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「ゆきゆきて、神軍」 奥崎謙三の行動論理

奥崎謙三邸(神戸市兵庫区、現存せず。出典:wikipedia)
奥崎謙三邸(神戸市兵庫区、現存せず。出典:wikipedia)
 1987年に公開された「ゆきゆきて、神軍」という映画をご覧になったことはあるでしょうか?今村昌平企画、原一男監督のドキュメンタリー映画です。米国のコロンバイン高校乱射事件のドキュメンタリーを描いた「ボウリングフォーコロンバイン」で一躍、有名になったマイケル・ムーア監督が「生涯観た映画の中でも最高のドキュメンタリーだ」と賞賛した作品です。

 内容は奥崎謙三(1920~2005)という旧日本陸軍で上等兵をしていた人物の行動を追った映画ですが、相当に過激な内容で思想的傾向も強かったため、多くの映画館が上映をためらい、ごく一部のマイナー映画館でしか上映されませんでした。それでも日本映画監督協会新人賞を始め、いくつもの映画祭や映画賞で賞を取った作品です。今でも映画配信サイトなどで見ることができます。

 なぜ「奥崎謙三」と言う人物の行動をドキュメンタリー映画にしただけで、これほどに賞賛される作品が出来上がったのでしょうか? それは、この映画を見ることで皆さんが知らなかったであろう衝撃的な多くの事実と人物を知ることが出来るからです。それは平和な時代の日本に生まれ育った私達には想像もできないようなものなのです。

 その「想像もできないようなもの」を1つ1つ、順番に挙げていってみましょう。それは、まさに日本の歴史の中で本当にあったことであり、絶対に他のものでは知ることができない事実なのです。この映画が撮影されてから、もう35年もの時間が過ぎ、高齢者が多い登場人物のほとんどは、もう死去されています。そして彼らの姿、言葉はこのフィルムの中にだけ、生き続けているのです。

奥崎謙三という人物

 この映画は最初に奥崎謙三の経営する自動車修理店の映像から始まりますが、ここで既に「何だこれ」と思われるでしょう。次に結婚式のシーンに移ります。媒酌人は奥崎謙三です。その挨拶をそのまま文字にしてみましょう。

「花婿は神戸大学を卒業後、反体制活動をした咎により前科一犯で御座います。媒酌人の私は不動産業者を殺し、皇居で天皇裕仁にパチンコを打ち、銀座、新宿のデパートの屋上から天皇ポルノビラを撒いて独房生活を13年9か月送りました。殺人、暴行、猥褻図画頒布、前科3犯で御座います。つまり今日の結婚式は花婿と媒酌人が、ともに反体制活動ををした前科者であるがゆえに実現した類い希なる結婚式で御座います」
映画「ゆきゆきて、神軍」より

 正確には不動産業者に対する罪は「暴行致死罪」であり、殺人罪ではありませんが、これらは全て事実です。Wikipedeiaで調べると、奥崎謙三は「アナーキストである」という説明がされています。さらに「アナーキスト」を調べると「アナーキズムの信奉者のこと」と説明されています。さらに「アナーキズム」を調べると、以下のことが分かります。

「国家権力や宗教など一切の政治的権威と権力を否定し、自由な諸個人の合意のもとに個人の自由が重視される社会を運営していくことを理想とする思想のこと」
wikipediaより

 一般的には「無政府主義」と呼ばれることもあります。この説明の中の「個人の自由が重視される」というところが重要で、奥崎謙三は「自分の信念」に基づいて行動しているのです。彼は決して野蛮人ではなく、ちゃんと礼儀も心得ている常識人でもありますが、自分の信念に基づいた判断の結果、「無礼、許せない」と思った場合には、それを正すために暴力を使うことはやむを得ないことであり、決して止めないのです。

 彼の行動論理は兵役につく前からのものだったようで、徴兵されてからも上官にあたる軍曹などでも「間違っている、許せない」と思えば構わずにぶん殴っていたそうです。映画の中で「私は軍隊の中で最も上官をブン殴ってきた男なんだ!」と言っていますが、おそらく事実だったと思われます。

 ニューギニアからの帰還船において出される食事が酷いものだったそうで、船員が食料を横領しているという噂を聞いた彼は単身、船長室に乗り込んで船長をハサミで刺し、さらに執拗に暴行を加え、ついに横領を白状させました。横領の発覚を恐れた船長は、その一件を隠匿し、船で出される食事はすぐに大きく改善されたそうです。

 この一件で彼は回りの人達から「英雄」と賞賛されたそうです。しかし、その賞賛によって奥崎謙三が頭に乗ったと見るのは間違いです。彼にとっては、するべきことをしただけなのです。

 ちょっと考えると「軍隊と言う所で上官を殴ったら大問題になるのでは?」と思われるかもしれません。一応、軍法では「上官の命令には絶対服従」とありますが、それに従わなかった兵隊を罰するには「軍事法廷」で有罪判決が下されない限り、罰することは出来ません。ですが、それは建前論です。

 実際には奥崎に殴られた軍曹や少尉が、自分の上官に「兵隊に殴られた」などと報告したら、軍曹や少尉は逆にその上官から「何をやっとるんだ貴様!」と猛烈な怒りを買うことは確実ですので、とても報告することは出来ませんでした。そもそも上官に対して礼儀を払うのは「慣行」であって「命令」ではないので諦めるしかなかったのです。

 「人並み外れた胆力の持ち主」が軍隊に入ってくると、そういうことが実際に起きるのです。

奥崎と似通っている北原泰作

 全く別の話になりますが、昭和に入ってすぐ、北原泰作(1906~1981)という人物が徴兵されたことがあります。彼はいわゆる部落差別問題について社会活動を行っていた水平社という組織の幹部でした。体制側の人達は「軍隊に放り込めば矯正されるだろう」と考えて彼を徴兵したのです。

 しかし北原泰作も「人並み外れた胆力の持ち主」でした。軍隊に入っても彼は徹底的に反抗を続け、上官の指示など全く無視し続けました。最初は「いつか見ていろ」と考えていた軍曹連中も、

 ”北原泰作の背後にある「水平社」が動き出すと社会問題化し、その軍隊を預かっている連隊長始め幹部一同が上層部から強い叱責を受けて罷免されかねないことを怖れている──”

 ということを知ると、北原に復讐することを諦めます。逆に「腫れ物をさわるような扱い」となり、北原二等兵の機嫌を損ねないよう極力、注意せざるをえなくなったのです。実際に先年、福岡連隊で水平社出身の兵隊が差別を訴え、社会問題化させた前例もあります。

 連隊長はその二の舞は御免だと考えていました。そんなことを知らない新任の少尉が北原とすれ違った時に、北原が自分に敬礼をしないことを咎めました。すると北原二等兵は言いました。

「それはな、わしはあんたを別に尊敬もしてないからだよ。それで敬礼をする必要がないのだ」

 新任少尉は呆然としました。絶対に軍隊で聞くことはないであろう言葉を聞いたのです。そして

「貴様!所属中隊と官姓名を名乗れ!」

というと、北原は落ち着いて

「第六十八連隊第五中隊所属 北原泰作」

と述べました。さすがに北原のことを噂で聞いていた少尉はうろたえて、その場を、慌てて去ったそうです。

 北原二等兵は連隊長のいうことすら無視する「超問題児」として有名な人物だったのです。この後、北原泰作は特別大演習で天皇陛下が謁見する、と聞き、それに参加し、軍隊内における部落出身者の差別問題について天皇陛下に直訴状を差し出すという事件を起こします。しかし不敬な内容ではなかったので「禁固1年」という判決を受け、受刑後に軍隊を辞め水平社に戻ります。

 北原泰作には「部落差別問題と戦う」という強い信念がありましたが、奥崎謙三には「自分の信念は絶対に曲げない」という強固な信念があったのです。そして2人とも格闘技を習っていた訳でもなく、大柄で馬鹿力を持つ大男でもない、ごく普通の体格をした普通の人物だったのです。

 いかに強固な信念が人間を強くするか、という好例ですが、人には「胆力」という物があります。いわば「気の強さ」ですが、これが人並み外れて強いのが2人に共通する特徴であると言えるでしょう。

 誰にでも出来ることではありません。奥崎謙三は「自分の信念に基づいた判断結果として失礼である、或いは許せない行為である」と考えた場合、暴力をふるいます。そして「自分の行為の責任は自分で取る」といって警察に逮捕され刑務所で服役してくるのです。彼が終始、天皇裕仁だけは許せないと言い続けているのは「天皇裕仁は戦争の責任を取っていない」からなのです。そして、それは彼の信念という価値観の中では「絶対に許せないこと」なのです。

アナーキズム論

 映画の中で奥崎謙三は「国家というのは人間を断絶させる障害だ」と語っており、アナーキストとしての一面を見せています。アナーキズムは共産主義とは違い、実際にそれで社会運営を行った例が一例も無いのであまり知られていません。しかし彼のような人物を理解しようとするなら、アナーキズムの考え方を知っておく必要はあると思いますので簡単に整理してみたいと思います。

 人間は集団生活をして役割分担をすることによって発展、発達してきました。しかし集団の中には色々な人がおり、一定のルールを設けて管理しないと「悪いこと、ずるいこと」をする人が出てきてしまいます。そこで法律というものが作られました。つまり、法律は人間が人間の都合によって作ったものであり、自然発生的なものではない訳です。

 法律があるため、立法、行政、司法という役割が必要となり、いわゆる「政府機構」が必要になります。そして、それぞれの機構組織の中で序列が作られ、また「政府機構」に入れる人とそうでない人が出てくることによって、社会格差が生まれます。また政府があることにより政治が発生し、政治が戦争を招きます。つまり、最初から政府がなければ戦争は起きないのでは? という考え方もできるのです。

 かのクラウゼウイッツも「戦争は政治の延長線にある」と言っており「政治」が存在することが戦争が起きる根本原因であると認めています。

 ──元々、人間にはモラルというものがあり、それで ”ものの善悪” は判断できるのだから法律は不要である。だいたい、法律といったって、国民は一部の専門家以外は内容をほとんど知らない。それは法律の量が多すぎるのと分かりにくいことが原因であり、そんなものを作る方が間違っている。つまるところ「地球という惑星には政府は1つあれば良く最低限の法律だけ整備し、後は個々人のモラルに任せる。それ以上は必要ない。国という単位で世界を分ける行為は間違っている」──

ということです。

案外に、アナーキズムの考え方は平和を願う人々が行きつく究極の理想とも言えるのです。ジョン・レノンがイマジンと言う曲の中で以下のように歌っているのは決して偶然ではないのです。

  • Imagine there's no countries 想像してごらん 国なんて無いんだと
  • It isn't hard to do      そんなに難しくないでしょう?
  • Nothing to kill or die for   殺す理由も死ぬ理由も無く
  • And no religion too     そして宗教も無い
  • Imagine all the people    さあ想像してごらん みんなが
  • Living life in peace      ただ平和に生きているって

 しかし、アナーキズムは「個人のモラル」に行動の善悪の判断を任せざるを得ないので、多様性が必要な生物種である人類が集団生活を送るには「無理がありすぎる」という意見が多く、実際に、この方法で社会運営を行った例はないのです。あるとしたら原始時代がそうだったかもしれませんが、果たして原始時代の人間生活は「平和」だったのでしょうか?

ニューギニア戦線における疑惑の追及

 奥崎謙三はビューギニア戦線に行かされましたが、比較的早期に引き上げています。元々、ニューギニア戦線は「短期決戦」という位置づけで計画された作戦であったため、水・食料は短期分しか用意しておらず、足りなければ「現地調達」ということになっていました。

 しかし実際には短期決戦では終わらず、終戦後まで続けられたため、後半期には太平洋戦争において「最も凄惨な戦線」と言われるほどに酷い状態に陥ってしまった戦場です。ニューギニア島は面積は約78.6万平方キロメートルで日本の2倍も有る大きな島で、当時は全くの未開地で全島が熱帯雨林のジャングルに覆われており、僅かに原住民が住んでいるという所でした。

 奥崎謙三は非常な問題児であったためか、比較的早い段階で帰されましたが、その後、いくつかの部隊は「残留部隊」という形で滞在し続けることになったのです。しかし持ってきた食料はとっくに底をつき、ジャングルで食料を現地調達せざるを得なくなりました。

 タロイモなどのイモ類、椰子の実、バナナ、ヤモリ、トカゲ、コウモリ、ワニ、ノネズミ、ヘビ、イボガエル、モグラ、ノブタなどの動物、ゲンゴロウ、トンボなどの昆虫を取って食料としていたそうです。

 しかし熱帯であるニューギニア島の自然は非常に過酷であり、日本兵の多くはマラリア、アメーバ赤痢、デング熱、腸チフスなどの伝染病にかかり、そのほとんどが死亡してしまいます。また、ワニや毒蛇などの危険生物も多く、それらにやられたりもしました。ニューギニア戦線には全部で20万名の兵士が投入されましたが、帰還できたのは僅かに2万名という状態で時期が遅くなるほど帰還率は下がっていきます。

 残留部隊の中のウェワクにあった36連隊で「中隊長が吉澤上等兵、野村上等兵の2名を独断で銃殺刑にした」という話を聞きつけます。この話は吉澤上等兵、野村上等兵の兄弟が死因に疑問を抱き、奥崎謙三の元に持ってきた話です。

 奥崎謙三は早速、残留部隊にいた生き残りの兵士や士官の家を尋ね、真相を聞き出そうとします。この捜査が本映画の中核を成す部分ですが、尋ねた人物の対応は様々で、適当なことを行って誤魔化そうとする人、比較的冷静に当時の状況を克明に話してくれる人、なんだかんだと自分勝手な理屈をつけて話そうとしない人、など色々でした。しかし比較的冷静に話してくれた衛生兵の話は相当に衝撃的なものでした。

 
「もう周囲を完全に米軍に囲まれてしまって、どうしようも無い状況だった。そんな状況で食料の現地調達などできない。だから "黒豚" や "白豚" を食べていた…」

 "黒豚"というのは原住民のことで、"白豚"というのはアメリカ兵のことであるというのです!この話を聞いた遺族は、吉澤上等兵や野村上等兵は「食料にするために殺されたのではないか」という疑いを持ち始めます。その衛生兵は「断じて日本兵は食べていない」というのですが、尋ねた人々が「平気で適当なことを言う」のをざんざん聞かされてきた遺族にとっては、怪しいと感じざるを得なかったのです。

 また、この銃殺刑が行われたのが「終戦してから30日近く立ってからのこと」という事実も突き止めます。現地隊に終戦の報が入ったのは8月18日頃であったというのです。そして2人の銃殺刑が行われたのは9月になってからだということが分かったのです。

 奥崎謙三は執拗に生き残りの人達の所へ行き、真相を聞き出します。そして最初は、適当なことを言って逃げようとしていた人も遂に真相を話してくれました。この辺りのやりとりは、まさに人間ドラマであり、この作品の評価が高い最大の理由と言って良いでしょう。

 また、別の部隊では「くじ引きで負けた奴が食料になる」ということも行われていた、と聞いた奥崎謙三は、その部隊の生き残りの人物の家を訪れ、話を聞こうとします。この部分は映画でも後半の最後の方になるのですが、実は最も見る価値がある部分でもあります。

 その生き残りの元軍曹は、おそらく人一倍、人情に厚く優しい人物であったのでしょう。彼は奥崎謙三に「もう今更、そんなことを話すのは止めようよ。みんな、とても家族には言えないような死に方をしてるんだよ。そんなことを今更話せないよ。話せる事とそうでない事があるんだよ」といって話すことを拒否します。

 すると奥崎謙三は詰め寄り、もみ合いになります。相手の元軍曹は病身で立っていることも出来ない状態ですが、奥崎謙三は足で蹴り飛ばし、あまりのことに家族が止めに入ります。一時は騒然としましたが、やがて元軍曹は「もう地獄だったんだよ。戦うどころじゃないよ。生き残るのに必死だったんだよ」と語り始め、状況を少しだけ話してくれました。

 その話ぶりは実際に”地獄”を見てきた人だけが持つものであり、元軍曹の人柄とあいまって見る者の心に何かを残します。35年前の日本にはまだ、そうした人達が数多く残っていたのです。

あとがき

 現在では映画に出てきた、そうした人達のほとんどが既に亡くなっています。35年前に会社員であった私は今、映画に出てきた彼らと同じ年代になったのですが、幸いなことに彼らのような経験はせずに人生を過ごしてこられました。

 しかし今現在でも、世界には35年前の彼らと同じような経験をしている人々も数多くいる、という現実もあります。一部の権力者のために多くの人が殺されたり、苦しめられたりしている、というニュースは毎日のように流れているのですから。

 奥崎謙三のいう「宇宙の真理」は、いわば「究極のモラル」であり、人として「してはいけないこと」を知れ! という点に尽きるのだと思います。しかし人類は変わらず「歴史は繰り返されている」と言って良い状態です。多分、地球上に「国」というものが有り余るほど存在する現状では、奥崎謙三が理想とする社会は実現されないでしょう。それは人間と言う存在も「地球という惑星の上に生息する1生物種」であり、自然の法則に則って生きている以上、仕方のないことなのかもしれません。

 ただ、進歩があることを信じたいものです。ジョン・レノンの夢は、いつか叶う時が来るのかも知れません。しかし今の私達には何ができるのでしょうか? 「何かやってみろ!」と叫ぶ奥崎謙三の声が映画を見終わったあとでも心に残るのです。

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  この記事を書いた人
なのはなや さん
趣味で歴史を調べています。主に江戸時代~現代が中心です。記事はできるだけ信頼のおける資料に沿って調べてから投稿しておりますが、「もう確かめようがない」ことも沢山あり、推測するしかない部分もあります。その辺りは、そう記述するように心がけておりますのでご意見があればお寄せ下さい。

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