『源氏物語』モテモテの主人公・光源氏。その生涯や相関図を追えば、大体のあらすじがわかる!?

 紫式部の『源氏物語』。日本の古典で最も有名な物語ですが、現代語訳でも読み通した人は少ないのではないでしょうか。なにしろ54帖という長い物語です。しかし主人公・光源氏の生涯を追えば、あらすじは大体つかめます。

 光源氏はプレイボーイの代名詞として知られていますが、それだけではなく、実は出世を極めた総理大臣級の政治家でもありました。

 紫式部が描いた光源氏の生涯をみていきます。

桐壺帝の第2皇子として誕生

 光源氏はときの天皇、桐壺帝の第2皇子として誕生します。母は桐壺更衣。しかし親王にはならず、臣籍降下し、皇族を離れます。一般の貴族となったのです。

 このとき「源(みなもと)」の姓を得ますが、物語の中で実名は出てきません。「光る君」と呼ばれるほどの美貌と源姓を賜った源氏ということで「光源氏」と呼ばれるのです。いわばニックネームです。

12歳で結婚。正室は葵の上

 光源氏3歳のとき、母・桐壺更衣が病死します。

 桐壺更衣は桐壺帝に偏愛され、第1皇子である朱雀帝の母・弘徽殿(こきでん)女御(後の弘徽殿大后)たちの嫉妬を受け、通り道に汚物をまかれるとか、廊下の両端の扉を閉められるとか、いじめ抜かれました。その心労が死を早めたのです。

 数年後、桐壺更衣に似た藤壺が入内(じゅだい)。すなわち内裏に入り、天皇の妃となります。光源氏の義母ですが、年齢差は5歳。光源氏が最初に愛した女性です。

 光源氏は12歳のとき、葵の上(16歳)と結婚。この正妻とはぎくしゃくした関係が続きますが、その兄・頭中将(とうのちゅうじょう)は親友になります。

 光源氏が妻の家・左大臣家に通うのが当時の結婚スタイルですが、桐壺更衣の実家を改装した自邸・二条院があり、内裏での桐壺更衣の居所だった淑景舎(しげいしゃ)で宿直もします。光源氏の日常生活の場は3カ所ありました。

光源氏の人物相関(実線は親子、二重線は婚姻、二重の点線は不義、赤矢印の点線は恋愛関係)
光源氏の人物相関(実線は親子、二重線は婚姻、二重の点線は不義、赤矢印の点線は恋愛関係)

愛妻・紫の上との出会い

 光源氏はさまざまな女性と恋愛します。人妻・空蝉(うつせみ)とは一夜の逢瀬に終わり、新しい恋人・夕顔とは気が合いましたが、突然の死別という悲しい結末を迎えます。それは、嫉妬した別の恋人・六条御息所の生き霊による祟りでした。

 このころの恋人は年上が多いのですが、光源氏18歳のとき、京郊外・北山でかわいい少女に目が留まります。後の愛妻・紫の上ですが、このときは10歳くらいで若紫と呼ばれます。光源氏は若紫の祖母・北山尼に養育を申し出ますが、本気にされません。しかし、やがて体調を崩した北山尼は若紫の後事を託して死去。光源氏は若紫を連れ去るようにして自邸・二条院に引き取ります。

 少女誘拐という犯罪ですが、光源氏からすれば、今さら父に引き取られても異母兄弟の間で苦労するから保護したという言い分があり、若紫の侍女たちも光源氏の行動を了解していました。強引な展開ですが、若紫も光源氏を慕うようになります。

飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い若紫(紫の上)と、柴垣から隙見する源氏を描いたもの(土佐光起筆『源氏物語画帖』より。出典:wikipedia)
飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い若紫(紫の上)と、柴垣から隙見する源氏を描いたもの(土佐光起筆『源氏物語画帖』より。出典:wikipedia)

大ピンチ スキャンダルで京退去

 若いころの光源氏は危険な恋愛にも手を出し、危うく身の破滅を招くところでした。最大のスキャンダルは父・桐壺帝の妃である藤壺との密会とその結果です。さらに、政敵の姫との密会がばれて失脚、自ら京を去ることになります。

義母・藤壺との密会

 光源氏は亡き母への思いを重ねて義母・藤壺を慕い、求愛し続けます。藤壺は危険な恋を避けて拒みますが、里下がり(実家への帰省)の際、藤壺の侍女・王命婦を口説き落とした光源氏が部屋に侵入。関係を持ってしまいます。

 光源氏19歳のとき、藤壺は皇子(冷泉帝)を出産。わが子と疑わない桐壺帝は喜び、藤壺は女御から中宮へランクアップします。知る人が少なく騒ぎにならなかったのですが、光源氏と藤壺は重大な秘密と冷泉帝の成長について責任を共有する関係となります。

正妻・葵の上と死別

 光源氏と正妻・葵の上は相変わらずよそよそしい関係でしたが、光源氏22歳のとき、子ができました。表面上は長男である夕霧です。

 葵の上が懐妊中に外出した際、物騒な事件が起きます。賀茂祭の見物で先に場所取りをしていた牛車を押しのけて従者同士が派手に喧嘩した「車争い」です。被害者は六条御息所で、その生き霊の祟りで葵の上は出産直後に死亡。光源氏はこれまで冷淡だった夫婦関係を反省し、葵の上を失った悲しみに沈みます。

 一方、14歳に成長した紫の上(若紫)とは新枕(にいまくら、初夜)を交わし、夫婦関係になります。兄のように光源氏を慕っていた紫の上はショックを受けます。

朧月夜との密会が発覚

 光源氏は政敵・右大臣家の朧月夜(おぼろづきよ)とも恋愛関係にありました。朧月夜は桐壺帝の譲位を受けて即位した朱雀帝に仕える尚侍(ないしのかみ、最高位の女官)で、妃の一人です。

 光源氏25歳のころ、里下がりした朧月夜との密会現場を右大臣が発見し、朧月夜の姉・弘徽殿大后が激怒。これを口実に光源氏失脚を画策します。

 26歳の春、光源氏は政治的処分を回避するため自ら京を退去。愛妻・紫の上も残し、数人の家臣とともに須磨へ移ります。華やかな生活を続けてきた光源氏は失意のどん底にたたき落とされたのです。

政界復帰 政界の頂点に立つ

 光源氏は須磨から明石に移り、ここで明石の君と出会います。光源氏27歳、明石の君18歳。また、光源氏の夢に崩御した桐壺院が現れ、帰京を促します。同じころ、朱雀帝の夢枕にも桐壺院が立ち、帝は光源氏の召還を決めました。

 光源氏は28歳で京に帰還し、権大納言として政界に復帰。また、明石の君の出産も知らされます。光源氏の一人娘・明石の姫君(明石中宮)です。

ついには准太上天皇、破格の待遇

 光源氏29歳のとき、朱雀帝が譲位し、光源氏の知られざる実子・冷泉帝が即位します。光源氏は内大臣に昇進。葵の上の父は左大臣を退いていましたが、摂政太政大臣として政界復帰し、頭中将(このときは宰相中将)は権中納言となり、左大臣家の父子が出世します。

 光源氏は33歳で太政大臣という政界トップに立ち、39歳のときに准太上天皇の称号を得ます。譲位した天皇に準じるという破格の待遇は、冷泉帝の実父という秘められた関係があってのことですが、周囲は栄華の極みと捉えます。

 朱雀帝や冷泉帝に対する光源氏のアドバイスは政治的安定をもたらし、多くの人に歓迎されます。周囲の尊敬も集めますが、政治の実権は頭中将(内大臣、太政大臣と昇進)に譲る態度を取ります。

養女や娘を中宮に

 政治の実権に少し距離を置く光源氏ですが、政界工作は控えめなのかというと、そうではありません。まず、六条御息所の娘を養女にし、冷泉帝に入内させ、女御から中宮とすることに成功。娘を冷泉帝に入内させていた頭中将(このときは権中納言)を悔しがらせます。親友・頭中将は政治的ライバルになっていました。

 明石の君との間に生まれた明石の姫君も3歳で引き取って紫の上に養育させ、11歳のときに東宮(皇太子、帝の後継者)時代の今上帝に入内。後に中宮となります。当時の貴族は娘を天皇の妃として出世の足がかりとしていました。娘が皇子を産み、次世代の天皇になれば、その外祖父として権勢を振るえるからです。

ハーレム?大豪邸・六条院の完成

 光源氏35歳のとき、新邸・六条院が完成します。六条御息所の旧邸を含め4町という広さ。普通の貴族の屋敷の4倍です。南東の春の御殿には光源氏と紫の上、明石の姫君、女三の宮が、北東の夏の御殿は花散里(はなちるさと)、養女・玉鬘(たまかずら)、夕霧が住みました。南西の秋の御殿は養女・秋好(あきこのむ)中宮が里下がりする屋敷。それぞれに寝殿と東西の対の屋があります。北西の冬の御殿は寝殿がなく、明石の君が住みました。

 また、旧邸・二条院の東に増築した二条東院もあり、そこには末摘花(すえつむはな)、空蝉が住みました。光源氏はかつての恋人の生活の面倒をみています。

格好悪くふられた光源氏

 若いころはとにかくもてた光源氏。求愛を拒んだ藤壺や空蝉も人妻などの立場をわきまえたためで、秘めた思いは持っていました。しかし、中年になった光源氏には格好悪い場面もあります。養女の秋好中宮、玉鬘には言い寄った挙句にひどく嫌われます。また、朝顔の君への求婚も失敗。これは世間の噂になって、「相変わらず」とみられてしまいます。

幼い新妻・女三の宮の降嫁

 葵の上死後、紫の上は事実上の正妻でしたが、形式的には正妻ではありません。光源氏39歳のとき、朱雀帝の第3皇女・女三の宮が正妻として降嫁します。朱雀帝が後見のいない娘の行く末を案じ、最大実力者・光源氏に託したのですが、女三の宮はこのとき13~14歳。年齢が離れすぎて、しっくりとした夫婦関係は築けません。

 8年後、女三の宮は懐妊。しかし、頭中将(このときは太政大臣)の長男・柏木との密会がすぐに発覚。光源氏48歳のとき、薫が誕生します。光源氏は表向きわが子として愛しますが、柏木の子であるという疑いは持ち続けます。

描かれていない光源氏の最期

 光源氏51歳のとき、愛妻・紫の上が43歳の若さで病死。その死に顔さえも美しく描かれたヒロインの退場です。光源氏は1年もふさぎ込み、年賀の挨拶にも一部の人を除いて顔を出さないほどで、ショックの大きさがうかがえます。一周忌が過ぎると、思い出の手紙などを燃やしてしまい、光源氏は出家の決意を固めます。

 光源氏の登場は第41帖「幻」まで。残る13帖は少し時代が飛んで、次世代の物語となります。光源氏はその間に死去したことになりますが、直接的には描かれていません。

おわりに

 光源氏は26~28歳のときに失脚して京を離れましたが、復帰後は順調に出世し、政界の頂点に君臨した大物政治家です。一方、光源氏の政治的手腕は具体的には書かれていません。政治の安定をもたらしたようですが、実権はライバル・頭中将一家に譲っています。藤原北家主流の摂関家に実権を握られ、一歩引いた立場で政治に関わった当時の皇族出身貴族の現実が反映されています。

 また光源氏は絵画、音楽、舞踊など文芸部門で当代随一の才能を発揮。容姿も端麗で、多くの女性と恋愛しました。しかも紫の上に対する愛情は生涯変わらず持ち続けました。かつての恋人も、ほかに身寄りのない女性はほぼ全て自邸で生活させています。貴族らしい身勝手さはありますが、優しく愛情深い人なのです。


【主な参考文献】
  • 今泉忠義『新装版源氏物語 全現代語訳』(講談社)講談社学術文庫
  • 紫式部、角川書店編『ビギナーズ・クラシック日本の古典 源氏物語』(KADOKAWA)角川ソフィア文庫
  • 林望『源氏物語の楽しみかた』(祥伝社)祥伝社新書
  • 秋山虔、室伏信助編『源氏物語必携事典』(角川書店)

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  この記事を書いた人
水野 拓昌 さん
1965年生まれ。新聞社勤務を経て、ライターとして活動。「藤原秀郷 小説・平将門を討った最初の武士」(小学館スクウェア)、「小山殿の三兄弟 源平合戦、鎌倉政争を生き抜いた坂東武士」(ブイツーソリューション)などを出版。「栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会」のサイト「坂東武士図鑑」でコラムを連載 ...

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