※ この記事はユーザー投稿です

京都広隆寺にある国宝弥勒菩薩像の不思議な由来

京都太秦の地に静かにたたずむ広隆寺、そこに安置されているのが、国宝の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゅいぞう)です。

国宝彫刻第1号という貴重な仏像なのですが、この弥勒菩薩が辿った数奇な運命に聖徳太子と秦河勝との友情など、心は既に古代の日本に…。

広隆寺

山城最古の寺院である広隆寺は、京都市右京区の太秦蜂岡町にある寺院で、ご本尊は聖徳太子になっています。蜂岡寺・秦公寺・太秦寺などといった別称のある寺院で、地名を付けて太秦広隆寺とも呼ばれています。

広隆寺は、渡来人系の氏族として知られる秦氏の氏寺としても知られ、平安京遷都以前から存在している京都で最古の寺院なんです。ここで、注目したいのが、ご本尊が聖徳太子ということと秦氏の氏寺ということです。

この広隆寺は、飛鳥時代にさかのぼり、聖徳太子と秦河勝との深い関係を示した寺院なんですね。

秦氏の氏寺

日本人のルーツを紐解いていくと、大陸から渡って来た渡来人がヤマト王権成立後に同化が進んだとされています。

渡来系氏族という言葉は、3世紀から7世紀にかけて大陸より帰化した秦氏などの有力氏族を指しているんですね。ただ、現在の日本政府は歴史的に遥か後に登場するアイヌを、日本の先住民族としているんです。こんな嘘に踊らされる、現代の国の指導者は情けない限りですね。

話を戻します。秦氏一族は、八幡神社や稲荷神社などを創祀した一族であるということでも知られています。さらに、蚕や絹などの織物・土木技術・砂鉄や銅などの採鉱、及び精錬・薬草などの分野に優れていました。その技術力と豊富な資金をバックにして、聖徳太子が行う改革に多大な協力を行っていたのです。

また、奈良時代に制定された戸籍・半布里戸籍には、秦氏の記述も残されています。平安時代の代表的な高僧である最澄と空海も、秦氏とは縁が深かったようです。

平安遷都に際しても、秦氏の財力と技術力が重要でした。平安時代になって、秦氏の民の多くが惟宗氏を名乗るようになりましたが、そのまま秦氏を名乗る家系も多く残っています。楽家として有名な東儀家などもそのうちの一つなんですよ。

国宝弥勒菩薩像

弥勒菩薩(みろくぼさつ)とはどんな菩薩様なのでしょう。お釈迦様が亡くなった後、56億7千万年後の世に降臨され人々を救う仏様とされています。弥勒菩薩半跏思惟像(みろく ぼさつはんかしゅいぞう)は、片足を他方の足の上に乗せ台に座ったお姿で、人々を救済する方法を考えているそうです。

※木造弥勒菩薩半跏像(国宝・広隆寺蔵、通称「宝冠弥勒」、wikipediaより)
※木造弥勒菩薩半跏像(国宝・広隆寺蔵、通称「宝冠弥勒」、wikipediaより)

広隆寺に祀られている「宝冠弥勒菩薩半跏思惟像」、別名「宝冠弥勒」は、国宝指定の第1号です。右手を頬にあて微笑する姿、神秘的な美しさを秘めていますね。切れ長の目や鼻筋のラインが簡潔で美しいです。うつむき加減に思索にふける様子で、口元に穏やかな微笑みを浮かべているように見えますね。

現在の仏像からは木肌が現れていますが、制作当時では漆の上を金箔で覆っていたそうです。当時、日本の仏像にアカマツの木を使って彫りだすことは珍しく、そのことから朝鮮半島から伝来した仏像ではないかという説が主流になっています。

泣き弥勒

実は広隆寺には、もう一体の弥勒菩薩半跏思惟像が安置されています。表情をよく見ると、泣いているようにも見え、泣き弥勒 (なきみろく)とも呼ばる仏像なんです。7世紀の作とされ、クスノキから彫りだされています。もちろん、こちらの菩薩様も国宝です。

※通称「泣き弥勒」(国宝・広隆寺蔵、wikipediaより)
※通称「泣き弥勒」(国宝・広隆寺蔵、wikipediaより)

「宝冠弥勒」に比べると、マイナーですが、仏像の魅力は決して引けを取っていません。全高90cm・像高66.3cmとかなり小柄ではあるものの、一木造りの漆箔で作られています。天衣が垂下がる部分と右足にかかる裳裾は皮が表現されています。素晴らしい飛鳥時代作の仏像ですが、泣いている表情の仏像なんて見たことがありませんよね。

友情の証

飛鳥時代、聖徳太子の後ろ盾になって力を尽くしてくたのが秦河勝です。太子が行った多くの事業は、秦氏なくてはならないものばかり。秦氏が日本にやってきて帰化をする時からその後の一族の生活までを全力で擁護した聖徳太子に、恩義を感じていました。ですので当時、秦氏の当主だった秦河勝は、こちらも全力で太子を支えます。

その秦河勝に太子が感謝の心を込めて贈ったのが、弥勒菩薩半跏思惟像なんですよ。そうです、広隆寺に安置されている菩薩様ですよね。この時贈られた菩薩様は、彫られた時の年代から考えて、泣き弥勒の可能性が高いかもですね。

※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。

  この記事を書いた人
五百井飛鳥 さん
聖徳太子に縁のある一族の末裔とか。ベトナムのホーチミンに移住して早10年。現在、愛犬コロンと二人ぼっちライフをエンジョイ中。本業だった建築設計から離れ、現在ライター&ガイド業でなんとか生活中。10年以上前に男性から女性に移行し、そして今は自分という性別で生きてます。ベトナムに来てから自律神経異常もき ...

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。