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【壁画発見50周年】高松塚古墳をご紹介

はじめに

奈良県高市郡明日香村には、メイン画像の様な人達(男子群像や女子群像)が描かれた壁画が発見された、高松塚(たかまつづか)古墳があります。

昭和42年(1972)3月に高松塚古墳の壁画は発見され、当時の歴史学を大きく揺さぶりました。その壁画が発見されてから現在、50周年を迎えようとしています。

そこで今回は高松塚古墳の説明を簡単にしていきたいと思います!

高松塚古墳とは?

高松塚古墳は6世紀の終わり頃に造られた、直径18m、高さ5mの円墳(丸い形の古墳)です。

石室は凝灰岩で出来ています。被葬者は現時点では不明ですが、男性の人骨や海獣葡萄鏡、太刀、装身具の出土、極彩色の壁画の発見から、かなり高貴な身分の男性が埋葬されていたのではないかと考えられています。

※写真1 現在の高松塚古墳の様子。整備されて公園になっています。

どんな壁画があったのか?

高松塚古墳が一躍有名になった理由は、昭和42年(1972)の発掘調査において、極彩色の壁画が発見されたからです。

壁画の発見は大変珍しく、高松塚古墳の壁画によって日本の考古学ブームが巻き起こりました!

※写真2 高松塚壁画館(奈良県明日香村)。模写やレプリカを通して高松塚古墳を分かりやすく紹介しています。
★天井
天文図や星宿図が描かれています。

★東壁
手前から男子群像、四神のうちの青龍とその上に描かれた太陽、女子群像描かれていたと考えられています。太陽には三本足の八咫烏(ヤタガラス)が描かれた痕跡が残っています。

★西壁
手前から男子群像、四神の内の白虎とその上の月、女子群像が描かれていたと考えられています。月にはウサギやカエルが描かれた痕跡が残っています。

★南壁
盗掘孔があって残ってませんが、四神の内の朱雀が描かれていたと考えられています。

★北壁…四神の内の玄武が描かれています。
四神は中国の陰陽道にまつわる神様で、東西南北の4つの方角を守っており、東の方角を青龍(青い龍の姿の神様)、西の方角を白虎(白い虎の姿の神様)、南の方角を朱雀(赤い鳥の姿をした神様)、北の方角を玄武(蛇に巻き付かれた黒い亀の姿をした神様)が守護しています。

女子群像は高松塚古墳の壁画の中で特に有名であり、男子群像と合わせて4人人グループで描かれています。

女子群像が如意(にょい)・円翳(えんえい)・払子(ほっす)、男子群像が胡床(こしょう)・毬杖(ぎっちょう)・蓋(きぬがさ)・武具・鞄を持っており、それらは元日朝賀の儀式に参加する官人の持ち物と同じものを持っています。

なお、女子群像は地元の人や歴史愛好家の中では「飛鳥美人さん」として親しまれています。

おわりに

現在、この高松塚古墳の壁画発見50周年を祝って、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館や、明日香村で、古墳や壁画にまつわる特別展やシンポジウムが行われる予定らしいです。

これをきっかけに是非、高松塚古墳の「飛鳥美人さん」を観に行ってはいかがでしょうか?

● 参考文献
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所 2006 『高松塚古墳の調査』独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所 2005 『高松塚古墳の調査 飛鳥藤原第137次』現地説明会資料

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  この記事を書いた人
まっさん さん
お寺が好きなどこかの大学院生です。 考古学を専攻しており、古代日本史が大好きです! 将来の夢は文化財専門職

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