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天狗が守ると言われる神秘の山「鞍馬」はどんな場所?

  • 2025/12/03
 京都市内から少し外れた場所にあり、牛若丸が育った場所として、そして「天狗伝説」でも知られる霊山・鞍馬。観光スポットとして人気の京都ですが、鞍馬にまで足を運ぶ人は意外にも少ないかもしれません。しかし、実は市内からも簡単にアクセス可能。観光スポットをひと通り制覇したという京都通の方にもおすすめです。

 神秘のパワーが満ちた鞍馬はどんな場所なのか、ご紹介していきたいと思います。

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鞍馬寺の成り立ち

 鞍馬寺は770年に鑑真和上の弟子であった鑑禎上人が開きました。その後、796年に藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)が伽藍を造営。この時に北方の王城を鎮護する存在になったと言います。その後真言宗になったり天台宗に復帰したりした後、昭和22年には鞍馬弘教が立教され、現在に至っています。

鞍馬寺で一番の注目スポット

 鞍馬寺には、千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊が三身一体の御本尊として祀られています。そしてその御本尊は、宇宙の真理そのものであるとされているそう。

 本殿金堂前にある床・金剛床は、宇宙のエネルギー、すなわち波動が広がるパワースポット。この金剛床の中心に立って祈ると、よりそのエネルギーを感じられると言われています。鞍馬寺に立ち寄った際にはぜひチェックしてみて下さい。

鞍馬寺と牛若丸

 幼名「牛若丸」、源頼朝の弟である源義経が幼少期に修業をしたと言われている場所。義経は頼朝とともに平氏を打ち破りますが、兄弟仲は悪化し、結果として頼朝に粛清されてしまいます。しかし現在でも語り継がれるほどの圧倒的人気を誇る武将のひとり。今でもファンが多く、「牛若丸関連のスポット」として歴史好きの方も多く訪れるそうです。

 牛若丸は11歳の時に鞍馬寺へ預けられ、ここで僧になるべく修行をしたそう。しかし僧になることを拒否して鞍馬寺を出奔し、弁慶と共に奥州へ行きます。実は修行時代、牛若丸は僧の修行ではなく武術の稽古にも明け暮れており、その修行相手だったのは鞍馬に住んでいた天狗だったという伝説があります。この頃から父親の仇を討とうと考えを巡らせていたのかもしれません。

牛若丸と天狗の関係とは?

 牛若丸はある日、僧とともに出かけますが一人取り残されてしまい、とある山伏に花の名所へ連れて行ってもらいます。そしてその山伏は自分の正体を大天狗であると明かしたのです。牛若丸の出自を知った天狗は、いつか牛若丸が平氏を討てるよう厳しい訓練をします。そして牛若丸は天狗との厳しい修行に耐え抜き、秘伝の兵法を授かったという伝説があります。

 境内にある霊宝殿(博物館)には、鞍馬の伝承や文化、牛若丸関連の資料など、写真や絵巻物などが数多く展示されています。

 また、鞍馬寺をハイキングしてみるとその地質が独特なことにも気付くかもしれません。本殿裏から奥の院へと続く山道にはいくつものスポットがあるのでご紹介していきます。

木の根道

 ここはスギの根が地上を覆っている独特の場所ですが、大変歩きにくく脚力が必要です。義経も修業の際に使っていたといわれる場所ですが、ここを歩けば義経はここで鍛えられたからこそ、壇ノ浦の戦い(1185)で「八艘飛び」伝説などを残すに至ったのだと思わされます。

背比べ石・義経公息継ぎの水

 他にも、義経が奥州へ向かう前に天狗との別れを惜しんで背を比べ記した「背くらべ石」や、修行の際に水を飲んでいたという「義経公息継ぎの水」など天狗との伝説の残る場所が各所にあります。

脚力に自信の無い方はケーブルカー利用もオススメ

 牛若丸伝説の残る場所は山中なので歩くには体力が必要ですが、仁王門から鞍馬寺境内近くまではケーブルカーがあるので、気軽に訪れることもできます。

 本殿前からは比叡の山並みが一望でき、紅葉や桜、新緑なども楽しめるので季節問わず景観を見に訪れるのもいいですね。

 義経のルーツをたどってみたり、パワースポットや景色を楽しんだりとさまざまな過ごし方ができる鞍馬寺。ご紹介した以外にもいろいろな注目ポイントがあるのでぜひチェックしてみて下さい。

※参考
鞍馬寺公式HP

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