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明治は冒険家の時代だった。南極からジャングルまで旅した冒険家たち
- 2022/03/10
千島から南極探検・白瀬矗
白瀬矗(しらせ のぶ)といえば、南極探検で有名な探検家です。今でも使われている南極観測船「しらせ」は彼の名前にちなんでつけられました。そんな白瀬矗は、幕末にお寺の子として生まれ、幼い頃からわんぱくな少年でした。
成長しても冒険心が抑えられなかった彼は、まず、千島列島の探検を行いました。そして、その業績を引っさげて大隈重信などに出資をつのり、当時は前人未到だった南極点到達に挑みます。
当時、イギリスのスコット隊、ノルウェーのアムンゼン隊も南極点を目指していました。南極探検は冒険というだけではなく、国家の威信も背負っていた一大事業だったようですね。
白瀬隊は惜しくも途中で棄権しましたが、全滅を免れて無事帰国の途につきました。その後は借金を抱えてしまい、全国各地で講演活動を行ったそうです。
良くも悪くも、冒険に人生をかけた生き様でした。
ちなみに、白瀬隊もアムンゼン隊も南極の気候にあわせて犬ぞりを使いました。しかし、イギリスのスコット隊は馬が主力だったため、馬たちは寒さに耐えきれずほとんどが死んでしまいました。そして、移動手段を失ったスコット隊も全滅することに…。
冒険には事前の調査が必要、ということですね。
自転車で無賃世界一周、バンカラ冒険家・中村春吉
中村春吉(なかむら はるきち)は、「バンカラ(言動などが荒々しい様子)」という言葉が最も似合う探検家です。若い頃から冒険が好きで、幼い頃から朝鮮やハワイへ赴きました。ある時、春吉は貿易事業の見聞を広めるため、自転車で世界一周旅行を思い立ちました。
中村春吉の面白いところは、ほとんど無賃で旅をしたところです。
自らを旅費に必要な汽車賃・船賃・宿賃・家賃・地賃などを克服した「五賃将軍」と称していました。
その土地に住む日本人や、有力者と仲良くなり「こいつを無料で乗せてやってくれ」と一筆書いてもらったりして、旅を続けたのだとか。
そんな中村春吉の破天荒な冒険は、明治時代のSF冒険作家・押川春浪によって小説にされたり、写真が絵葉書として発売されたりしています。
モンゴルの旅で生まれたカルピス・三島海雲
誰もがよく知る飲み物「カルピス」は、ひとりの男の冒険によって生まれました。三島海雲(みしま かいうん)は浄土真宗の僧侶の子で、当時の本願寺派法主(最高指導者)大谷光瑞にかわいがられました。この大谷光瑞もまた、仏教研究のため中央アジアへ探検に行っています。
その後、海雲は光瑞の紹介で戦争用の馬の買付のため満州へ渡りました。しかし途中、仲間がスパイ容疑で処刑されたり、自分も疑いをかけられたりと、大変な目に会いました。
そんな過酷な旅の途中に、海雲はモンゴル遊牧民のパオで飲んだ飲料を大いに気に入り、日本に帰って研究開発したのが「カルピス」だったのです。
まとめ
日本人はもともと旅が好きな民族なのかもしれません。鎖国の間も「お伊勢参り」や「富士講」など国内への旅行が盛んに行われていました。明治に入り海外旅行がタブーでなくなると、またたく間に世界各国へ旅立ち、世界をまわり、異国に根をおろしてしまいました。
そんな日本人のもともとの好奇心が、明治時代の冒険家たちを生み出したのかもしれませんね。
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