最上大業物「関の孫六」!武将たちにも愛された名刀

 日本の刃物が世界的な評価を受けて、海外からの旅行客の中には特に和包丁を目当てにやってくる熱心なファンが増えているといいます。言わずと知れた、日本刀製作の技をベースとした匠の仕事であり、長く使えて非常によく切れ、しかも美しいという三拍子そろった包丁として世界を魅了しています。

 日本の包丁ブランドのうち、「関孫六」や「関の孫六」などと刻まれたものを目にしたことはないでしょうか。「和包丁の代名詞」のひとつとして有名な銘ですが、これも刀工の系譜に連なるものであり、しかも刀剣生産のメッカである「関」の名工として、「最上大業物(さいじょうおおわざもの)」に列せられた匠の名に因んだものです。

 そんな関の孫六、刀工銘「兼元(かねもと)」についてご紹介していきましょう。

孫六兼元とは

 「兼元」とは、古刀五箇伝のうち美濃(現在の岐阜県あたり)を拠点とした「美濃伝」を代表する刀工集団のひとつです。

日本刀作りの伝法「五箇伝」。5つの地域に伝わる。
日本刀作りの伝法「五箇伝」。5つの地域に伝わる。

 現在では「関」が刀剣や刃物の産地として有名ですが、美濃にはいくつかの刀工拠点があり、兼元は元来「赤坂」という土地で作刀を行っていました。やがて関へと移り、以降はそこを拠点としたことから「関」と冠されるようになりました。

 「兼元」の銘は代々の刀工が踏襲したものですが、最も著名な刀工は室町時代後期に活動した二代兼元で、彼を特に「孫六兼元」と通称しています。

 初代は「清関兼元(せいかんかねもと)」と呼ばれ区別されていますが、この「清関」と「孫六」の二代にわたる兼元が「最上大業物」とされているのです。

 この最上大業物という区分は、幕府御用で有名な「山田浅右衛門」家によるランキングで、五代・吉睦の手で寛政9年(1797)に刊行された『懐宝剣尺(かいほうけんじゃく)』という本に記載されたものです。

 これは刀工ごとに切れ味を中心に評価したもので、「業物(わざもの)」「良業物(りょうわざもの)」「大業物(おおわざもの)」などのカテゴリーで合計229工を紹介しています。

 最上大業物はその頂点に位置するランクであり、14工のみが列せられています。初代・二代の兼元はそこにランクインしており、「切断力」という刀剣に本来求められる性能について高い評価を受けたものといえるでしょう。

兼元の特徴

 兼元の刀は、「最上」と評されるほどの切れ味が身上ですが、どういったことに由来しているのでしょうか。

 初代から三代目くらいまでの兼元では、棟部分の重ねが薄く、刀身の厚みである「平肉」がつかず、それでいて鎬筋が高い、つまり断面を見たとすると鎬の最大幅が厚めになっているという特徴があります。これはつまり、全体として「薄刃」の風情をもった刀であると言い換えられるかもしれません。

 刀の切断能力に対しては大きく分けて二通りの考え方があり、一つは鎧などを着込んだ防御の固い敵を相手にした場合、もうひとつは軽装あるいは平服での戦闘を想定した場合です。

 戦場などで鎧武者と斬り結ぶためには、当然ながら刀本体の耐久性も問題になるため、自然と刃の重ねも厚くなる傾向があります。一方で、平服で斬りあうような場合には刃の鋭さが切れ味と直結する面があり、兼元の刀はこちらのスタンスにかなうものといえるでしょう。

 最上という評価が18世紀末のことであり、しかも幕府御用の首切りや刀剣鑑定を専門としていた山田浅右衛門家によるランキングということも、そのことを証明しているかのようです。また、兼元は特に刃文が独特であることも知られています。

 規則的に波打つような波紋を「互の目(ぐのめ)」といい、兼元では互の目の頭が尖り刃となって連続するため、これを「三本杉」と呼んで特徴づけています。

 一般に「関の孫六三本杉」と呼びならわされていますが、二代・孫六兼元の銘には「赤坂住」と切られたものしか確認されておらず、「関住」とはなっていないことが注意点です。

兼元の代表作3振り

 以下に兼元のなかでも有名なものを3振り、ご紹介したいと思います。

真柄切(まがらぎり)

 朝倉家の武将で、大太刀遣いの豪傑として名高い「真柄直隆」らを討ち取ったことで有名な、孫六兼元の刀。徳川方の「青木一重」の愛刀であることから「青木兼元」とも呼ばれる。

大太刀を持つ真柄直隆のイラスト
大太刀を持つ真柄直隆のイラスト

二念仏兼元(にねんぶつかねもと)

 前田利家の次男である「前田利政」が、家臣に命じて無礼打ちさせた時に使用された孫六兼元の刀。斬られた者が絶命するまでに、「南無阿弥陀仏」と二回唱えたという逸話による号。

前田利政の肖像(長齢寺所蔵、出典:wikipedia)
前田利政の肖像(長齢寺所蔵、出典:wikipedia)

僧正孫六(そうじょうまごろく)

 長篠合戦の折りに命がけで家康への援軍要請を行い、磔刑になりながらも増援がくることを味方に伝えたことで名を残す「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」が、羽黒山の僧正より授けられたという伝説の刀。

 史実としては不明な点も多いものの、孫六三本杉であり主家の奥平氏に伝わった。

鳥居強右衛門が味方に援軍が来ることを伝える場面の錦絵(楊洲周延 作、出典:wikipedia)
鳥居強右衛門が味方に援軍が来ることを伝える場面の錦絵(楊洲周延 作、出典:wikipedia)

おわりに

 孫六兼元はその「孫が六」という字面から縁起のよさを連想させ、多くの商標でこれにあやかったネーミングが使われています。

 現在では包丁の一大ブランドというイメージも定着していますが、もしかすると普段使っているものにも「関孫六」の銘がきってあるかもしれませんね。そんなとき、「最上大業物」の名工の魂が脈々と受け継がれていることに、ぜひ思いを馳せてみてください。


【主な参考文献】
  • 『別冊歴史読本 歴史図鑑シリーズ 日本名刀大図鑑』本間 順治監修・佐藤 寒山編著・加島 進協力 1996 新人物往来社

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  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術についての考察記事を中心に執筆。 全国の史跡を訪ねることも多いため、歴史を題材にした旅行記事も書く。 「帯刀古禄」名義で歴史小説、「三條すずしろ」名義でWEB小説をそれぞれ執筆。 活動記録や記事を公開した「すずしろブログ」を ...

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