赤ん坊の通過儀礼「七つ前は神の内」

その昔、乳幼児の死亡率はとても高いものでした。この世にやって来たばかりの新生児はふにゃふにゃと頼りなく、目を離せばあっという間に生まれる前の世界へ戻って行く存在でした。特に3日目までと7日目までが危ないとされます。

せっかく生まれてきた赤ん坊を何とかこの世に留めておきたい、周りの大人たちは赤ん坊に様々な儀式を授け、寿ぎの言葉を与え、「この子はこれほど大切に守られているのだ」と悪鬼・悪霊に見せつけてさらわれるのを防ぎます。

血の穢れをものともせず母子を守ってくれる産神

出産のときに産婦と新生児を守ってくれる神を「産神(うぶがみ)」と言います。

多量の出血を伴う出産が「けがれ」であるとみなされ、普通の神仏は産室には近づかないものでした。その中で産神だけは産室を訪れて守りますが、この神は姿かたちもはっきりせず、名のある神でもありませんでした。けがれに触れる神として低く扱われたようですが、自分のけがれもかまわずに心細い母子を守ってくれるありがたい神です。

胎児は胎盤を介して母親から酸素や栄養分を受け取ります。その胎児と胎盤をつないでいるのがヘソの緒です。このような仕組みがはっきりわかっていなかった昔でも、母親と赤ん坊をつないでいるこの器官は特別なものと考えられました。赤ん坊のヘソから枯れ落ちたヘソの緒は、小さな桐箱に入れられて大切に保管され、最後は自分の棺に入れて共に煙となります。命に係わる大病に罹った時、ヘソの緒を煎じた汁を飲むと1度は助かると言います。

このように大事なヘソの緒ですが、欧米ではあまり思い入れはないらしく、いつの間にか捨てられていたりするとか。

『産飯(うぶめし)』は赤ん坊が生まれてすぐに焚くご飯で、茶碗に山盛りに盛って、唯一寄り添ってくれた産神様に供えて無事の出産を感謝します。「一生食べ物に不自由しないように」と米一升を焚き、母親を始め産婆さんや手伝ってくれた女性たちに振る舞いました。

お七夜・名付け

昔は出産後、新生児がすぐに亡くなってしまうことも多々ありました。「お七夜」は、新生児が何とか無事に7日目を迎えられたことを祝うという、平安時代の頃よりある民俗行事です。一安心と言う事でここで名前を付けて披露し、人間の世界に迎え入れます。

昔は一生の間に何度も名前を変えたり、簡単な幼名を付けて一人前になってから大人としてのきちんとした名前を付けたりしました。しかし明治5年(1872)に戸籍制度が開始され、生まれたときに付けた名前が一生ついて回ることになり、最初の名付けが重要になります。

現在では名前は赤ん坊の両親が考えるのが普通で、祝いの席も双方の祖父母と両親を招きます。命名書を書き、一同に披露して床の間や神棚に飾ります。

命名書の正式な書き方は、奉書紙を2つ折りにしてから縦3等分に折り目を付け、真ん中の部分に赤ん坊の名前、その右横に父親の名前と続柄、左横に誕生の年月日を書きます。紙の左の部分に命名の日付と両親、あるいは名付け親の名前を書き、右の部分には命名と書き入れます。その後3つ折りにして上包みで包んで、上包みにも命名と書きます。

お宮参り

母親の体も回復して来た生後30日ぐらいに行なわれるのが「お宮参り」です。鎌倉時代にはじまり、室町時代には一般化され、現在のような御祈祷を受けるスタイルになったとか。

家の中で大切に育てていた赤ん坊を外の風に当て、氏神様に子供の誕生を報告し、赤ん坊を氏子として認めてもらい、無事な成長の加護を願います。昔は集落の一員としてのお披露目の場でもありました。以前は神主に8cm×6cmほどの杉の板に神社の名前と赤ん坊の名前・生年月日を書いた『氏子札』を貰いました。

宮参りでは赤ん坊の額に犬の字や、男児なら大、女児ならば小の字を書きます。これは本来は「アヤツコ」と呼ばれ、「綾ツ児」の意味です。もとは2本の線を交差させる ✕印を竈の墨や鍋墨で書きました。斜めに交差する線は魔除けの意味があるとされ、綾織物の表面に見える模様がそのように見えるので「綾ツ児」と呼ばれます。

現在では有名な神社に参る方も多いようですが、地域の氏神様に参るのが本来の姿です。

お食い初め

生後百日を「ももか」と言って、この前後に行うのがお食い初めです。一生食べ物に困らないようにとの願いを込めた行事で、平安時代の宮中行事『五十百日之祝儀(いかももかのしゅうぎ)』に由来するとされます。

実際は赤ん坊はまだお乳を飲むばかりですが、口元に料理を運んで食べさせる真似をします。

以前は嫁の生家が、子供のための家紋を入れた漆塗りの膳と箸や茶碗を整え、婚家へ贈りました。男の子用は全体が朱塗り、女の子用は外側が黒塗り・内側が朱塗りです。赤ん坊の家では飯を炊き、尾頭付きの魚や汁物・和え物を用意し、皺が出来るまでの長生きを祈って梅干しや縁起の良い勝ち栗も添えます。

もう一つ大事なのが「歯固めの石」で、一生自分の歯でものが食べられるように硬い石を赤ん坊の歯茎に当てます。この石は氏神様の境内や川原・海岸で拾いきれいに洗って使います。京都の山城地方では、赤・青・白の小さな丸石を川原から探して来て使いますが、この石は後々までも水瓶に沈めて保存しておき、子供がひきつけた時に舐めさせました。

また、京都では祝い膳に茹でた蛸の足を1本用意します。子供に持たせてやると美味しそうにチュウチュウ吸い付きますが、もちろんまだ噛み切れません。

赤ちゃんは結構忙しい

この他にも赤ん坊には1歳の誕生日「一誕生(ひとたいじょう)」を迎えるまでにいくつもの行事が用意されます。生後9日目の隣近所を昼食に招く髪洗い・丈夫に育つことを祈る拾い親・子共がこの世への土産に持って来たとして餅を配る子の土産・年が改まって子供の名前を披露する名びらき、これは結構盛大に行われ、嫁の里からは幟や産着・酒一升に米五升を持って祝いに訪れます。近所の者も5人6人と組んで反物一反を贈り、一同で盛大な酒宴を開きました。

おわりに

このように赤ん坊が生まれてからの1年は、祝い行事が目白押しです。なんとかこの小さな命が健やかに育ってほしい、昔の人の懸命な思いがわかりますね。


【主な参考文献】
  • 宮本常一『日本の人生行事』八坂書房/2016年
  • 八木透『日本の通過儀礼』思文閣出版/2001年

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  この記事を書いた人
ichicokyt さん
Webライターの端っこに連なる者です。最初に興味を持ったのは書く事で、その対象が歴史でした。自然現象や動植物にも心惹かれますが、何と言っても人間の営みが一番興味深く思われます。

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