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「三柱鳥居」って何? 一体どんな意味が隠されてる?
- 2023/12/14
鳥居は、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するものとされています。要するに結界を意味していて、神域への入口を示すもの。いわば一種の門のようなものなんです。
では、一般の鳥居とは姿が異なる三柱鳥居(みはしらとりい)には、いったいどんな意味が込められているのでしょうか。
では、一般の鳥居とは姿が異なる三柱鳥居(みはしらとりい)には、いったいどんな意味が込められているのでしょうか。
三柱鳥居とは
三柱鳥居は、鳥居を3基組み合わせたものをいいます。3つの組み合わせなので、その形は正三角形。隣り合う鳥居同士が柱を同じくしますので、柱の数は3本になるんです。柱を繋ぐ笠木は桁状に組まれています。その形状は、神明鳥居を組み合わせたものや、木嶋神社で見られるように曲線を施したものを組み合わせたものなどがあります。
3本の柱を組み合わたのが三柱鳥居ということで、上記でも書きましたが形状は正三角形。鳥居の定義とされる神域と人間界との結界で神域への入口を示すものとは、少々異なるようですね。
日本各地に数多く存在するパワースポット、観光地と共に大勢の観光客が訪れているようですね。そして今、この三柱鳥居がパワースポットとして話題になっているとか。日本の限られた場所にしかないため、非常にありがたいものだと思っている人が多いようですが、パワーが発せられている場所とはちょっと違うかもしれませんね。
木嶋神社の三柱鳥居
木嶋神社の由緒書にある「三柱鳥居」には、「全国唯一の鳥居で上段神池に置かれています。鳥居を三つ組み合わせた形で、中央の組石は本殿御祭神が座する場所である神座となり、宇宙の中心を表わし、四方より拝することが出来ます。
いつ創立されたかは不明ですが、現在の鳥居はおよそ300年前の亨保年間に修復されたものです。一説では、景教の遺物ではないかとも云わっています。」
といった内容が記載されています。
日本の各所で見られる三柱鳥居ですが、木嶋神社のものが日本古来から残る唯一の三柱鳥居であるとされています。
どうして3本の柱になっているかは、いろんな説があるのですが、はっきりとしたことはわかっていません。それでも京都の太秦という一帯は、聖徳太子の良き補佐役として日本の礎を作った、中央アジアからの渡来人とされる秦氏が本拠地としていた土地なんです。この木嶋神社や三柱鳥居も、秦氏に大きく関係しているんですよ。
秦氏との関係
仏教が伝来した時の権力者である蘇我氏は、神道を支持する物部氏を滅ぼし、日本から神道を亡くして仏教国にしようとしました。しかしそれに対峙したのが聖徳太子と当時の秦氏の当主である秦河勝だったのです。仏教を取り入れることには意義はないが、神道を滅ぼさず仏教とともに存続させたのでした。景教を日本に持ち込んだのは、秦氏の一族で間違いないでしょう。これまでにも、日本に来ていたかもしれませんが、しっかりとした形での伝来は秦氏からだったと思います。そして秦河勝から聖徳太子に他のアジアの宗教とともに教えが伝わり、日本固有の神道と仏教が共存できるようにして、太子と秦河勝は弥勒菩薩がご本尊となるミトラ教をも同化させていったものと思われます。
「三柱鳥居」も、太子と秦氏がアレンジしていった教えを表したものであるといえるかもしれませんね。秦氏はイスラエルの失われた10支族だとする説もあり、そうならユダヤ教に関しても秦氏から太子に情報が入っていたことでしょう。神社の灯篭に五芒星が彫られていたり、日本とイスラエルの祭事が酷似していることなど、なるほどと思えることが少なくありませんね。遠く東の果てにやってきた10支族の民たちが、自分たちの文化の痕跡を異国で残す苦心の結果だったのかもしれません。
三柱鳥居の意味
三柱鳥居の形状の意味に関しては様々な説が存在しており、まだまだ謎もままになっています。湧水地の上に建っている事の多い三柱鳥居は、湧水を神格化した意味があると言う人もいますし、宇宙を意表す中央部の周辺に建つ柱は、宇宙の神々を意味すると考える人もいるようです。未だに謎多き三柱鳥居、現在でもたくさんの歴史学者さんたちがいろんな議論を交わしているようです。しかしそんな謎に包まれた部分があるからこそ、人を惹きつけているのも事実なんですよね。しかしパワースポットとして人気のようですが、木嶋神社の由緒書にあるように三柱鳥居の中心が神霊の座する場所なら、うかつに通り抜けたりしたものならパワーどころか大きなバチが当たりますよ。
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