風流って本来はどんな意味?ユネスコ無形文化遺産に登録「風流踊」

安土桃山時代の風流踊の様子が描かれた『花下遊楽図屏風』(出典:wikipedia)
安土桃山時代の風流踊の様子が描かれた『花下遊楽図屏風』(出典:wikipedia)
 昨年11月、ユネスコ無形文化遺産に日本の「風流踊」が登録されました。24都府県の41件です。私たち日本人の原風景と切り離せない故郷の踊りが選ばれたことに感動しました。それぞれに意味が深い民俗芸能なのだと思います。

 ところで、風流踊の「風流」って実はどういう意味なのでしょうか?

風流踊の「風流」とは?

 風流踊は「ふりゅうおどり」と読みます(「ふうりゅうおどり」と読む場合もあり)。

 では、ここで言う「風流」とは一体どういう意味でしょうか。私たちがよく使う「これは風流な言葉ですね」とか「風流なお庭ですね」というのは、控えめな中に美しさがある静かなイメージではないでしょうか。私は俳句を長年勉強中ですが、慎ましさを感じる俳句が風流と教えられることが多かったです。つまりは詫び寂びの世界観ですね。

 しかし、元々の風流の意味は違いました。実は派手・華美なことを表す言葉だったようです。つまり、「風流踊」とは、華やかな衣装を身につけたり仮装したりして、とにかく目立つ格好をする芸能のことなんです。

 周りの人がびっくりするような姿に変身していたのでしょうね。私のイメージの風流とは違いましたが、このユニークさに趣きがあります。

秀吉七回忌の風流踊

 「風流踊」の始まりとされているのは中世で、室町時代に流行しました。基本的には今と同様、鉦や、太鼓、笛などで音頭を取り、小歌に合わせて踊る催しものでした。

 実際に風流踊の様子がよくわかる絵が京都の豊国神社宝物館にあります。重要文化財の『豊国祭礼図屏風』に描かれています(同名の作品が愛知県の徳川美術館にもあります)。

 豊臣秀吉の七回忌(1604年8月)のときに、豊国神社で行われた風流踊は、かなり盛り上がったようですね。町衆たちが花笠を被りお揃いの衣装も華やかです。桟敷席では北政所が見ているようです。超派手好きだった秀吉ですから、天国で一緒になって乱舞して喜んでいたことでしょう。

 しかし、江戸時代からはだんだん武士の精神が濃くなり、目立つという風流の魂は失われていきました。それでも日本中の農村で踊りは続けられました。風流踊がだんだん慰霊や先祖供養、安寧への願いへ結びついていったのです。そして今回ユネスコ文化遺産に登録された民俗芸能、民俗行事の定着した形へとなったのでしょう。

 つまりは現在の風流踊は、内面には供養や祈願を大切にするという慎ましい心を持ち、外側は派手な衣装や道具や動きであるということなのだと思います。やはり選ばれた踊りはどれも斬新さがあり、心惹かれます。

 今回ユネスコ無形文化遺産に登録された41件の「風流踊」の中から、秋田県の西馬音内盆踊りと島根県の津和野弥栄神社鷺舞(さぎまい)を探ってみます。

秋田県の西馬音内(にしもない)盆踊り

 西馬音内盆踊りは、浴衣姿のとても優美な舞いです。秋田県南の羽後町で8月16日から三日間行われます。700年の歴史があるそうです。

 何より特徴的なのは、顏を隠すということです。二種類あります。

西馬音内の盆踊り(出典:wikipedia)
西馬音内の盆踊り(出典:wikipedia)

1、目深に被った編笠
 横から見ると140度くらいの扇形。着物はわりと派手。(上記写真の左の踊り手の方)

2、彦三頭巾(ひこさずきん)
 頭から首まで隠した黒い頭巾。細長い筒状で目の所だけ穴が開いてます。(上記写真の右の踊り手の方)

 どちらも顏がわかりません。ちゃんと見えているのか心配になりますが、地元の方は慣れていらっしゃるのでしょう。でもやはり不思議です。上記2の黒い頭巾の彦三頭巾は、先祖の霊と一緒に踊るという意味の「亡者踊り」です。まさに真の盆供養ですね。暗闇で会ったらかなり怖い気もしますが。

 秋田美人の多い米どころ羽後町の穏やかな田園風景とは真逆の非日常的なイメージを感じます。そのギャップこそ独特の風流なのかもしれません。

島根県津和野弥栄神社の鷺舞(さぎまい)

 これは風流そのものです。ザ・風流と言えるでしょう。毎年7月に行われます。衣装は全身で鷺になってます。鷺の首から上をそのまま頭につけています。鷺のひょうひょうとした愛らしい表情に癒されます。

島根県津和野の鷺舞神事
島根県津和野の鷺舞神事

 手にはもちろん羽根をたくさんつけますが、なんと羽根だけで15kgもあるそうです。手を広げ踊る姿は鷺そのものです。ただ、踊り手の方はずっと鷺の状態でいるのは、かなりハードなお役かもしれません。いや、きっとご加護があるはずです。

 400年続くこの舞ですが、鷺の造形を作り上げるには、かなりの技術と時間が必要だろうと思いました。大きな鷺がこの津和野に降臨して、民衆と白鷺の交わりの場である里の美しさを誇っているようです。もちろん踊り手だけではなく、祭りそのものを作りあげるのは地元の力であると、改めて思います。

おわりに

 風流(ふりゅう)の元来の意味が華美で目立ちたがり屋とすると、現代のコスプレしたくなる気持ちもまた風流と言えるのかもしれません。ふと思い返すと、私の育った秋田県八郎潟町「一日市(ひといち)盆踊り」も自由奔放な仮装だらけの祭りです。 …ということは風流と言えそうです。

 気付かないうちに私たちの体に沁み込んでいる故郷のリズムや音があり、それこそが先祖からの形の無い伝承なのだと思います。産土の民俗芸能を守っている方々に感謝です。

「盆の月指先白き母踊る」(さとうえいこ 句)


【主な参考文献】
  • 小坂太郎著『西馬音内盆踊 わがこころの原風景』影書房、2002年
  • 折口信夫著 折口博士記念会編『日本芸能史ノート』中央公論社 1957年
  • 京都市(豊国神社宝物館)公式HP
  • 島根県津和野町HP

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  この記事を書いた人
さとうえいこ さん
○北条政子に憧れて大学は史学科に進学。 ○俳句歴は20年以上。和の心を感じる瞬間が好き。 ○人と人とのコミュニティや文化の歴史を深堀りしたい。 ○伊達政宗のお膝元、宮城県に在住。

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