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 2019/03/11

上杉謙信は女だった?女性説の根拠と真実に迫ります!

上杉謙信が実は女性だったイラスト

戦国最強の軍神・上杉謙信には、根強く女性説がささやかれていることをご存知でしょうか。実際に、謙信を扱った創作物語では、この説を採用して彼を女性として描写するものもあるほど、通説としての知名度があります。

戦国屈指の戦人である謙信が女性であるという仮説には、確かに興味深いものがあります。ただ、私は今まで女性説の存在こそ知っていましたが、その発祥や根拠について詳しく調べたことはありませんでした。

そこで、この記事では上杉謙信女性説の根拠を調べ、歴史学的観点からそれがどれほど信ぴょう性のあるものなのかを検証していきたいと思います。(文=とーじん)

謙信女性説の発祥と根拠

まず、女性説についてはあまり学術的な文献が見当たらなかったので、ネット上の情報から発祥と根拠を推測していきます。

女性説の発祥は、歴史小説家の八切止夫とされています。八切は、いくつかの根拠から女性説の仮説を立て、『読売新聞』の紙面上でこれを発表したとされています。この説は主に創作者を中心に一定の支持を集めたため、現在でも創作の中には彼の説に影響を受けた謙信像が反映されているものもあります。

八切の示した根拠はいくつかあるので、順に紹介していきます。

まず、スペイン内戦の際に使用されたトレドの修道院から15~16世紀の日本について記された文書が発見され、その文中に「上杉景勝の叔母」という言葉を見つけたと主張しています。そして、「叔母が開発した佐渡金山を所有していた」と書かれていたことから、叔母にあたる人物は上杉謙信であり、女性説を裏付けるとしています。

また、謙信の死因は「大虫」であるという主張もあります。八切は、この「大虫」という単語が月経の隠語であると解釈しました。彼のいうところでは、謙信は合戦の際に原因不明の腹痛に襲われることがあり、これも生理の一環だったと考えました。また、謙信は更年期障害からくる婦人病を患ったことが死因であり、これが女性特有の現象であることから導き出された結論だとしています。

さらに、民衆の間で謙信が女性であることを示唆した歌が流行していた、生涯不犯の誓いを立てていた、肖像や手紙に女性的な表現が数多くみられるなど、根拠の数はかなり多く示されていました。

また、男として語り継がれた理由についても、江戸時代には女性の大名が規則で禁じられたために、謙信の出自を隠す目的があったと主張しています。

上杉謙信女性説を否定できる根拠と反証

さて、ここまで上杉謙信女性説の根拠を整理してきました。しかし、現在の実証主義歴史学の手法に基づいてこれらを検証すると、残念ながらそのほとんどはあいまいな根拠であり、信ぴょう性に欠けると言わざるを得ません。それでは、論拠を順に検証していきましょう。

まず、スペインで発見されたという文書は、そもそも現在その実在すらも定かではなく、現物を確認することができない状態です。そのため、そもそも史料批判が不可能であり、論拠としては妄想の域を出ません。また、上杉が佐渡を所有するようになったのは謙信死亡後とされており、仮に文書が存在していたとしてもつじつまの合わない点があります。

また、「大虫」という単語についても、八切が論拠として引用した月経という解釈は存在しないとされています。近しいもので「おむし」という単語は月経の隠語にされたという事実がありますが、これは「蒸す」という単語を語源としたもので、「大虫」とは発祥が異なります。加えて、更年期障害の悪化が直接的な死因になることは現代医療ではないとされています。

さらに、謙信が女性であることを示唆した歌という点も史料的根拠がなく、女性的な表現も教養の一種として要求される一般的なものでした。

したがって、八切の示した根拠には史料的裏付けが乏しいと言わざるを得ず、一方で女性説を否定する根拠は史料的裏付けが万全であるという点から考えても、女性説は真実とはいえないという結論が得られます。

謙信の家督相続と生涯不犯の誓い

ここからは、女性説の論拠に挙げられていた「生涯不犯」の誓いについて考えていきます。ただし、あらかじめ断っておくと、女性説の論拠としては残念ながら不十分です。その理由は、そもそも「生涯不犯」という誓いは、女性との性交渉を拒むのではなく婚姻を拒むものだからです。結婚していない=女性というのは、あまりにも荒唐無稽な主張であるというのは説明するまでもないでしょう。

しかしながら、この「生涯不犯」という誓いがなぜ立てられたかという点は、研究者の間でも確実なところがよくわかっていません。そもそも、戦国の世において実子がいないというのは政治的に大きなリスクであり、謙信もそれを知らなかったとは考えにくいからです。そこで、彼がどうしてそうした誓いを立てたのか、有力な説を検証していきます。

まず、謙信が男色を好むあまり、女性との性接触を拒んだという同性愛者説です。一見すると妥当なようにも思われますが、当時の世相を考えれば個人の趣向で婚姻を拒むというのはよほどの男色愛者でなければ説明がつきません。しかし、それを裏付けるほどの史料的根拠はないので、当時としては難しい説明になってしまいます。

次に、性的不能説です。そもそも謙信が不能者であったという根拠は見つかっていませんが、可能性はゼロにはなりません。しかし、繰り返しにはなりますが当時の世相から子をなすことは極めて重要視されており、不能者にわざわざ家督を継がせることは考えにくいでしょう。

次に、謙信が深く信仰していたとされる仏教の教え「不邪淫」を守ったという宗教戒律説です。こちらは一応論拠があり、江戸時代の軍記物『越後軍記』によれば、色欲を軍神への帰依を理由に拒んだと記されています。ただし、あくまで『越後軍記』は後世の二次史料に過ぎず、加えて「不邪淫」以外の戒律はほとんど破っていることから、あくまで戒律は題目であったという見方もできます。

最後に、最も有力とされるのが名代家督説です。『上杉年譜』によれば、もともと謙信は正統な後継者ではなく、前当主晴景の嫡男が成長するまでの「中継ぎ」当主だったと紹介されています。謙信はその誓いを守るべく、妻帯して実子を産めば当主交代が難しくなると判断し、生涯不犯を実行したというものです。そして、この誓いを守るために仏教の教えをもちだして、自身の論理を正当化したと指摘されています。


【主な参考文献】
  • 乃至政彦『上杉謙信の夢と野望:幻の「室町幕府再興」計画の全貌』(洋泉社、2011年)
  • 福原圭一・前嶋敏編『上杉謙信』(高志書院、2017年)
  • 矢田俊文『上杉謙信』(ミネルヴァ書房、2007年)




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