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伊勢神宮で執り行われる式年遷宮の歴史と解説
- 2024/10/23
日本における、神社の中心的存在であるのが伊勢神宮です。その伊勢神宮では、式年遷宮という伊勢神宮最大の神事が20年に一度行われています。古来から続くしきたりや意味、そして「なぜ20年に一度なのか」等を解説していきます。
式年遷宮とその意味
式年遷宮(しきねんせんぐう)とは、伊勢神宮のみに使われる言葉で、決められた間隔でそれまで建っていた宮地から、新しい宮地に移る行事です。一般的な神社で遷宮のような行事を行なうところもあるのですが、その際は遷座(せんざ)とか宮移(みやうつし)と呼んでいます。伊勢神宮では20年ごとに行われる式年遷宮ですが、奈良の春日大社や大阪の住吉大社などでも、ほぼ同じ感覚で行われています。また出雲大社には、式年という概念はないようです。しかし修繕の意味合いで、60年に1度ほどの割合で行われているそうです。。
伊勢神宮最大の祭り
式年遷宮は20年に一度行われる、伊勢神宮で最大のお祭りです。新しく移るのは社殿だけでなく、御装束や神宝から別宮に宇治橋までが新しく作り替えられます。そして、遷御の儀が終わるまではなんと8年もの年月がかかるのです。その間、数多くの祭りと行事が行われます。なぜ伊勢神宮で式年遷宮が行われるのか?その理由について、現在では以下のような説が伝えられています。
- 神の降臨にふさわしい清新な神座を用意するため
- 五穀豊穣を祝う「神嘗祭」を常に清新な場で行うため
- 常に新しさを失わずにいることで神の御威光や御神徳の永遠を目指した
そして20年と決められた根拠などの記述はないのですが、以下の理由が考えられています。
- 橋や社殿に使われた用材の耐用年数
- 稲などの御神饌の貯蔵限度
- 御装束神宝や社殿などが新しさを失う年数
近年、伊勢神宮のにおいて、費用がかかるから仕様を変えろとか、簡略化しろなどと意見を言って変更させた、皇室の方・宮内庁関係者・政治家、そして多くのジャーナリストに有識者と呼ばれる人たちがおられるようですが、まさに神をも恐れない大それた所業ですね。その内に、何らかの形で天罰が下るかも。なんて思っている人も少なくはないかもですが…。
式年遷宮と御装束&神宝
式年遷宮では、神の御威光や御神徳の永遠を祈るため、全てを新しく作り替えるという意味があります。もちろん、御装束や御神宝も新しくなります。御装束とは、天照大御神の衣服や関係する服飾品以外にも、殿上や庭を飾る物も含まれます。神宝とは殿内に奉安する調度品をいい、紡績具・武具・馬具・楽器から文具や日常用具までが神宝となります。
新しくなる種類や数は、なんと714種類・1576点にもなり、奈良・平安時代のままの形状や材質に技法などが再現されます。なぜ行われるのかについて、実は正式な記述はないんです。神の降臨にふさわしい清新な神座を用意するためといった、複数の説はあるのですが…。そして、なぜ20年に1度行うのかについても記述はありません。橋や社殿に使われる用材の耐用年数など複数の説があるのですが…。
天武天皇によって制定
式年遷宮は、685年に天武天皇が制定した神事です。実際は次代天皇となる持統天皇により始まりました。この頃まで伊勢神宮は、依り代や祠で天照大御神をお祀りしていたのですが、第1回目の遷宮をきっかけに現在のような大規模な宮になったとされています。はじめての遷宮が行われたのは、内宮が690年で外宮が692年のことです。以後1300年にわたり、20年ごとに式年遷宮が行われますが、この20年という区切りは、日本書紀で「785年内宮の第6回目(第1回目より95年後)」という記述と、続日本書紀の「870年外宮の第10回目(外宮第1回目より178年後)」という記述しかないことから、不明確とも言われています。
その後、戦乱が相次いだため、内宮では1462~1585年までの123年間、外宮では1434~1563年までの129年間、遷宮は行われませんでした。しかし織田信長や豊臣秀吉が遷宮費用を献納したこともあり、遷宮が再び行われるようになります。その後、一般の人々に神宮参拝の余裕が戻り、現在に至るまで続いています。
心の絆
1300年以上の歴史をもつ伊勢神宮の式年遷宮は、五穀豊穣を祝う農耕文化に育まれた歴史への祈りを表すものなんです。それは私たち日本人が、ご先祖様より大切にされてきた思いを今に蘇らせること。伊勢神宮式年遷宮は、ご先祖様と私たちを繋ぐ心の絆となっているのです。※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。
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