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金沢文化を代表する茶屋街「ひがし茶屋街」の歴史とみどころスポットの巡り方
- 2025/06/13

今回は金沢のなかでも昔の街並みが残り、多くの観光客に人気の「ひがし茶屋街」にスポットをあててご紹介していきたいと思います。
ひがし茶屋街の歴史
ひがし茶屋街は、加賀藩公認の歓楽街として発展。芸妓あそびや接待で使うような大人の社交場として貴重な場所でした。武士だけでなく、商人、町人なども遊ぶことのできる場所で江戸時代から続いています。ひがし茶屋街の他に、にし・主計町があり、これら3つの茶屋街が人気でした。当時の風情を今に伝える街並みや発展の経緯などは、京都の祇園と少し似ているかもしれません。
誕生したのは1820年のことです。それまで城下にいくつか点在していた茶屋を、加賀藩「公認」とすることによって新たな都市計画のもと移転や街づくりが行われました。ひがし茶屋街は、金沢で最高の格式を誇る茶屋街であったと言われています。
ひがし茶屋街には、当時は90軒あまりの茶屋があったそうです。しかし一度風紀の乱れにより茶屋街の廃止や、再びの公認などがあり明治以降も発展してきました。
現在のひがし茶屋街は?

現在ひがし茶屋街を訪れると、着物姿の観光客や外国人観光客でおおにぎわい。平成に入りこの貴重な街並みを保存する動きが加速し、2001年11月に「東山ひがし」として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。そして一気に観光地化がすすめられていきました。
レンタル着物店やオシャレなカフェやレストラン、お土産物店なども多く一日散策していても飽きません。特に金沢の名物でもある金箔ののった金箔ソフトなどが人気。女性ならこの機会に着物を着て散策するのがおすすめです。
ひがし茶屋街で歴史を堪能するなら…

ひがし茶屋街はこのように街並みは保存されていますが、中に入ればカフェやレストランとモダンに改装されている建物が多くあります。そんな中で、当時の茶屋建築がそのまま残り見学可能な施設がひがし茶屋街にある「志摩」です。
加賀藩下では「お殿様を見下ろしてはいけない」という決まりがあり、城下町では2階建ての建築は一部を除き禁止されていました。しかし茶屋街は当時周囲を塀で囲まれた孤立したエリアであり、特別な存在だったので茶屋街に限り、2階建ての建物が許可されていたそうです。
「志摩」は茶屋町ができた当時に建てられた建物で、今は国の重要文化財にも指定されています。入場料を支払うことで中を見学でき、当時のお茶屋さんがどのような建物だったのかを肌で感じることができます。
せっかくひがし茶屋街を訪れるなら、ぜひ休憩を兼ねて歴史を感じてみてはいかがでしょう。
ひがし茶屋街で歴史散歩

ひがし茶屋街だけでなく、にし茶屋街や主計茶屋街など、趣ある街並みがたくさんある金沢。まるでタイムスリップしたかのように、趣があり美しい街並みが残っていて、今でも散策していると、当時の華やかな様子が目に浮かぶようです。
金沢を訪れた際にはぜひお茶屋街にも注目してみて下さいね。
<参考サイト>
志摩 http://www.ochaya-shima.com/info/info_f.html
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