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善光寺は全国でも珍しい無宗派寺院
- 2024/02/07
実は善光寺は、全国でも珍しい無宗派の寺院で、万民を分け隔てなく受け入れてきたのです。どの宗派にも属さないでいられるのは、日本仏教の原点とされる仏像が祀られているから。宗派を問わない珍しい性格の善光寺、現在においても引き継がれていて、宗派・男女の区別なく全国各地から参拝者が訪れています。
なぜ無宗派の善光寺が信仰を集めるのか
かつて善光寺には、親鸞・一遍・良寛・重源のような様々な宗派の名僧も参拝していました。『更科紀行』の旅の途中で、あの松尾芭蕉も善光寺に立ち寄っているんです。その時芭蕉が詠んだのが「月影や四門四宗(しもんししゅう)もただひとつ」という句。宗派にかたよらずに、全ての人々に門戸を開いているという意味で、善光寺の大きな特徴になっています。
遠い昔から宗派を問わずに大勢の人々が参拝する善光寺ですが、その理由は三国伝来の日本で初めての仏様を本尊としていることでしょう。この仏様が、日本仏教の根源であると考えられてきたためなんですよ。仏教の宗派というものが誕生する以前に、創建された寺院だということとが大きく関係していると考えられていますね。
絶対秘仏の御本尊
善光寺の御本尊は日本最古の御仏で、天竺・百済・日本へと伝わってきた、三国伝来と言われています。善光寺では御本尊は絶対秘仏となっていて、誰一人、たとえ住職であっても直接に見ることはできません。そんな御本尊の御身代わりとして、鎌倉時代に全く同じ姿につくられたのが「前立本尊(まえだちほんぞん)」なんです。御開帳時にのみ公開され、参拝することができます。
昔から「一生に1度は善光寺参り」と言われた善光寺。1度でも参拝しておけば、極楽往生が約束される男女平等の救済をしていただける寺院なんですね。御本尊は「一光三尊阿弥陀如来像(いっこうさんぞんあみだにょらいぞう)」。
1つの光背の中に、中央に阿弥陀如来、向かって右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩が並んでいます。普段は御宝庫に安置されている前立本尊、しかし7年に1度だけ本堂にお迎えして、お姿を見ることができるのが「善光寺前立本尊御開帳」なんですよ。
天台宗と浄土宗の共同体
善光寺は、皇極天皇の勅願によって皇極天皇3年(645)に伽藍が創建されたと伝わっています。現在では無宗派を守りつつも、天台宗・浄土宗の2派が一つとなり、善光寺の管理と運営を行っています。天台宗は伝教大師最澄が延暦25年(806)開いた宗派で、その370年後となる建久9年(1178)に法然が開いた宗派が浄土宗です。このように善光寺は、様々な宗派ができる前に創建されていたのです。無宗派の善光寺は、どこかの宗派に飲み込まれるようなこともなく、長きにわたって現在まで無宗派を維持してきたのです。
誰でもお参りできる無宗派のお寺
現在の善光寺山内には、大勧進(天台宗)と大本願(浄土宗)という両宗派のお寺が置かれているんです。だとしたら、善光寺で行われる法要などの日常行事は、誰がするのかと気になりますよね。でも大丈夫、両派が交替でつつがなくお勤めしています。善光寺自体は無宗派なのですが、同時に天台宗と浄土宗の寺院・僧侶が共同して善光寺を護るという、全国的にも珍しい構成になっています。善光寺には両派のご住職(大勧進は貫主様、大本願はお上人様)が、善光寺のご住職としてお勤めになっているんですよ。
多くの寺は女人禁制だった
明治の初めまで、多くのお寺では女人禁制になっていました。女性は修行の障害になるので、立ち入りが禁じられていたのです。仏教界では、女性は宗教的能力に劣り、そのままでは仏には成れないとされていました。そんな中でも、中世以来善光寺では女性が本堂へ立ち入ることを認めてきました。善光寺は、女人救済の寺として全国でも珍しい存在でした。江戸時代の参拝者は、半数が女性だったと言われていて、広く女性に信仰されたことも特徴になっています。現在でも多くの女性が参拝するなど、宗派だけではなく老若男女を問わずして信仰されているのが善光寺なのです。
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