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かつて唯一の交易拠点だった長崎の”出島”。現在の様子は?

 歴史の授業でも学ぶ、「出島」。長崎にあり、かつて日本が鎖国をしていた時には外国との唯一の交易拠点となっていた場所です。

 他国との交易が盛んになったあと、出島はその役割を終えましたが、現在はどうなっているのでしょうか?その様子や、出島の歴史・魅力をご紹介していきます。

出島の歴史

 出島は寛永13年(1636)につくられました。安政6年(1859)、出島にあったオランダ商館が閉鎖されるまでの間約218年間に渡り、日本で唯一の交易拠点であり、西欧に開かれた窓として大きな役割を果たしてきました。日本の近代化が叶ったのも、出島があったからこそと言えるかもしれません。

 江戸時代、キリスト教に対する禁教令が出されていた時代、幕府はキリスト教の布教を阻止しようとポルトガル人を1ヶ所に集めました。その場所こそ出島だったといいます。

 出島は、徳川幕府の命により地元の豪商たちが海を埋め立ててつくった人工島であり、当時は「築島(つきしま)」、「扇島」とも呼ばれていたそう。

 長崎で島原の乱が起こり、キリスト教を広めたポルトガル人がいっそう弾圧される一方で、オランダは政府に接近して日本との交易を独占しようとします。

 寛永16年(1639)、とうとうポルトガル人は出島から追放されてしまいます。出島はいったん無人になりましたが、寛永18年(1641)には平戸からオランダ商館が移転することに。そしてその後、開国までの約218年間にわたって唯一の交易拠点となっていたのです。

出島はその後どうなった?

 明治期に役割を終えた出島。オランダ商館が閉鎖されたあと、出島の周囲は埋め立てられました。海に浮かぶ島というもともとの形ではなくなってしまいましたが、戦後再評価され、1951年に長崎市が出島の復元・整備を開始。一般の人でも楽しめる、観光資源として再開発・活用しようとする動きが復活しました。

出島の再興

出島にはさまざまなスポットが復活

 出島は現在までに16棟の建物や昔ながらの景観が復活。当時の姿を取り戻し、まるで江戸・明治時代にタイムスリップしたかのようなレトロな空間が広がります。

 出島の中でも注目したいのが、「出島表門橋」。昔はこの橋を渡って出島と行き来していたといいますが、再興されたことで昔と同じように橋を渡って出島に出入りできるようになりました。出島に来たという気持ちが高まりますね。夜になるとライトアップされ、より雰囲気たっぷりになります。

出島の名残?

 出島のすぐそばには、税関もあるんです。交易拠点であったころの名残だと言えるかもしれませんね。出島周辺を散歩していると、当時の面影があるスポットがちらほら残っているので見てみるのも良いかもしれませんね。

出島での過ごし方

 出島の復元された建物では、日蘭貿易や、蘭学とは?というオランダとの交易や文化交流の様子、そして出島での生活など、テーマごとに展示を行っています。また、旧出島神学校や旧長崎内外クラブなどの開国後に建てられた建物も。その街並みも楽しんでみて。

 さらにはその洋館で食事をしたり、イベントも開催されたりとにぎやかに過ごすこともできます。特におすすめなのが着物や袴などの着付け体験をして出島を巡るプラン。女性を中心に人気で、趣たっぷり。長崎観光の思い出にもなるので、気になる方はチャレンジしてみては?レトロな街並みを楽しみながら、粋な気分になれるかもしれません。

リゾート気分を味わえるスポットも

 複合商業施設「出島ワーフ」も近くにある建物です。近代的なスポットで復元された出島の雰囲気とは少し異なるのですが、オープンテラスのカフェやレストランがあり、展望デッキから抜群の景色を眺められるなど注目のスポットです。ゆっくり長崎の景色を楽しみたいという方はこちらも要チェック。

出島でレトロ散策を楽しむのがオススメ

 出島と言えば教科書の中に出てくる架空の島…というような想像をしがちなのですが、実際に今訪れてみるとイメージは全然変わってくるかもしれません。

 特に当時の建物が再建されているというのもポイント。趣もたっぷりです。長崎を訪れた際には歴史に思いを馳せながら、出島を散歩してみては?

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  この記事を書いた人
ゆかた さん

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