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文豪の黒歴史(大正編) 妻妾同居と夫妾同居

 モダンな文化が花開いた大正時代。それに伴い、文豪たちも自由に恋愛を楽しんでいたようです。中には、恋愛や享楽に溺れて身を持ち崩す文豪も…。

妻妾同居と夫妾同居

 男が妾を持つのは容認されていた時代ですが、女性の方も負けてはいません。

菊池寛

 雑誌『文藝春秋』を創刊した菊池寛は大衆小説で成功しましたが、関東大震災で家屋を消失。友人の家に家族で間借りするものの、そこへ囲っていた妾とその母親、女中まで転がり込み、そんな時に奥さんが出産。なんともドタバタした妻妾同居だったようです。

 身から出たサビとはいえ、妻と妾の間で菊池寛も苦労したことでしょう。

岡本かの子

 大正時代、法律的にも浮気を許されていたのは男性だけでしたが、作家で歌人の岡本かの子は夫・岡本一平の承諾のもと、気に入った恋人を家に住まわせていたそうです。

 奔放で芸術家の(なにせ、あの岡本太郎の母なので)かの子の相手は大変だったようですが、恋人は「かの子と暮らした日々が人生でもっとも楽しかった」と答えています。

 それだけ大変でも魅力的な人だったのでしょうね。


妻の譲渡事件

 谷崎潤一郎といえば、『刺青』『痴人の愛』など、作品でもエロティックでスキャンダラスな話が多いのですが、私生活でも妻を友人に譲渡する騒ぎを起こしています。

 谷崎の好みは奔放で気の強い女性でした。そのため谷崎は従順な妻・千代に満足せず邪険に扱い、奔放な千代の妹・せい子と関係を持ちます。

 苦しんだ千代は谷崎の友人・佐藤春夫とひかれ合うことになり、擦った揉んだの末、最終的には「妻の譲渡」というかたちで決着します。

 しかし、谷崎は気に入らない妻でも、他人のものになると惜しくなるのか、谷崎は妻を譲渡すると決めてからも大分ゴネていたそうです。

 ちなみに、谷崎は小説家・岡本かの子の兄と学生時代の親友でした。かの子は美少年だった谷崎に思いを寄せていたそうですが、谷崎は「あんなブス」と相手にしなかったのだとか。

遊興と女遊びで「楽にならざり」

 石川啄木といえば、真面目に働きながらも貧乏から抜け出せない苦悩を歌った『一握の砂』が有名ですが、私生活はとても奔放な人でした。

 友人の国文学者・金田一京助をはじめ、友人、知人から借りたお金を女遊びや遊興のために使ってしまうので、暮らしが「楽にならざり」なのは、自業自得の面もあったのです。

 金田一京助は、そんな啄木のために家財道具を売払ってまで助けていたのですが、そのお金もすぐに遊びで消えてしまいました。そのゲスっぷりには、金田一氏の息子で後に国語学者となった金田一春彦氏もあきれていたほどでした。

 有名な母への思いをつづった歌も、実の妹からは「母に迷惑ばかりかけていた兄が、母を背負ったことなどなかった」と、辛辣なコメントを残しています。

 職を転々とし、貧困の中ですばらしい歌を生み出した石川啄木ですが、私生活はとんでもないクズ野郎だったようですね。

おわりに

 大正時代の文豪たちは、自由奔放でやりたい放題の印象があります。それは、時代的にも戦争がなく、平和な時代だったからかもしれません。

 彼らが残した作品たちは令和の今も愛され、読み継がれている名作ばかりです。そのため、少しくらいの奔放は仕方がないのかもしれません。

 まあ、身近にいたご家族は大変だったでしょうが…。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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