「光る君へ」花山天皇失踪事件 『栄花物語』は天皇の出家をどう描いたのか?

 大河ドラマ「光る君へ」第10回目は「月夜の陰謀」。花山天皇が藤原兼家の策略により、退位に追い込まれる様が描かれていました。

 寛和元年(985)7月、最愛の女性・藤原忯子(女御。藤原為光の娘)を病で亡くされた花山天皇(以下、天皇と略記)。平安時代の歴史物語『栄花物語』には、忯子を亡くされて以降、悲しみの余り、引き篭もりがちになられる天皇のご様子が記されています。

 同書によると、そうした時に、天皇は世間の人々(女性)が道心(出家者となって修行に励む心、信仰心)を起こし、尼になっているという評判を聞かれます。そして「忯子は懐妊のまま死んだので、深い罪障に苦しんでいるであろう。その罪障を消してやりたい」と思われるようになったようです。

 天皇の落ち着かぬ様子に周りの臣下も心配しますが、天皇は僧侶・厳久の説教を聞かれるなどして、いよいよ出家の意思を固めていきます。そんな寛和2年(986)6月、大事件が起こります。天皇が突如、宮中から姿を消されたのです。当然、宮中は大騒ぎ。全ての灯火を点けて上下の者たちが懸命の捜索をするのでした。が、どこにも天皇のお姿は見えません。山々や寺々も捜索の対象となりましたが、なかなか天皇を発見することはできず。関所も固められます。

 宮中の女御たちは涙を流し、天皇の身を案じていました。花山天皇の治世において実権を握っていた藤原義懐(天皇の外叔父)や藤原惟成は天皇を探し求めて「花山」(元慶寺=京都市山科区北花山河原町にある寺院)に辿り付きます。するとそこには、天皇が法師の姿となられて、座っていらしたのでした。義懐や惟成は嘆き悲しみ、天皇の後を追い、すぐに出家します。

花山天皇と供の者が、元慶寺に向かう途中を描いた浮世絵(月岡芳年 画「花山寺の月」より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
花山天皇と供の者が、元慶寺に向かう途中を描いた浮世絵(月岡芳年 画「花山寺の月」より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

 天皇がどのようにして、徒歩で花山まで行かれたのか、『栄花物語』はその事を記していません。花山天皇の出家は、藤原兼家の陰謀ともされますが、同書はそれについては触れていないのです。最愛の忯子を亡くした悲しみ、忯子の菩提を弔いたい、そうした心が天皇の中で強固となって出家されたというのが『栄花物語』の話の流れであります。

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  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。 著書『播 ...

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