戦国時代の地理区分(令制国)と年号(和暦)を知ろう!

戦国史を読みすすめていても、なかなかスッと頭に入ってこない…。それはもしかしたら、歴史にはいつ(=年号)、どこで(=地名)の2つが最も頻出するのに、あまり馴染みがないせいかもしれません。

さらに登場人物や出来事もたくさんあるし、組織や人間関係もよくわからないんだから、もうお手上げ状態…。

せめて戦国時代の年号と地名。この2つをざっくりでも覚えれば、少しは戦国史への抵抗感も減るかもしれません。ということで、本記事では戦国時代の年号(和暦)と地理区分(令制国)についてみていきます。


令制国と都道府県との比較


まずは戦国時代の日本地図をみてみましょう。

上記のマップ(※出典:世界の歴史まっぷ) をみると、現在の都道府県と戦国時代の地理区分がどのように対応しているかが、よくわかります。


歴史の授業のおさらいになるかもしれませんが、令制国(りょうせいこく)というのは、昔の日本の律令制に基づいて設置された地方行政区分であり、奈良時代から明治初期までの日本の地理的区分の基本単位を指します。

都道府県が47あるのに対し、戦国期の令制国は70近くに分けられているように、その数や境界線が一致するワケではない点に注意しましょう。


例えば、織田信長や羽柴秀吉の出身地である尾張国と、徳川家康出身の三河国なんかは、同じ愛知県にあたるし、四国の4国(阿波・讃岐・伊予・土佐)などは、そのまま現在の四国の4県に該当します。



以下は、都道府県と令制国の対比一覧です。



五畿七道 国(該当する都道府県)
畿内
  • 山城(京都府の南部)
  • 大和(奈良県)
  • 河内(大阪府の東部)
  • 和泉(大阪府の南西部)
  • 摂津(大阪府の北中部、兵庫県の南東部)
東海道
  • 伊賀(いが、三重県の西部)
  • 伊勢(いせ、三重県の北中部、愛知・岐阜県の一部)
  • 志摩(しま、三重県の東部)
  • 尾張(おわり、愛知県の西部)
  • 三河(みかわ、愛知県の東部)
  • 遠江(とおとうみ、静岡県の大井川以西)
  • 駿河(するが、静岡県の中部・北東部)
  • 伊豆(いづ、静岡県の伊豆半島、東京都伊豆諸島)
  • 甲斐(かい、山梨県)
  • 相模(さがみ、神奈川県の北東部以外)
  • 武蔵(むさし、東京都、埼玉県、神奈川県の一部)
  • 安房(あわ、千葉県の南部)
  • 上総(かずさ、千葉県の中部)
  • 下総(しもうさ、千葉県の北部、茨城県の南西部、埼玉県東辺、東京都東辺)
  • 常陸(ひたち、茨城県の大半)
東山道
  • 近江(おうみ、滋賀県)
  • 美濃(みの、岐阜県の南部)
  • 飛騨(ひだ、岐阜県の北部)
  • 信濃(しなの、長野県、岐阜県の一部)
  • 上野(こうずけ、群馬県)
  • 下野(しもつけ、栃木県)
  • 陸奥(むつ、青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県の北東部)
  • 出羽(でわ、山形県、秋田県の大半)
北陸道
  • 若狭(わかさ、福井県の南部の大半)
  • 越前(えちぜん、福井県嶺北地方・敦賀市、岐阜県の北西部の一部)
  • 加賀(かが、石川県の南部)
  • 能登(のと、石川県の北部)
  • 越中(えっちゅう、富山県)
  • 越後(えちご、新潟県)
  • 佐渡(さど、新潟県の佐渡島)
山陰道
  • 丹波(たんば、京都府の中部、兵庫県の北東部、大阪府の北部)
  • 丹後(たんご、京都府の北部)
  • 但馬(たじま、兵庫県の北部)
  • 因幡(いなば、鳥取県の東部)
  • 伯耆(ほうき、鳥取県の中部・西部)
  • 出雲(いずも、島根県の東部)
  • 石見(いわみ、島根県の西部(石見地方))
  • 隠岐(おき、島根県の隠岐郡(隠岐諸島))
山陽道
  • 播磨(はりま、兵庫県の南西部)
  • 美作(みまさか、岡山県の東北部)
  • 備前(びぜん、岡山県の東南部、香川県小豆郡・直島諸島、兵庫県の一部)
  • 備中(びっちゅう、岡山県の西部)
  • 備後(びんご、広島県の東部)
  • 安芸(あき、広島県の西部)
  • 周防(すおう、山口県の東部)
  • 長門(ながと、山口県の西部)
南海道
  • 紀伊(きい、和歌山県、三重県の南部)
  • 淡路(あわじ、兵庫県淡路島・沼島)
  • 阿波(あわ、徳島県)
  • 讃岐(さぬき、香川県)
  • 伊予(いよ、愛媛県)
  • 土佐(あき、高知県)
西海道
  • 筑前(ちくぜん、福岡県の西部)
  • 筑後(ちくご、福岡県の南部)
  • 豊前(ぶぜん、福岡県の東部、大分県の北部)
  • 豊後(ぶんご、大分県の大半)
  • 肥前(ひぜん、佐賀県、長崎県(対馬市・壱岐市除く))
  • 肥後(ひご、熊本県)
  • 日向(ひゅうが、宮崎県)
  • 大隅(おおすみ、鹿児島県の東部・奄美群島)
  • 薩摩(さつま、鹿児島県西部)
  • 壱岐(いき、長崎県の壱岐島)
  • 対馬(つしま、長崎県の対馬島)

一覧を眺めてみると、「あ、これは知ってる。」なんてのも多かったのではないでしょうか。ちなみに現在の首都は、徳川家康が江戸幕府を開き、政治の中心地として発展した "東京" ですが、戦国時代の首都は "京都" にあたります。


年号と西暦の比較

さて、次は戦国史の年号についてみていきましょう。


着目すべき点は主に2つ。一つは閏月の存在、そしてもう一つは改元の多さです。


そもそも戦国史では一般に和暦が多用されます。
というのも、西暦が日本に伝わったのは16世紀ですが、実際に使用されたのは明治時代に入ってからです。
戦国当時の暦は、現在の太陽暦ではなくて、「太陰太陽暦」というものを用いていました。


「太陰太陽暦」は、月の満ち欠けの周期を利用した「太陰暦」を元に、太陽の動きも考慮された暦です。


月の周期は月29.5日で、1年に置き換えると354日ですが、太陽の周期は365.25日であることから、日数にズレが生じえしまいます。このズレを調節するため、2~3年に1度は、閏月(うるうづき)という月を足して「1年=13ヶ月」の年が作られます。


戦国時代に使用された太陰太陽暦は、この閏月を要チェックです。


また、改元についてですが、室町~戦国期のわずか200年の間に何度も実施されています。現在では元号法により、皇位の継承があった場合に限り、改元されますが、戦国当時は病の流行や不吉な出来事などを理由に頻繁に改元されていたようですね。


一応、以下に元号一覧をざっくり載せましたのでよかったら確認してください。


西暦 年号 主な出来事
1429 - 1441 永享(えいきょう) 永享の乱
1441 - 1444 嘉吉(かきつ) 嘉吉の乱
1444- 1449 文安(ぶんあん)
1449- 1452 宝徳(ほうとく)
1452- 1455 享徳(きょうとく) 享徳の乱
1455- 1457 康正(こうしょう)
1457- 1461 長禄(ちょうろく)
1461- 1466 寛正(かんしょう)
1466- 1467 文正(ぶんしょう)
1467- 1469 応仁(おうにん) 応仁の乱
1469- 1487 文明(ぶんめい) 山城国一揆
1487- 1489 長享(ちょうきょう) 長享の乱
1489- 1492 延徳(えんとく)
1492- 1501 明応(めいおう) 明応の政変
1501- 1504 文亀(ぶんき)
1504- 1521 永正(えいしょう) 永正の乱
1521- 1528 大永(だいえい)
1528- 1532 享禄(きょうろく)
1532- 1555 天文(てんぶん) 天文の乱
1555- 1558 弘治(こうじ)
1558- 1570 永禄(えいろく) 桶狭間の戦い、永禄の変
1570- 1573 元亀(げんき) 姉川の戦い、比叡山焼き討ち
1573- 1593 天正(てんしょう) 本能寺の変、賤ヶ岳の戦い
1593- 1596 文禄(ぶんろく) 文禄の役
1596- 1615 慶長(けいちょう) 慶長の役

改元が多すぎて記憶には残りにくいですが、「応仁の乱」などのように、広域の合戦や政変などの名称に元号が使われているので、そうした点に着目して覚えるといいかもしれないですね。

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  この記事を書いた人
戦ヒス編集部 さん
戦国ヒストリーの編集部アカウントです。編集部でも記事の企画・執筆を行なっています。

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