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昭和の百貨店驚きの施設とは?動物園からスケート場まで

昭和の百貨店は単なる商業施設ではなく、流行の発信地であり、劇場や遊興施設を兼ね備えたアミューズメントパークでもあったのです。

最上階にはレストラン、屋上には遊園地、子どもの頃は「デパートに行く」というだけで、嬉しくてワクワクしながらその日を待ちわびたものでした。

そんな、懐かしい昭和の百貨店の様子をのぞいてみると、今とは全く違う百貨店の顔がみえてきました。

個性豊かな百貨店イベント

昭和の百貨店には、今では考えられないような豪華なイベントやアミューズメント施設が用意されていました。

そして、昭和時代の百貨店はとにかく個性豊かです。次々と奇想天外な施設やイベントが企画されていました。

新宿伊勢丹にはなんと、屋内にスケートリンクが設置されていたそうです。

また、大阪高島屋の北海道物産店では本物の乳牛で乳しぼり体験を行ったり、本物の子熊を展示したりと、とにかく当時の企画はアイデアがぶっ飛んでいます。

中でもユニークなの施設が、渋谷のケーブルカー「ひばり号」でした。「ひばり号」は、東急東横店の東館と西館をつないだケーブルカーですが、昭和26年から2年ほどしか運行しませんでした。今となっては幻の乗り物です。

「ひばり号」は、子ども専用だったそうですが、丸みのあるフォルムがレトロでかわいくて、乗ってみたくなります。当時の子どもがうらやましい…。

これらの奇想天外な企画が通ったのは、昔の百貨店には勢いと予算があったからでしょうね。

懐かしの屋上遊園地

そんな、百貨店アミューズメントの中で花形といえるのが屋上遊園地ではないでしょうか。観覧車やゴーカート、ヒーローショーなど、屋上遊園地は昭和の子どもの憧れでした。

また、屋上は遊園地のほかにも、本格的な屋上動物園を設置しているところもあり、なんと、象が飼育されていたそうです。日本橋高島屋の動物園には高島屋にちなんで「高子」と名づけられた象がいました。

そういえば、匂いの問題で今でもペットショップなどは屋上広場脇のスペースに設置されていますね。

日本初のディズニーランドは屋上に

ディズニーランドといえば、舞浜の東京ディズニーランドと答える人が多いと思います。

しかし、期間限定ではあるものの、日本で最初にディズニーランドがオープンしたのはなんと、三越日本橋の屋上でした。

権利関係がゆるく、パクリが横行していた昭和時代にしては珍しく、アメリカのディズニーランドから正式な許可をもらっての営業でした。

たったひと月ほどの営業だったのですが、小さいながらも本格的なシンデレラ城やコーヒーカップなどが設置されていました。

おわりに

昭和時代の百貨店は、ただ物を買うだけの空間ではなく、遊戯施設で遊んだり、劇場やギャラリーで教養を高めたりできる、娯楽と文化の殿堂だったのです。

しかし、最近のデパートに入っているのは、同じようなチェーン店ばかりで、昔の百貨店のような個性がなくなりつつあります。

なんとか、昔のような華やかな百貨店文化をもう一度見てみたいものです。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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