大空の覇者「ゼロ戦(零戦)」は欠陥品だった?! その致命的な弱点とは
- 2024/08/07
ゼロ戦(正式名称は零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき))は、誰もが知っているかと思います。日中戦争時に登場し、太平洋戦争で活躍した日本海軍の主力戦闘機です。
強力なエンジンを持つライバル機が登場するまで “大空の覇者” として無敵の強さを誇ったゼロ戦ですが、実は開発当初から軍用機としては致命的な弱点を持つ欠陥品とも言える戦闘機でした。
今回は、そんなゼロ戦の弱点について解説します。
強力なエンジンを持つライバル機が登場するまで “大空の覇者” として無敵の強さを誇ったゼロ戦ですが、実は開発当初から軍用機としては致命的な弱点を持つ欠陥品とも言える戦闘機でした。
今回は、そんなゼロ戦の弱点について解説します。
ゼロ戦の誕生
先ずは、簡単にゼロ戦について紹介します。ゼロ戦の開発は、これまでの日本航空技術史上、最も画期的な戦闘機といわれた「九六式艦上戦闘機(九六式艦戦)」の活躍に自信を持った海軍が、長引く日中戦争と予測される対米戦に備え、更なる高性能戦闘機を要求したことに始まります。
昭和12年(1937)10月5日、海軍は三菱重工業・中島飛行機両社に『十二試艦上戦闘機計画要求書』を交付します。
この内容を抜粋して記すと、
- <用途>
- 援護戦闘機として敵の軽戦闘機より優秀なる空戦性能を備え、迎撃戦闘機として敵の攻撃機を捕捉撃滅し得るもの
- <最大速度>
- 高度4000メートルで270ノット(時速500km)以上
- <上昇力>
- 高度3000メートルまで3分30秒以内
- <航続力>
- 過荷重状態(増設燃料タンク装備)
高度3000メートル、公称馬力で1.5時間乃至2.0時間、巡航で6時間以上 - <空戦性能>
- 九六式二号艦戦一型に劣らぬこと
- <機銃>
- 九九式20ミリ一号固定機銃三型 2丁
九七式7.7ミリ固定機銃 2丁
というものです。この計画要求書内容は、九六式艦戦に比べて飛躍的な進歩を要求する数字ばかりで、速度・上昇力・装備などは世界の最高水準、航続力と格闘性能は世界の水準を超えるものでした。
これに対し、九六艦戦に続いて設計主務者となった三菱の堀越二郎技師は、
「もしこの計画要求を満足する戦闘機が出来れば、近い将来において、性能にかけては正に世界一たること間違いなしと思われた。」
と感想を述べています。
当然ですが、その要求に応える戦闘機の制作は困難を極め、試作研究段階において中島中島飛行機は参加を断念しています。一方で三菱は「十二試艦上戦闘機」と名付けられた試作戦闘機の完成に向け、研究開発を進めていきました。
戦闘機の運動性能を上げるには高出力エンジンが必要ですが、当時の日本には低出力エンジン(1000馬力程度)しかなかったため、堀越技師は “徹底した軽量化” によって要求数値のクリアを目指します。
機体の材料には世界で初めて “超々ジュラルミンESD(またはESDT)” を採用し、主翼と胴体は極力小さい金具で結合させ、機体の至る所には肉抜き穴が開けられました。
そして、空気抵抗を極限まで減らした機体設計…。
こうした努力と工夫によって、“抜群の運動性能”と“常識破りな航続距離”、さらには“重武装”を携えて完成した十二試艦戦は海軍の要求を見事にクリア。最初のゼロ戦「零式艦上戦闘機11型」は昭和15年(1940年)7月末に海軍制式機として採用されたのです。
11型以降も21型や52型等、改良を重ねながら海軍の主力戦闘機として1万機以上生産され、太平洋戦争終戦まで活躍しました。
しかし、冒頭にも述べた通り、ゼロ戦には開発当初から弱点がありました。それは改良を重ねつつも最後まで克服することができなかったのです。
次は、本題であるゼロ戦の弱点を見ていくことにしましょう。
ゼロ戦が抱える弱点
~その1~「防御力の低さ」
極限まで運動性能を上げるために徹底して軽量化を追求した結果、“防弾装備がほとんどない仕様”となりました。他の軍用機には、当たり前に装備されていた操縦席の防弾板はなく、主翼内まで広がった大型の燃料タンクの防弾装備もほとんど施してない欠陥品状態で、“わずかな被弾で撃墜される戦闘機” だったのです。
これは敵機と直接戦う戦闘機にとっては致命的な弱点です。
最初に要求計画書を見た堀越技師も、
「燃料タンクと搭乗者の防弾の要求はなかった。(中略)一騎打ち的戦法を重要視していたため、防弾によって重量増大を招くことを嫌った故…」
と感想を述べています。
~その2~「機体強度の低さ」
こちらも軽量化から生じる弱点です。最高時速533kmという高速飛行を実現したゼロ戦でしたが、実際は機体強度が低かったため膨大な負荷がかかる高速飛行(時速480km以上)や急降下時には機体が破損、最悪の場合は “空中分解” もあり得る欠陥品でした。
しかしゼロ戦が登場した当初は、弱点となる高速や急降下を必要とする過激な空戦はほとんど行われなかった(その前にゼロ戦が圧勝)ので、ゼロ戦は大いに活躍することができたのです。
〜その3〜「低出力エンジン」
こちらも先述しましたが、ゼロ戦に積まれたエンジンは当時の日本では最新型とはいえ、1000馬力程度しか出ない世界的にみれば低出力エンジンでした。この非力さを軽量化でカバーし、抜群の運動性能を達成したのがゼロ戦です。
しかし、“マイナスGの状態(背面飛行や急降下開始直後)では短時間しか運転が続かない” という低出力エンジンゆえの弱点がありました。
後に、この弱点を突いたライバル機の出現によってゼロ戦は苦戦することになります。
弱点さえも霞む、ゼロ戦の凄まじさ
このように、幾つもの弱点があったゼロ戦ですが、これらの弱点が霞むほどに実戦で活躍したのは事実です。せっかくなので、“ゼロ戦がいかに優れた戦闘機だったか” というお話も紹介しておきましょう。驚愕の実戦デビュー
日中戦争に投入されたゼロ戦は、昭和15年(1940年)8月19日に重慶爆撃を行う陸攻54機の護衛として12機が初陣を果たします。しかし、その時は敵機と遭遇することなく帰投します。そして9月13日。13機のゼロ戦は、“27機の中国軍機(ソ連製のイ15、イ16)を、わずか10分程で全機撃墜させる” という驚愕のデビューを果たします。
さらにそれ以降、太平洋戦争開戦までに70回の出撃で約270機を撃墜破しています。
積乱雲と同格のゼロ戦
昭和16年(1941年)12月8日、太平洋戦争が始まると中国軍機だけでなく、米英軍機とも戦うことになります。しかし当時、世界中どこを探してもゼロ戦に敵う戦闘機は存在しませんでした。
イギリス軍戦闘機バッファローやアメリカ軍戦闘機Pー40ハリケーン、最新鋭戦闘機F4Fワイルドキャットなどもゼロ戦には全く歯が立たず、中国大陸や太平洋の大空で無双するゼロ戦に対して怯えたアメリカ軍機は、ゼロ戦と積乱雲に出会ったときだけ、戦場から逃げることを許可されたようです。
ゼロ戦は豪雨や雷を起こす積乱雲と同格に扱われるほど脅威だったことがうかがえる話です。
アメリカ軍の示した3つのネバー(Never)
昭和17年(1942年)7月にアリューシャン列島のアクタン島で不時着したゼロ戦を回収したアメリカ軍は、ゼロ戦を徹底的に研究し、その性能に驚愕します。 そして、アメリカ海軍航空技術諜報センターNACA(現在のNASA)より、
- ゼロ戦とドッグファイト(1対1の格闘戦)はしない
- ゼロ戦の直後にいる場合を除き、時速300マイル(480km)以下では戦闘に入らない
- 低速で上昇中のゼロ戦には近づかない
という “3つのネバー” が通達されました。
アメリカ軍はこのネバーを遵守し、“サッチ・ウィーブ”と呼ばれるゼロ戦1機に対して背後から2機で近づいて攻撃する戦法を採用してゼロ戦に対抗します。
それでもゼロ戦優位は変わらなかったのですから、ゼロ戦の戦闘能力は異次元レベルだったようです。もちろんゼロ戦自体の性能が優れていただけでなく、搭乗員の技術力も高かったのでしょう。
おわりに
「零式艦上戦闘機21型 製造番号4593」通称 “アクタン・ゼロ”。先述した、アメリカ軍に回収されたゼロ戦です。
3つのネバーを通達したアメリカはその後、確実にゼロ戦の性能を超える戦闘機 “F6Fヘルキャット” を開発します。
ゼロ戦の2倍の出力である2000馬力エンジンを積んだことにより、猛スピードで近づいて防弾の弱いゼロ戦に一撃を浴びせ猛スピードで逃げていく“一撃離脱”戦法が可能となったF6Fヘルキャット。
これにより“大空の覇者”として無双していたゼロ戦は神通力を失います。また、ミッドウェー敗戦以降、深刻化していた搭乗員の力量不足も相俟って、日本は制空権をアメリカに奪われていくのでした。
堀越技師はゼロ戦の弱点である防弾装備の弱さについて、次のように述べています。
「日華事変においてわが方が非常に優勢であったので、その(防弾装備)必要を痛感しなかった」
戦局の悪化に伴い、防弾装備の必要性を痛感した時には防弾開発技術が立ち遅れていたため満足なものを大量生産できずに終戦を迎えた日本。
序盤、優位に戦争を進めていた日本を支えたゼロ戦は、良くも悪くも太平洋戦争の浮き沈みを象徴する存在だったのではないでしょうか。
【主な参考文献】
- 『零戦』堀越二郎、奥宮正武(朝日ソノラマ、1982年)
- 『面白いほどよくわかる太平洋戦争』太平洋戦争研究会(日本文芸社、2000年)
- 『教科書には載っていない太平洋戦争の謎』日本軍の謎検証委員会(彩図社、2015年)
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