五七五の俳句のリズムは『古事記』『日本書紀』から

 近年、若い人にも俳句は人気があります。季語に重ねて気持ちを伝達する文芸は奥ゆかしいです。そして、何より五七五のリズム感が心地よいのだと思います。リズムとしての五七五に特化して考察してみます。

五七五のリズムは記紀歌謡から

 五七五の詩的形式は元々いつから始まったのでしょう。歴史をたどってみます。

 日本の詩歌は記紀歌謡に始まったと言われています。記紀とは『古事記』『日本書紀』のことです。例えば『古事記』の歌謡五一というのは

知波夜夫流 宇遲能和多理邇 佐袁斗理邇 波夜倻牟比登斯 和賀毛古邇許牟(※原歌)

→ ちはやふる うぢのわたりに さをとりに はやけむひとし わかもこにこむ

→ ちはやぶる 宇治の渡りに 棹取りに 速けむ人し 我が仲間に来む

 五七五七七ですね。

 また『日本書紀』の歌謡六には、

阿軻娜磨廼 比訶利播阿利登 比播伊珮耐 企弭我誉贈比志 多輔妬勾阿利計利(※原歌)

→あかだまの ひかりはありと ひとはいへど きみがよそひし たふとくありけり

→赤玉の 光はありと 人は言へど 君が装し貴くありけり

 若干、字余りですがリズムができています。その頃からすでに形式として五七五は存在したのです。

五七五のリズムが庶民文化になるまで

 奈良時代後期の「万葉集」で五七五七七のかたまりの、短歌形式が確立しました。分類上では和歌、やまとの歌と言われています。平安時代は歌人と言われる人たちが多くなり、特に紀貫之は有名ですね。

 鎌倉幕府以前には、天皇を中心に「歌合せ」をやっていました。天皇がお題を出して、二人の者が事前にいくつか歌を作ってきたものを披露します。それを判者という人が勝ち負けを決めるという形です。歌合せは盛んでした。

 バトルしながらどんどんレベルが高くなっていったのでしょう。いわゆる当時の意識高い系だったのでしょうか。

 その後、後鳥羽院とか後白河などの天皇や皇室の人たちは、「勝敗よりは楽しくやろう」ということで、「連歌(れんが)」というものを始めました。

 連歌とは何か…。これを説明するのは難しいのですが、いわばそこに集まった人たちの合作です。最初の五七五をAさん、次の七七をBさんが詠みます。その後にまた他の人がくっつけてどんどん長く連なっていく歌です。

 室町時代の終わり頃、庶民の世界にも連歌は広がり、気持ちを伝えることの形になっていきました。庶民の連歌は相手に自分の気持ちを伝えるということがメインだったようです。

 誰かが五七五を言うと、七七を別の人がいうことを「付け合い」と呼ばれるようになり、それがコミュニケーションだったのでしょう。言葉のセンスがなければ、成就しない恋もあったかもしれませんね。

 いよいよ登場したのが、松尾芭蕉です。芭蕉はコンパクトな美しさを提唱しました。江戸初期頃から、連歌のはじめの五七五(発句)だけを作るということがはじまったのです。

 そして、その五七五を「俳句」と名付けたのが、明治の正岡子規です。「最初の五七五だけが文学だ」と言い切りました。

 舞台はいろいろ変わりましたが、五七五はそのまま日本人の根底に根付いてきたようです。

言葉のかたまりで伝える

 五七五はいわば言葉のセットアップだと思います。当たり前のことですが、話し言葉はかたまりで区切るということが、伝えやすいです。

「わ・た・し・は・あ・な・た・が・す・き・で・す」と、ただ読み上げるだけでは棒読みです。

 相手に口で思いを伝える時に言葉をかたまりして話すと、わかってもらいやすいことを私たちは知らないうちに習得していますよね。句読点というほど律儀じゃないけど、自分なりのリズムってなんとなくありますよね。

 特に奇数のかたまりが良く詩歌のフレーズになってきたようです。割り切れないことに美しさがあるのでしょうか(笑)

祭り囃子の中にある七五調、五七調のリズム

 現代俳句のカリスマであった俳人、金子兜太氏はこう言っていました。

自分の育った埼玉県秩父地方の「秩父音頭」という民謡を幼い頃から親しんできた。その歌詞も七五調で「鳥もわたるかあの山越えて 雲の沢立つ奥秩父」と歌われているそうだ。

この民謡は古くは農家で違う歌詞でも歌われていたようだ。この民謡の踊りを子供のころから皆が集まって練習していたのを見て きて、すっかり親しんできた。七五調が私の体に沁み込んでいるのが原点だ。日本の抒情形式の基本が体に沁みついたのだ。

と。

 確かに私たち日本人には、故郷の祭囃子の中の意味のわからない歌詞でも、リズムの中で知らないうちに体に沁みているものがあります。不思議です。

おわりに

 五七五のリズムは記紀歌謡から生まれました。なぜか奇数である五七五が言葉のフレーズになり、詩歌や和歌になってきたということです。そして各地の祀りごとや祭りの伝承から、民衆に広がり私たちの体の中にも馴染んでしまっているようです。

 タイムマシンがあったら、古事記の人たちがどうして詩歌を奇数にしたのか教えてほしいです。


【主な参考文献】
  • 武田祐吉『記紀歌謡集』(岩波文庫 1948年)
  • 金子兜太『俳句の作り方が面白いほどわかる本』(中経出版 2002年)
  • 大野晋『日本語の起源(新版)』(岩波書店1994年)

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  この記事を書いた人
さとうえいこ さん
○北条政子に憧れて大学は史学科に進学。 ○俳句歴は20年以上。和の心を感じる瞬間が好き。 ○人と人とのコミュニティや文化の歴史を深堀りしたい。 ○伊達政宗のお膝元、宮城県に在住。市民ライターとして地元の魅力も発信中。 ○息子(既に成人)の使わなくなった日本史の教科書を  捨てられずにリビン ...

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