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伊号第十九潜水艦の戦果 知られていない潜水艦という兵器の実態
- 2023/09/04
第一次、第二次世界大戦においてドイツのUボートは驚異的な存在でした。かのウィンストン・チャーチルをして「私が本当に怖れたのは、Uボートの脅威だけである」と言わしめた位に連合国側を苦しめた存在だったのです。
しかしUボートを怖れなければならないのは第二次世界大戦の初期段階まででした。英国を含む連合国側は「レーダー」という新しい探査方式を使い始めたからです。とはいっても、レーダーの電波は海中までは届きません。ですので潜航している潜水艦をレーダーで捉えることはできませんが、当時の潜水艦はUボートも含めディーゼルエンジンを使用していたので「ずっと潜り続けること」はできなかったのです。
一定時間、潜航を続けると艦内の空気から酸素が無くなってしまうので「換気浮上」をして、艦内の空気を一新させる必要がありました。この「換気浮上」の時にレーダーで捉えられ航空機に攻撃されたら、ひとたまりもありませんでした。数発の弾丸を船体に受けたら、もう潜航は出来ません。しかし潜水艦には魚雷しか武器が無く、航空機を打ち落とす武器は装備されていませんので「後はやられるまま」だったのです。こうしてUボートの脅威は取り除かれていったのです。
さて、第二次世界大戦でドイツと同じく枢軸国側であった日本では「伊十五型潜水艦」という潜水艦が20隻、建造され戦線に投入されていました。当時の日本の敵国はアメリカですが、伊十五型潜水艦はどれくらい活躍したのでしょうか?
20隻の中で「最も華々しい戦果」を残した伊号第十九潜水艦を中心に見てみましょう。そして潜水艦という兵器の特殊性と現代における潜水艦の役割にまで踏み込んでみたいと思います。
しかしUボートを怖れなければならないのは第二次世界大戦の初期段階まででした。英国を含む連合国側は「レーダー」という新しい探査方式を使い始めたからです。とはいっても、レーダーの電波は海中までは届きません。ですので潜航している潜水艦をレーダーで捉えることはできませんが、当時の潜水艦はUボートも含めディーゼルエンジンを使用していたので「ずっと潜り続けること」はできなかったのです。
一定時間、潜航を続けると艦内の空気から酸素が無くなってしまうので「換気浮上」をして、艦内の空気を一新させる必要がありました。この「換気浮上」の時にレーダーで捉えられ航空機に攻撃されたら、ひとたまりもありませんでした。数発の弾丸を船体に受けたら、もう潜航は出来ません。しかし潜水艦には魚雷しか武器が無く、航空機を打ち落とす武器は装備されていませんので「後はやられるまま」だったのです。こうしてUボートの脅威は取り除かれていったのです。
さて、第二次世界大戦でドイツと同じく枢軸国側であった日本では「伊十五型潜水艦」という潜水艦が20隻、建造され戦線に投入されていました。当時の日本の敵国はアメリカですが、伊十五型潜水艦はどれくらい活躍したのでしょうか?
20隻の中で「最も華々しい戦果」を残した伊号第十九潜水艦を中心に見てみましょう。そして潜水艦という兵器の特殊性と現代における潜水艦の役割にまで踏み込んでみたいと思います。
伊号第十九潜水艦の初出撃
1941年11月20日、楢原中佐を艦長とする伊号第十九潜水艦は横須賀を出航し、途中で第一航空艦隊と合流し、ハワイへ向かいました。12月8日に実施される真珠湾攻撃に参加するためです。そして無事にハワイに到着した伊号第十九潜水艦は主に「被弾した味方機の誘導」を行っていました。真珠湾攻撃では攻撃の主体は航空機であり、潜水艦は「後方支援」だったのです。しかし当然ながら「攻撃のチャンスがあれば攻撃する」気はありましたので、伊号第六潜水艦から「オアフ島沖を東北東へ向け、航行中のレキシントン級空母1、巡洋艦2隻を発見」の知らせが入ると、第一航空艦隊を離脱し、そちらの攻撃に向かいました。
元々、第一航空艦隊への合流は真珠湾までで、後は単独行動と決まっていたので、これは予定通りの行動でしたが、遂にレキシントン級空母1、巡洋艦2隻を発見することはできませんでした。その後は「アメリカ西海岸沿岸における通商破壊作戦」に従って、主に商船を攻撃する予定だったので、伊号第十九潜水艦はアメリカ西海岸に向かいます。
22日にノルウェーの貨物船パナマ・エキスプレス(Panama Express、4200トン)を発見し魚雷攻撃を行いますが、一発も当たらず、後を追いますが貨物船パナマ・エキスプレスの船足は早く、とてもついてゆけず追跡を断念します。続く23日、今度は米スタンダード・オイル社のタンカーH・M・ストレー(H. M. Storey、10763トン)を発見。魚雷攻撃をかけますが、これも一発も命中しませんでした。
続く25日、米木材運搬船バーバラ・オルソン(Barbara Olson、2146トン)を発見。魚雷攻撃をかけますが、撃った魚雷はバーバラ・オルソンの下を通過して30m行ったところで爆発し、バーバラ・オルソンの乗組員を驚かせました。同日に米マコーミック汽船木材運搬船アブサロカ(Absaroka、5698トン)を発見。魚雷攻撃をかけ、1本が命中。アブサロカは航行不能となり、伊号第十九潜水艦は「始めての戦果」を挙げました。
その後、1月中はアメリカ西海岸周辺をあちこち回りましたが、換気浮上をしている時に何度も米軍の哨戒機に発見され、攻撃を受けるも運良く、敵の弾は1発も当たらず逃げ切っています。そして1月いっぱいで作戦完了、ということでマーシャル諸島経由で横須賀に帰港しました。
魚雷と言う武器の特性
伊号第十九潜水艦の初出撃の結果を見て、「全然、使えんではないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし当時の潜水艦の武器は魚雷しかなかったのです。そして魚雷という武器は非常に不確実な代物なのです。例えば戦闘機のミサイルであるサイドワインダーは「熱感知方式」「レーダー感知方式」などの「誘導方法」を持っていますが、それは空中だから可能なことです。魚雷は水中を走るので海水が邪魔になり「熱感知」も「レーダー感知」も出来ません。魚雷はせめて「まっすぐに進む」ようにするためにジャイロ機構が付けられており自動的に姿勢制御されますが、まっすぐ進んだら海底の岩にぶつかることもありますし、クジラに当たることもあります。
そもそも当時の技術ではジャイロ機構が壊れたり誤作動したりすることも多いうえに、狙った船も前に動いているので、ますます当たりません。つまり、魚雷と言うのは撃ったら「このあと、どうなるかはは魚雷に聞いてくれ」という武器なのです。実はそれは現在でも変わりません。色々な誘導方法が試され、多少は良くなっているのですが、当時も今も魚雷の命中率を上げるには「出来るだけ近くに寄って撃つ」のが最善の方法なのです。
よく映画や漫画で潜水艦同士が魚雷を撃ちあうシーンが出てきますが、実際に潜水艦同士で魚雷を撃ちあった実例は1回しかありません。にも拘わらずドイツのUボートが大きな戦果を挙げたのは、ひとえに「出来るだけ近くに寄って撃つ」を実行し続けたからなのです。伊号第十九潜水艦は狙う船から700m~900m位の位置で魚雷を発射していますが、Uボートは僅か100m~200mの位置から魚雷を」撃っていたのです。つまり「そーっと近づいてから撃つ」というのが秘訣だったのです。
ただ、近づいて撃つ、ということは敵船に命中し爆発したら、潜水艦もとばっちりを受けかねません。ですので「そーっと近づいて、ちょっと近すぎかな、という位置で全速後退(つまり全力で後ろに逃げる)しながら魚雷を撃つ」のがUボートのやり方だったのです。
伊号第十九潜水艦は、その点で、まだスキルが低かったのです。しかし、それでもいわゆる艦砲射撃よりは命中率は良いのです。大砲を撃つ場合、ご存じのように撃った弾は弾道を辿り着弾しますが、この弾道計算は非常に難しく、そう簡単には当たらないのです。「100発撃って1発命中なら上出来」なのです。それに比べ魚雷は弾道計算をしなくても、方向さえ合っていれば当たってくれますので「それでも大砲よりは確実」なのです。
もちろん、現在では巡行ミサイルなどの電子制御による高精度の攻撃武器が存在しますので実戦で「艦砲射撃」をするイージス艦はいません。一応、艦砲施設はありますが、主に威嚇のためのもので実際の攻撃には電子制御された飛行武器が使われるのが普通です。またイージス艦でなくても、近年は巡洋艦、駆逐艦でも大砲ではなく魚雷を発射する攻撃方式が主流になっています。何故なら「艦砲射撃より、ずっと命中率が高くて経済的」だからです。
さて、一方、魚雷を撃たれた側からすると「何とかよけたい」と思うのが普通です。そして、それにはまず「魚雷が向かってきている」ことに気づかなければなりません。そして伊号第十九潜水艦の初出撃の時代には、それは可能だったのです。
この時代、魚雷の推進動力は、燃料と酸化剤である圧縮空気を搭載してエンジンを回す内燃機関型でした。要は小型エンジンを積んでいた訳です。ですので「排気ガス」が出ます。そして、その排気ガスは水中からブクブクと泡になって浮いて来ます。魚雷は前に進むので、そのブクブクの泡も一本の線となり海上に浮いてきてしまいます。ですので「ブクブクの泡の線」が海上に見えたら「魚雷が来る!」ということが察知できるのです。
また、その線の方向から魚雷の向かっている場所も、ある程度まで分かりますので、時間に余裕さえあれば魚雷を回避することも可能だったのです。この回避可能時間は魚雷が遠くに入ればいるほど余裕が出来るので、伊号第十九潜水艦の初出撃のように700m~900mも先から撃った場合、気づけば簡単によけることができたのです。
しかし日本海軍は大したもので、この「ブクブクの泡の線」問題を解決するために圧縮空気を純酸素にする、という方法を考え出しました。圧縮空気でブクブクが出てしまうのは、空気の主成分が窒素であり、窒素は燃焼しないからです。ですので純酸素に変えれば窒素は含まれず、全て燃焼に消費されるので「ブクブクの泡」は出ません。従って、敵に気づかれる可能性がほとんど無くなってしまうのです。これを酸素魚雷と言い、日本軍が開発した武器の中でも「中々の優れもの」でした。
燃焼効率が上がり高速化し、その結果、長距離射撃も精度が増しました。また爆薬の搭載量も多くする事が出来、命中した場合、相手に与えるダメージを大きなものにすることができたのです。この酸素魚雷のおかげで、伊号第十九潜水艦は後に「華々しい戦果」を挙げることになります。
ソロモン海へ出撃
1942年の夏、伊号第十九潜水艦はソロモン海に出撃しました。ガダルカナル島の攻防をめぐって激戦が繰り広げられていたため、応援部隊としての出撃です。艦長は木梨鷹一中佐に交代しての出撃でした。木梨艦長は航海術を専門とする数少ない潜水艦乗りです。この時点では、まだ米海軍はレーダーを装備しておらず換気浮上中に攻撃されることもなく、伊号第十九潜水艦はソロモン海に入りました。
そして9月15日に米海軍機動部隊を発見。6本の酸素魚雷を発射しました。発射距離は、およそ900mでしたが酸素魚雷に変更していたこともあり敵艦隊は魚雷に気づかず、また、ちょうど敵の機動部隊の主力艦である空母ワスプは旋回しつつある状態で「最も当たりやすい体制」になってくれたこともあり、なんと6本中3本の魚雷がワスプに命中。ワスプの撃沈に成功したのです。
さらに外れた3本の魚雷は、そのまま走り続け、伊号第十九潜水艦が狙った米機動部隊の東10kmの地点を航行していた別の米機動部隊「ホーネット」まで到達し、戦艦「ノースカロライナ」に1本、駆逐艦「オブライエン」に1本が命中し両船とも撃沈するという大成果を挙げました。
伊号第十九潜水艦は1943年の9月まで南太平洋通商破壊戦に参加し、これも大きな成果を挙げました。当時、酸素魚雷を「九五式魚雷」と呼びましたが、まさに潜水艦魚雷としては最高の魚雷だったのです。また、当時ガダルカナル島は米軍に包囲された状態で通常の輸送船では物資輸送ができず、これも伊号第十九潜水艦が担当しました。
その後、伊19はトラックに帰還。当時の海軍は「戦艦主義」であり、潜水艦は「あまり役に立たない」と思われていたのですが、伊号第十九潜水艦はその評価を覆す大活躍をしたのです。
伊号第十九潜水艦の最後
1943年10月17日に伊号第十九潜水艦はトラック島を出発、当初は米機動部隊の迎撃が目的でしたが、途中から真珠湾の偵察に任務が変更され、ハワイに向かいます。そして10月19日に途中にあるギルバート諸島で米海軍と遭遇。その日の1802の定時連絡を持って消息不明となりました。アメリカ側の記録では米駆逐艦ラドフォードにレーダー探知され爆雷7発を投下され撃沈されたことが分かっています。沈没地点はマキン島西方50km地点付近、北緯03度10分 東経171度55分の位置で乗員105名全員が戦死しました。
潜水艦という武器の存在意義とは?
潜水艦は魚雷を撃つことしか出来ない一方、潜航中は非常に発見が困難であり隠密行動ができるのが利点です。従って攻撃武器というよりも偵察が主な役目とされることも多かったのです。確かに第一次大戦ではドイツのUボートは活躍しましたがレーダー探知が実用化され、その優位性は失われてしまいました。しかし現在では原子力潜水艦というものがあります。原子力潜水艦は電力が豊富にあるので海水を電気分解して酸素が得られるので「換気浮上」をする必要がないのです。つまり「やろうと思えば1年間くらいは潜航し続けることも可能」なのです。そして現在でも潜航している潜水艦を発見するのは困難なのです。
よく「対潜哨戒機」という飛行機を聞く事がありますが、対潜哨戒機の役目は潜航している潜水艦の発見です。その発見方法は2つあり、1つはソナーを使って「音」を探す方法です。潜航している潜水艦はスクリュー音がするのですが、そのスクリュー音は「潜水艦の指紋」とも言えるもので潜水艦ごとに違う音がするのです。ですので見つけたスクリュー音が友軍の潜水艦か敵軍の潜水艦を判別することが出来るのです。
もう1つの方法は「磁気探査」です。大洋を航海する船や潜水艦は自然に地磁気を拾ってしまい船体が段々と磁化します。ですので潜水艦は母港に帰ると必ずワイピングという消磁作業をしますが、また出航して暫く経つと船体が磁化してきてしまいます。その磁気を見つけ出して潜航している潜水艦を発見するのが「磁気探査」ですが、この方法で発見するのは相当に運が良くないと駄目なのです。また潜水艦を発見したとしても通常兵器では攻撃できず、魚雷を撃つか爆雷を投下して運良く当たるのを祈るしかありません。つまり「攻撃力はあまりないが発見しづらく、発見されても撃沈されにくい」のです。
この特性は実は「核攻撃」を行うのには絶好の条件なのです。ですので米国海軍、英国海軍では原子力潜水艦が核ミサイルを搭載しており、これをSLBMと呼びます。以前は地上にあるサイロが核ミサイルの発射基地でしたが地上施設では場所を特定されてしまうとピンポイントで攻撃される恐れがあるので、現在では廃止されつつあるのです。
近年、北朝鮮がミサイルの発射と核弾頭の装備を進めていますが、米国側では偵察衛星で、地上の発射基地を正確に捉えています。ですので、いざとなったら巡行ミサイルなどの命中精度の高い武器を使えばピンポイントで攻撃が可能なのです。ですので北朝鮮も「うちもSLBMの開発を進めている」と公言しているのですが、相当な深海まで潜航できる原子力潜水艦は簡単に作れるものではなく、相当な技術力が必要であり、原子力発電の技術を持っているだけでは、とても作れないのです。
その辺りの事情は米軍も良く知っていますので北朝鮮が「SLBMを開発する」と言っても、正直なところ、「やれるもんならやってみな」と思っているのが本音なのです。潜水艦というのは案外に「地味な兵器」なのですが、いざとなったら核ミサイルを発射する「最終兵器」でもあるのです。
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