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日本遺産にも選定!意外な場所にある「大坂城残石記念公園」ってどんな場所?

  • 2025/12/03
豊臣時代の大坂城の城壁の一部
豊臣時代の大坂城の城壁の一部
 大阪城といえば大阪市内ど真ん中に建っているお城ですが、その建築に使われた石はどこから運ばれてきたものかご存知でしょうか? 実は瀬戸内海の小さな島・小豆島には「大坂城残石記念公園」があり、当時の歴史を知ることができます。

 一体どんな場所なのか、ご紹介していきたいと思います。

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小豆島と石の関係は?

 日本の建築に欠かせない素材「石」は、瀬戸内で切り出されたものを多く含みます。近代建築では日本銀行本店、他に三井本館や明治生命館などは全て瀬戸内、特に備讃諸島産の石が使われているそう。

日本銀行本店本館
日本銀行本店本館

 瀬戸内の備讃諸島は大小多くの島々ですが、特に有名な島が、小豆島です。他に塩飽諸島、笠岡諸島などを含んでいますが、どの島にも共通して言えるのが平地が少なく、山肌がむき出しになっているところ。特に花崗岩などの巨石がそのまま目に見えるかたちで残っていることが多いといいます。

 このような地理や島の特性を活かして、良質の石が切り出されるようになっていったといいます。運搬に時間や手間はかかりますが、それ以上に素材の良さも重視されたそうです。

大阪城の修復と小豆島の石

 大阪城(大坂城)は大阪冬の陣・夏の陣の際に一度落城しています。攻撃には大砲も使われ、かなりのダメージを受けました。その後大坂城を修築するために使われた石は、小豆島から切り出されたものです。小豆島にある「大坂城残石記念公園」はその時に切り出されたものの、結局は使われず放置された石(残念石)を中心に整備された公園です。

大坂城残石記念公園で体験できるのは?

 「あんなに大きな石をどうやって切り出していたのか?」「どうやって運搬していたのか?」という疑問は、大坂城残石記念公園を訪れればわかるかもしれません。大きな石を切り出すためには高度な技術が必要です。採石当時の写真や古文書も展示されているので、興味のある方はチェックしてみてはいかがでしょう。石の運搬に使うための道具も、実際に見てみるとそのアイデアにびっくりするかもしれません。

大坂城残石記念公園を訪れてみよう

 大坂城石垣の丁場跡(石を切り出す現場)では、今でも直径2~3メートルほどという巨大な石があたり一面にごろごろと存在していて、その独特な風景を楽しめます。大坂城の石垣が瀬戸内から来ていたことや、石垣になるはずだった400年前の石が今もそのままの姿で残されていることには不思議な縁やロマンを感じますね。

 また、大坂城残石記念公園はその歴史的価値からも「日本遺産」に認定されています。さらに、喫茶や売店も併設されていて、観光スポットという側面も持つスポット。日本の建築文化を支えてきた”石”の技術と歴史を感じながら、小豆島の観光を楽しんでみてはいかがでしょう。

※参考

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