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源義経は追放後どこへ?大阪に残る「よろい掛け松」と逃走ルート

源義経は兄・源頼朝の片腕として活躍を見せますが、その後頼朝との関係が悪化。頼朝に追放され、逃走することとなります。実は逃走中に義経が立ち寄ったとされる伝説が残る場所が全国に存在します。

どこまでが真実かはわからないままですが、今回はそんな中からいくつかのスポットを紹介し、義経の逃走ルートについて考えてみたいと思います。

義経は都落ちして奥州へ

義経は都落ちし約1年関西に潜伏した後、藤原秀衡を頼り、奥州へ向かうことになります。

船が座礁して大阪に戻された一行

文治元年(1185年)11月、義経一行は京都を出発し、船で九州へ向かいます。しかし、実は都(京)を出発した時は逃走のためではなく、四国と九州を治めるためでした。

タイムラグがあり義経には伝わっていませんでしたが、この時には頼朝からの義経追討の兵が出発しており、結果的にこの時義経が京都を出たことは「都落ち」というかたちになってしまいました。

このように九州を目指し出発した義経一行でしたが、悪天候のため船は座礁し、大阪に押し戻されてしまったといいます。この時戻されたのが、現在で言う大阪市の大正駅付近だったそうです。

当時から周辺には木津川が流れていました。義経一行はこの木津川を泳いで渡り、大阪府内の内陸方面へ。義経一行がまず目指していたのが住吉大社(大阪市住吉区)。そして住吉大社にたどり着く前に現在の天王寺区にある、聖徳太子が建立した四天王寺で休息をとったといわれています。

四天王寺に残る義経よろい掛け松

義経一行が四天王寺に休息を取りに立ち寄った際、義経がちょうどいい高さの松に自分の鎧を立てかけ、休息をしたという伝説が残っています。その松が「義経よろい掛け松」です。

現在のよろい掛け松は現代(1984年)に寄贈されたものですが、四天王寺の記録では、江戸後期の資料にある絵図にはこの松が描かれているといいます。

この先、義経一行は苦難が待ち受けていることが予想されています。義経はここ四天王寺でどんな思いで過ごしたのでしょうか。

吉野や比叡山での潜伏

義経一行は住吉大社で過ごした後、畿内を転々とし、潜伏することになります。

まず向かったのが吉野山。主に身を潜めていたのは吉野山、興福寺、比叡山などで、これらには挙げきれないほど数多くの義経一行に関する伝説が残っています。

興福寺は、武士や武家の介入できない治外法権を持っていたとされる寺院です。実際に興福寺に向けて義経討伐軍が向かいましたが、義経を見つけることができず帰っていったという記録も残っています。

奥州までのルート

義経一行が畿内を出発したのは文治3年2月ごろと言われています。義経は幼いころから奥州・藤原秀衡の元に預けられていました。そのため藤原秀衡を頼り逃亡を開始したといいます。奥州までは約半年かかったとされていますが、その逃走経路は明確ではありません。

内陸部を北上した説、能登を経由した説、どこかから船を使った説、太平洋側を北上した説…と諸説存在します。そしてそのそれぞれに真実味のある伝承が残っており、現在でも義経が通った名残であると信じられている場所があります。

本当に義経が通ったのか真実はわかりませんが、北陸地方に残っている伝承が多くあるため、義経は北陸地方を通過したのでは?というのが通説のようです。

福井県・弁慶の洗濯石

義経と弁慶が逃亡中に、衣服を洗濯し旅の疲れを癒したと伝えられているところです

石川県・能登 義経の船隠し

義経が船で東北へ渡る計画をたたていた時悪天候に遭い、荒波を避けるため48隻もの舟を入り江に隠したと伝えられています。

吉野で愛妾の静御前と別れた義経は、弁慶などわずかな部下を連れて山伏に変装し、関所をうまく通過し、奥州までたどり着くことに成功したと言います。

その後義経は…

奥州まで到達し、無事藤原秀衡のもとに身を寄せた義経ですが、秀衡は病で亡くなってしまいます。そして義経は秀衡の息子、藤原泰衡に攻められてしまい、逃げ切ることができず自害したと言われています。

泰衡は義経の首を頼朝に差し出しましたが、逆に攻め滅ぼされてしまうという理不尽な最期を遂げるのですが、この差し出した首が本当に義経のものだったのか?という疑問が現代にまで残っています。

義経は逃げることに成功し、どこかに落ち延びたという説が根強く残っているからです。そして特に東北にはその後の義経が立ち寄ったとされるスポットも残っていると言います。モンゴルに渡りチンギス・ハンになったというとんでもない説まで残っているため、真実は未だにわからないままです。

まとめ

義経の圧倒的人気がそうさせるのかもしれませんが、義経ゆかりの地はいろいろな場所に残っています。中には真実味のある場所や、実際に記録として残っている場所もあります。

義経の人気からいわゆる「観光スポット」のひとつとして存在する逸話や史跡もあるかもしれませんが、伝説が残る地を日本全国訪れてみるのも楽しそうです。

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  この記事を書いた人
ゆかた さん

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