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芸術家アベンジャーズ 柳宗悦とその仲間たち

アベンジャーズとは、特殊能力を持つヒーローたちが協力し、敵と戦うアメリカのコミックですが、最近では才能に優れた人々が集まる比喩にも使われています。

日本でも大正から昭和にかけて、芸術家グループのリーダー・柳宗悦の周りにはアベンジャーズのように才能ある芸術家たちが集まっていました。

そもそも柳宗悦とは

柳宗悦(やなぎ むねよし、1889~1961年)は大正から昭和にかけて活躍した、今で言うところのアートプロデューサーです。

また、美術研究家であり、新しい美の価値観「民芸」を提唱した人ですが、この方のもうひとつの才能は、すごい芸術家を自身の周りに集めることでした。

柳宗悦の肖像(出典:wikipedia)
柳宗悦の肖像(出典:wikipedia)

華麗なる柳一家

柳宗悦は海軍の技術士官で貴族院議員の柳楢悦(やなぎ ならよし)を父に持ち、母方の叔父には柔道の父・嘉納治五郎がいます。

奥さまの柳兼子さんは声楽家として活躍し、息子3人は工業デザイナー、美術史家、園芸家として各分野で才能を発揮しました。孫や親戚にも大学教授や芸術家を輩出し、まさに華麗なる一族と言えるでしょう。

当時の芸術家はだいたい友だち

当時、柳宗悦の周りには才能に富んだ多くの友人たちが集まりました。学習院時代には同人誌『白樺』に参加しますが、そこには武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎、里見弴など、後の文豪たちが名を連ねていました。

ロダンへのファンレター

そんな『白樺』メンバーたちがあるとき、フランスの彫刻家・ロダンにファンレターとプレゼント(浮世絵)を贈ったところ、後日返事とプレゼント(彫刻)が返ってきました。

柳宗悦は武者小路実篤らと彫刻を鑑賞し、劇場に行ってる有島たちには、劇場に連絡して「ロ来る」と言う張り紙をしてもらったのだとか。

”近代彫刻の父”と称されるオーギュスト・ロダン(出典:wikipedia)
”近代彫刻の父”と称されるオーギュスト・ロダン(出典:wikipedia)

民芸アベンジャーズ

やがて柳は美術評論家として活躍するものの、現存の価値観にとらわれない新しい美術の形態を探し始め、朝鮮磁器との出会いをきっかけにして民藝運動をはじめます。

そんな柳宗悦の周囲には常に多くの芸術家たちが集まっていました。その中には濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉、バーナード・リーチなどの陶芸家をはじめ、版画家の棟方志功、染色家の芹沢圭介など、名だたる面々がいました。

他にも大原美術館の創始者・大原孫三郎とも親しく、日本民藝館設立時に寄付の申し入れもあり、その縁で大原美術館には今も民藝の作品が展示されています。

特に棟方志功との出会いはユニークで、当時無名だった棟方の作品を気に入った柳宗悦が作品を購入し励ますと、棟方志功は感激のあまり思わず柳宗悦をハグしてしまったんだとか。

変わったところでは、心理学者の式場隆三郎(奇々怪々な建築を紹介した『二笑亭奇譚』の作者)も民藝運動のメンバーですし、雑誌の写真撮影には若き日の土門拳も関わっていました。

柳先生の交遊録はどこを切っても一流の人ばかりです。

バーナード・リーチとの友情

原田マハさんの小説『リーチ先生』でも描かれていましたが、柳宗悦の交友関係の中でも、陶芸家バーナード・リーチとのエピソードがとてもほほえましいです。ふたりは激論の末、子供のように口げんかをしたと思ったら、すぐに仲直りして語り合いました。

リーチは千葉県我孫子にあった柳家の敷地で窯をつくり、陶工に励んだのですが、柳宗悦は「自分の仕事のように」日に何度も様子を見に行ったそうです。こののち、ふたりの友情は、戦争を経てからも長くつづきました。

おわりに

類は友を呼ぶ、というのでしょうか。柳宗悦の周りには才能にあふれた芸術家たちが集まっていました。

それにしても、個性豊かな芸術家や作家たちとの幅広い交遊には驚かされました。わがままでマイペースな芸術家たちをよくまとめ上げたものです。

その様子はさながら「芸術アベンジャーズの司令官」のようですね。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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