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戦時中のトンデモ代用品・金属供出とサケの皮

 以前、渋谷のハチ公像について調べたところ、現在のハチ公像は二代目なのだそうです。では初代の銅像はどこへ行ったのでしょうか。

 それには、戦争中の金属不足が関係していました。戦争中は銅像以外にも、さまざまな生活用品が代用品にすり替わっていったのです。

金属供出とは

 「金属回収令」は、戦争中に武器として使用する金属材料が不足したため、国民から金属を回収するという法令です。

「忠犬ハチ公の知られざる秘話」 でも書きましたが、ハチ公をはじめとした銅像などは軒並み回収させられたほか、お寺の鐘なども回収の対象になりました。

 他にも家庭の鍋やヤカンといった調理器具まで政府に差し出していたそうです。

「一命」をとりとめた銅像

 一代目のハチ公の銅像は供出で無くなってしまいましたが、運良く難を逃れた銅像もあります。日本橋三越のライオン像は、金属供出を受けましたが、幸い溶かされることなく残り、戦後、三越に変換されて今もその勇姿でデパートを守っています。

何でも陶器で代用

 供出された金属の代わりとして、よく使われたのが陶器でした。湯たんぽやアイロンまで陶器でつくられたそうです。

 そして、陶製品化はとうとう硬貨にまで及びます。昭和20年、有田や瀬戸で陶器製の硬貨が作られ始めましたが、出回る前に終戦を迎えました。

 使われることがなくお蔵入りした陶器製の硬貨ですが、もしも割れてしまった場合、そのまま使えるのでしょうか…。

戦時中の代用品

 戦時中は金属のほかにも衣類や食料、日用品などすべてが不足していました。そのため、さまざまな代用品が出回ったのです。

パンはお米の代用品だった

 昭和12年から日中戦争が始まると「お国のために」と、様々なものが規制されていきます。

 お米も規制の対象で、小説『小さいおうち』の中では、女中のタキちゃんがお米の代用品としてパンを手作りしています。

 今ならパンの方がいいと思ってしまいますが、昔はお米の消費量が圧倒的に多かったので、パンが代用品なんですね。

 そのうち戦争が激しくなると小麦粉も入手困難になり、代用品として小麦の表皮を使った「ふすま(ブラン)パン」が出回りましたが、それはもう、まずかったそうです。

 ブランパンならヘルシーで美味しそうじゃない?、と現代の私たちは思ってしまいますが、現在のブランパンは企業が美味しくなるように開発しているため、戦時中のふすまとは別物と考えた方がいいでしょう。

鮭の皮とスフ

 戦時中の物不足は金属や食料のほか、衣類や燃料など生活用品全般に及びました。牛革が不足したため、鮭の皮を使った靴が作られたそうです。

 鮭の皮はアイヌの伝統工芸で服や靴に利用された例はありますが、アイヌのような技術をもたない人たちが作ったため、鮭皮の靴はあまり丈夫ではなかったようです。

 また「スフ」と呼ばれる合成繊維も使われました。しかしこの繊維は水に弱く、破れやすかったため、洗濯するのも一苦労だったそうです。

まとめ

 金属供出や代用品政策について調べましたが、こうした代用はなにも昔の戦時下で起こっただけではありません。実は最近でも起こっているのです。

 東日本大震災当時、電力不足のための計画停電が行われたほか、震災後の買い占めで、お米やパンの類がことごとく売り切れたこともありました。その時は小麦粉でパンを焼いたのを覚えています。

 当たり前のように消費しているエネルギーも食料も、ひとつ間違えばすぐに無くなってしまう。日々、そうした心構えをもって生活していきたいものです。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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