『源氏物語』光源氏のライバル頭中将はどんな人物か 親友で政敵?恋や出世競争…権力争いも

 紫式部の『源氏物語』には主人公・光源氏に並ぶ貴公子として頭中将(とうのちゅうじょう)が登場します。

 仲の良い親友であり、同じ女性をめぐって恋のライバルにもなります。一方、出世争いでは常に光源氏の後塵を拝し、年齢を重ねると、娘を天皇の妃にして権力をめぐる駆け引きも展開。頭中将は競争心を露わにします。

 光源氏にとって頭中将とはどんなライバルだったのでしょうか。

エリート貴族で光源氏の義兄

 頭中将は左大臣の嫡男。最上級貴族の御曹司で出世を約束されたエリートです。また、氏神を春日大社とし、この一族が藤原氏と示唆される場面もあります。

 妹は光源氏の妻・葵の上なので光源氏の義兄。さらに、光源氏の父・桐壺帝と頭中将の母・大宮は兄妹なので、従兄弟でもあります。

※参考:光源氏の人物相関(実線は親子、二重線は婚姻、二重の点線は不義、赤矢印の点線は恋愛関係)
※参考:光源氏の人物相関(実線は親子、二重線は婚姻、二重の点線は不義、赤矢印の点線は恋愛関係)

 妻は右大臣の四女。側室や愛人として夕顔、雲居雁の母、近江の君の母がいて、子供の多さからほかにもいるはずです。子供は10人以上。長男・柏木や次男・紅梅(弁少将)、三男・藤侍従たちがいます。さらにちらっと出てくるのは、左少将、少納言、兵衛佐、侍従、大夫などの息子たち。娘は弘徽殿女御、玉鬘、雲居雁、近江の君の4人です。

「頭中将」は役職名 実名は不明

 頭中将とは蔵人頭と近衛中将を兼任した者の通称です。

 蔵人頭は天皇の第1秘書。蔵人所の長官・蔵人別当に次ぐ地位ですが、別当は大臣が兼務し、蔵人頭が実質的なトップです。近衛中将は天皇を警護する近衛府で大将の下の次官。つまり頭中将は秘書兼ボディーガードで、天皇に最も信頼された側近なのです。

 『源氏物語』の頭中将は個人名のように使われていますが、ほかに呼びようがないため。その後、権中納言、右大将、内大臣、太政大臣と出世し、物語の中でもそのときの官職名で登場します。最後の呼称は「致仕の大臣(ちじのおとど)」。引退した大臣ということです。

「雨夜の品定め」若き日の女性談義

 光源氏17歳のころ、五月雨の日が続き、宿直(とのい、宿泊勤務)の光源氏を頭中将が訪ねてきます。頭中将は光源氏に送られたラブレターを見たいと、厨子棚を物色。本人の前で堂々と手紙を開くのですから本当に遠慮のない仲です。そこから女性の品評に発展します。

中将:「非の打ちどころのない女性というのはめったにいませんね。上流階級の女性は周りに大事にされて欠点も隠れてしまいます。その点、中流階級の女性は個性がはっきり出て、良し悪しが判別できる点も目につくはずです」

 頭中将は女性についてあれこれ知ったふうな話ぶり。さらに左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)が加わり、各人が経験談をもとに女性についてあれこれ言いたいことを言い合います。光源氏はもっぱら聞き役。「雨夜の品定め」です。

 頭中将は恋人の話を打ち明けます。内緒で通っていた女性がいて、万事控えめで、関係が長続きするとは思っていなかったものの、そのうち愛情が深まり娘も誕生。ひたすら頭中将を頼っている女性でしたが、正室(右大臣の四女)の嫌がらせを受けて姿を消してしまいました。頭中将は恋人と幼い娘を探していますが、まったくあてがないと嘆きます。

 それは、後に光源氏の恋人となる夕顔とその娘・玉鬘(たまかずら)だったのです。

失脚した光源氏を一人見舞う

 光源氏は宮中の淑景舎(しげいしゃ)で宿直することが多く、また自邸・二条院もあり、妻・葵の上のもとにはあまり姿を見せません。淑景舎は通称・桐壺。もとは母・桐壺更衣の住まいで、光源氏にとって居心地の良い場所でもあります。

 左大臣家では、葵の上との関係が淡白な光源氏に不満を持ちつつも衣服の新調などあれこれと世話をし、頭中将は桐壺で宿直する光源氏にそれらを届けます。

 頭中将も妻の家・右大臣家にあまり行かず、遊び歩いていました。いまだに実家・左大臣家の自分の部屋をきれいに飾っているような状態です。

 光源氏と頭中将の仲良しエピソードはほかにもあって、紅葉賀の宴では舞踊「青海波(せいがいは)」を2人で舞い、そろって昇進します。2人の舞の素晴らしさはリハーサルから桐壺帝を喜ばせ、見る人を圧倒しました。

 光源氏が失脚し、京を離れたときは、頭中将(このときは宰相)は右大臣家などの不興を買うことを恐れず、光源氏を励ますため須磨に行き、気骨のあるところをみせます。

恋のライバル 末摘花をめぐり恋文合戦

 光源氏は18歳のとき、末摘花(すえつむはな)に求愛します。親しい女官・大輔命婦に話を聞いて密か末摘花の住む故常陸宮邸を訪れたとき、頭中将と鉢合わせ。何と、頭中将は光源氏を尾行していました。頭中将は光源氏の行動が気になるようです。

 2人は琴の演奏を聞いただけで末摘花に興味を持ち、その姿を見ないうちから競ってラブレターを送ります。末摘花はとても内気な性格。双方に返事はありません。結局、光源氏が大輔命婦の仲介で末摘花を恋人とします。ところが、光源氏は末摘花の容姿に驚くという失礼な展開。頭中将としても負けてもともとの勝負だったようです。

 また、葵の上に仕える女房・中務の君(なかつかさのきみ)は頭中将の誘いを袖にして、たまに会う光源氏のほうにひかれていました。ここでも頭中将は残念な結果に終わりました。

超熟女・源典侍をめぐる悪ふざけ

 光源氏、頭中将ともに男女関係になったのが源典侍(げんのないしのすけ)です。内侍所の次官で、桐壺帝の信任も厚く、教養、家柄も申し分ないのですが、57~58歳で年齢をわきまえない色好みの女官として描かれています。

 頭中将は光源氏との密会現場を発見。押し入って太刀を掲げて脅したので源典侍は大あわて。光源氏は闖入者が頭中将と分かって安心したのか、2人は互いの服を引っ張ったり、直衣(のうし)の袖を引きちぎったりしてふざけ合います。源典侍は高齢ですが、なかなかぶりっ子で、光源氏、頭中将ともにもてあましていたようです。

娘の入内 光源氏との宮中対決

 頭中将(このときは権中納言)は娘・弘徽殿女御を冷泉帝の妃として入内させます。年齢は冷泉帝13歳、弘徽殿女御14歳とつりあいが取れ、いずれ中宮(皇后)にと考えていました。

 そこに光源氏が養女を入内させます。斎宮女御とか梅壺女御と呼ばれます。年齢は冷泉帝より9歳上でしたが、絵が得意なため冷泉帝に急接近。頭中将は焦り、絵師を雇って新作をどんどん作らせ、弘徽殿女御に贈ります。娘が冷泉帝に気に入られるためです。この話を聞き、光源氏は競争心をむき出しにする頭中将らしいやり方だと笑います。

 これは「絵合わせ」という対決に発展。弘徽殿女御と梅壺女御がそれぞれ絵を出して、どちらが優れているか批評し合い、勝敗を決めます。両女御の背後にいる頭中将と光源氏の対決でもあり、最後に光源氏が失脚して京を退去した不遇の時期に描いた須磨の海の絵がみんなを感動させ、勝負を決めました。この後、梅壺女御は中宮となり、秋好中宮と呼ばれます。

 頭中将は娘を中宮にしようとして失敗。光源氏の養女が中宮となるのです。娘を入内させて天皇への影響力を強める政治手法は当時の藤原氏の常套手段。政治の実権をめぐる上級貴族の駆け引きです。

娘と光源氏・嫡男の恋で関係悪化

 頭中将の娘・雲居雁は祖母・大宮のもとで育てられ、幼いときから光源氏の嫡男・夕霧と仲良くしていました。夕霧12歳のころ、恋人のような仲になっていると知り、頭中将(このときは内大臣)は2人を引き離します。弘徽殿女御での失敗にも懲りず、雲居雁を皇太子妃にしようと目論んでいたのです。

 このことで頭中将と光源氏の関係は一気に険悪になりました。結局、頭中将の思惑通りに進まず、6年後、夕霧と和解。頭中将が折れる形で雲居雁との結婚を認めました。

出世競争では常に光源氏の後塵

 光源氏と頭中将の出世競争は、光源氏が常に一歩先に進みます。

 光源氏18歳のころ、頭中将と見事な舞を披露し、光源氏は正三位、頭中将は正四位下に昇進。その後も光源氏は宰相(参議)、右近衛大将、頭中将は三位中将、宰相中将と出世します。

 光源氏は一時失脚しますが、28歳で権大納言として政界復帰。29歳のときは冷泉帝即位に伴い、右大臣としていよいよ政権中枢の重職に就き、頭中将は権中納言として光源氏を補佐する立場に就きます。光源氏33歳のとき太政大臣、頭中将は内大臣に。そして、光源氏は39歳で准太上天皇となり、頭中将は太政大臣。ついに政界の頂点に立ちます。

関白に就任し、政治の実権握る

 頭中将は内大臣に昇進した際、太政大臣・光源氏に関白の仕事を委ねられました。このとき30代後半。光源氏の陰に隠れていますが、かなり若いときに政治の実権を握ったのです。

 また、光源氏が内大臣のときも引退していた頭中将の父が政界復帰して太政大臣と摂政を務めます。
藤原氏が圧倒的な政治権力を持ち、ほかの貴族はあえて藤原氏とは争わないという平安時代の現実とも重なり、光源氏は頭中将やその実家に政治の実権を譲っているのです。左大臣家は春日大社を氏神とし、藤原氏であることが示唆されています。頭中将はまさにこの時代の勝者だったのです。

おわりに

 頭中将は負けず嫌いで、性格も光源氏と対照的。すぐに行動に移すタイプで、ちょっと頑固な面もあります。これが光源氏とのライバル関係を面白くしています。また、頭中将は政治家としても正義感が強くて実務処理能力も高かく、学問にも熱心でした。政治家としては有能で実権も握っていたのです。光源氏に負けっ放しというわけではなく、実は恵まれた生涯を送った成功者だったのです。


【主な参考文献】
  • 今泉忠義『新装版源氏物語 全現代語訳』(講談社学術文庫)
  • 紫式部、角川書店編『ビギナーズ・クラシック日本の古典 源氏物語』(角川ソフィア文庫、2001年)
  • 秋山虔、室伏信助編『源氏物語必携事典』(角川書店、1998年)

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  この記事を書いた人
水野 拓昌 さん
1965年生まれ。新聞社勤務を経て、ライターとして活動。「藤原秀郷 小説・平将門を討った最初の武士」(小学館スクウェア)、「小山殿の三兄弟 源平合戦、鎌倉政争を生き抜いた坂東武士」(ブイツーソリューション)などを出版。「栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会」のサイト「坂東武士図鑑」でコラムを連載 ...

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