倉幕府成立は平清盛の継母が認知症だったおかげ?

平治の乱の後、本当なら処刑されるはずだった頼朝が生き残った訳は何だったのでしょう。一つの温情が自らを滅ぼし、歴史を大きく変えてしまう典型的な事例ですね。

源氏と平氏が激突

一般によく言われる「源平合戦」。源氏と平氏の骨肉の戦いのことですね。両氏が争うことになったのが、平安時代に起こった「保元の乱」及び「平治の乱」とされています。

ただ、保元の乱は後白河天皇と崇徳上皇が衝突して起こった政変で、源氏と平氏はどちらも後白河天皇について勝者となっています。この乱で、朝廷が武士の力を利用したことから、武士の存在感が大きくなっていきました。

そして源氏と平氏が激突したのが「平治の乱」です。まさに「源平合戦」という壮大な闘いが始まる第1幕となります。きっかけは保元の乱後の恩賞とされ、源義朝が平清盛より低かったことに怒ったためだとか。

熊野詣のため平清盛が京都にいない間を狙って、源義朝が兵を挙げます。始めは源氏側の勝利のように見えましたが、この謀反を知った平清盛が急いで都に戻り形勢逆転。平氏の兵力が大きく源氏を上回り、平家の勝利に終わります。

源氏一族は全て死亡

首謀者の源義朝は、一旦退却したものの部下に裏切りにあい、尾張で殺されます。次男の朝長は戦死し、長男の義平は潜伏後に京に戻り、平清盛の暗殺に失敗して処刑されるなど、一族の全員が戦死するか処刑されました。

そして、幼少の子供たちは出家してお寺に預けられるのですが、その中の一人である鞍馬寺に預けられた牛若は、後の義経となりますね。

「平治の乱」の敗北で平清盛に捕えられた頼朝ですが、源氏の正嫡(正室の長男で跡取りのこと)だったため処刑は決定的でした。しかし、清盛の継母池禅尼が懇請したことで減刑され、島流しとなります。

実はこの時、池禅尼は今でいう認知症を患っていて、頼朝を死んだ息子と思い込むあまり、殺さないで欲しいと必死で清盛にすがったという説も伝わっているんですよね。

島流し

命拾いをした頼朝は、伊豆に流されることになります。

仮にも頼朝は、島流しにあった罪人、社会的な地位などはありません。なので、所領や家来などを持つことは許されず、伊豆国の外にも出られませんでした。しかし、天皇の皇子の子孫でもある源氏の跡取りということもあり、豪族やまだまだ地位の低かった武士などが、頼朝の周りに集まってきて、毎日が放蕩三昧で生活に困ることはありませんでした。

更には、乳母の比企尼の援助や、尼の娘婿の安達盛長・河越重頼・伊東祐清や甥の比企能員など、頼朝の支援者が数多くいたのも事実のようです。援助は、金銭や物資だけに留まらず、京都の情報も定期的に入ってきました。

最初は、罪人として伊豆で一生を終わると思っていた頼朝でしたが、さまざまな援助や詳しい都の情報も溜まり、家柄から武士の統領となっていくことで、平氏を討伐して源氏が返り咲く策略を練っていたのかもしれませんね。

鎌倉幕府

機が熟したと判断した頼朝は、当時平氏でもあった伊豆の目代(国主の代理人)を討ち、「今後、頼朝が伊豆を支配する」と宣言します。

数多くいた平家に恨み持つ武士も頼朝の軍に参戦。そして千葉に渡った頼朝は、たくさんの豪族を味方にして、房総や常陸の国府を次々と陥落させ、平家の支配を打ち砕きます。目代や国司の支配を武士の手に移した頼朝の下に、他の豪族達のほとんどが結集することになりました。

「吾妻鏡」によると、治承4年(1180年)12月に、頼朝の邸となる大倉御所と幕府の原型とされる侍所が置かれます。今ここに、武家政権の実態が形成された瞬間でした。

朝廷は、東国よりの官物・年貢納入と引き換えに、頼朝の東国支配権を公認。その後、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした頼朝は、建久3年(1192年)に征夷大将軍となり、名実ともに武家政権の成立を成し遂げ、全国的な支配権を確立するに至ったのでした。

思えばあの時、予定通りに頼朝を処刑しておけば、平氏が滅ぶこともなく、歴史も大きく変わっていたことでしょう。認知症の継母が自分の息子と錯覚したことで、こんなことになってしまうなんて思ってもみなかったこでしょうね。

しかし、いかに老人の勘違いとはいっても、頼朝は池禅尼の恩を忘れませんでした。伊豆で挙兵した後もその息子である頼盛を優遇し、平家滅亡後も頼盛の一族は、朝廷や幕府の要職として存続したのです。

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  この記事を書いた人
五百井飛鳥 さん
聖徳太子に縁のある一族の末裔とか。ベトナムのホーチミンに移住して早10年。現在、愛犬コロンと二人ぼっちライフをエンジョイ中。本業だった建築設計から離れ、現在ライター&ガイド業でなんとか生活中。10年以上前に男性から女性に移行し、そして今は自分という性別で生きてます。ベトナムに来てから自律神経異常もき ...

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