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江戸時代に”恋愛”はなかった?明治に生まれた言葉たち

 明治時代になり、新しい社会体制や生活様式が導入される中で、さまざまな新しい言葉が作られました。今では当たり前に使っている言葉の中には、明治人たちの創作と翻訳のたまものなのです。

文明開化で生まれた言葉

 明治の近代化にともない、鉄道や太陽暦といった西洋文明のシステムが導入されました。しかし旧来の江戸時代にはないシステムを使いこなすため、新たな言葉が必要になったのです。

東京

 当たり前ですが、この「東京」という言葉、江戸時代以前には存在しませんでした。江戸が東京と名前がかわったのは慶応四年のこと。当時の呼び名は「とうけい」が主流でした。

 また、当時は京都のことを「東京」に対して「西京」と呼んでいたのだそうです。

年賀状

 江戸時代から明治初期ごろまでは、相手の家に年始のあいさつへ赴(おもむ)くのが慣習になっていました。しかし明治に入り、その慣習は徐々に簡略化していきます。

 さらに、郵便システムの浸透によって、都市部を中心に人々は年始のあいさつを年賀状で済ませるようになりました。

時間

 江戸時代の時間の長さは季節によって変わる「不定時法」でした。しかし、太陽暦の導入と鉄道によって、時間は固定されていきます。

 鉄道の運行をスムーズにするためには、決まった時間を作る必要があったんですね。

 新しい時間の概念に慣れるまでは多少時間がかかりました。当時の時刻表では旧来の「時(とき)」と時刻を表す「時」を区別するために「字」という漢字を当てていたそうです。

 その後、徐々に西洋式の時間表記が浸透し「time」「hour」を表す単位として明治の末に「時間」が使われるようになりました。

翻訳の中から生まれた言葉

 明治時代の人々は西洋の知識や文化を取り入れるため、海外の書籍を翻訳する必要に迫られました。

 しかし、西洋の習慣や社会体制、人間関係など、これまでの日本語では「当てはまらない言葉」の壁が現れたのです。

 そのため当時の翻訳者たちは、試行錯誤の中から新しい言葉を作り出すことになりました。

個人

 明治時代になると、欧米の自己主義思想が導入され「個人」という意識も芽生えていきました。もっとも、最初の自己主義は「わがまま」というネガティブな意味でしたが。

 封建制度が残る明治の世では、「個人」が意見を通すことは、まだまだ難しかったのでしょうね。

恋愛

 明治になると西洋から「恋愛」の概念が持ち込まれ、「Love」の訳語として「恋愛」という言葉が生まれました。

 やがて、女学生雑誌の誌面に現れた「恋愛」という言葉は女学生の間に広まり、徐々に定着していきました。

 最初は「恋着」「恋情」といった言葉も用いられましたが、これらの言葉はどこか粘着質で、清廉な恋愛を願う女学生たちには受けが悪かったのかもしれません。

冒険

 明治時代、人々は冒険をもとめて南極やアジアの密林、中国大陸へ旅立っていきました。そんな「冒険」も実は明治時代に作られた言葉です。

 「冒険」は英語の「Adventure」の訳語です。「危険を冒してまで行動する」という意味を持つこの言葉は、押井春浪などが描いた明治の冒険小説のヒットにともない定着しました。

 ちょうどその頃、白瀬矗(しらせのぶ)の南極探検や、中村春吉の世界一周無銭旅行など、世界を冒険する日本人が活躍しはじめました。「冒険」という言葉が現実味を持って、人々の好奇心をかき立てていったのでしょうね。

・明治は冒険家の時代だった。南極からジャングルまで旅した冒険家たち

まとめ

 明治維新は政治だけでなく、さまざまなものが変化した時代でした。その中でも「言葉」は江戸以前の書き言葉、話し言葉が異なる形式から、言文一致への劇的な変化が起こっています。

 そんな中、当時の知識人たちは知恵を絞り、新たな言葉を作ることで対応し、言葉の文明開化を成し遂げていきました。

 今では当たり前に使っている言葉も、先駆者たちの苦心の末に生み出されたものだと思うと、なんだか感慨深いです。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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