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文豪の黒歴史(明治編) 潔癖症と禁断の恋

 どんな偉人でも、なにかしら欠点はあるものです。ましてや自己表現を行うアーティストや文豪たちにいたっては、自らの心に忠実であるからなのか、今では炎上、犯罪レベルの「黒歴史」を持っている人が多いのです。

子供にキラキラネームをつけた文豪

 森鴎外は、小説家でありながら軍では軍医総監という、トップの地位まで上り詰めた偉人です。しかし、そうした偉人でも子供に甘かったり、潔癖症で偏食だったりと、いろいろな黒歴史がありました。

 子供に唯一無二ですてきな名前をつけたいと思うのは、古今東西、親の思いです。しかし、森鴎外は明治の世にありながら、子供に今で言うところの「キラキラネーム」をつけています。

 子供たちには於菟(おと)、茉莉(まり)、杏奴(あんぬ)など、読みづらいキラキラネームをつけた鴎外。明治時代の名前としては珍しいですが、これは西洋化を考えたネーミングでもあります。

 しかし、鴎外の親バカは名前だけにとどまりませんでした…。

文豪の親バカエピソード

 娘である森茉莉のエッセイによると、鴎外の親バカぶりが伝わってきます。鴎外は茉莉を膝にのせては「お茉莉は上等♪」と口ずさんだり、習い事の師匠が娘を褒めなかったので憤慨したりと、親バカぶりを発揮していたとか。

 娘を父のお膝に乗せるのは微笑ましいエピソードですが、鴎外は茉莉の小さい頃だけでなく、成長してからも変わらず茉莉を膝に乗せていたそうです。

 小さい頃ならともかく、10代の娘を膝に乗せるのは老齢の鴎外には結構きついのではないかと思いますが、それだけ文豪の愛は深かったのでしょう。

潔癖症な文豪

 医者である森鴎外は細菌学にも精通していたため、生食を異常に恐れていました。食べ物は加熱してからでないと口にしなかったそうです。

 そんな森鴎外以外で潔癖症だったのが泉鏡花です。『高野聖』や『天守物語』など、幻想的な作品を残した泉鏡花は、胃腸が弱かったため極度の潔癖症でした。刺し身などはもちろん、お菓子も一度火を当ててからでないと食べませんでした。

 ただし、酒に酔うと気が緩むのか、刺し身や中華料理のカエルを食べてしまい、あとで気持ち悪くなってしまいました。

 その一方で、信仰心の篤かった泉鏡花は、寺社の境内では平伏して祈りを捧げたそうです。

スキャンダラスな文豪

 島崎藤村は『夜明け前』などで知られる文豪ですが、このひとの家系は、昼ドラのように不倫やら近親相姦やらを起こしている羅刹の家でした。藤村自身も実の姪と恋愛関係に陥り、妊娠させてしまいます。

 その上、姪を残して自分だけ外国に逃げるというゲスっぷりです。これは、今の世の中なら炎上・犯罪レベルの恋愛ですね。

歌人の略奪婚

 他にも、正岡子規の弟子で俳人の高浜虚子は、友人で同門の河東碧梧桐の婚約者と恋愛関係になり後に結婚。

 虚子は一時期、雑誌『ホトトギス』で小説を発表していましたが、子規の死後は俳句に戻り、結果的に碧梧桐たちを追い出す形になったようです。

 また、歌人の与謝野晶子も、妻子のあった与謝野鉄幹を略奪するかたちで結婚に至っています。

おわりに

 このように昔の文豪たちの多くが、はた迷惑な黒歴史を持っています。しかし一方で、その自由な心の動きが、傑作を生み出す原動力ともなっているので、一概に責められないかもしれません。

 しかし、いくら作品がすばらしいとはいえ、私はあまりお近づきになりたくないです…。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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