最上大業物「長曽祢虎徹」! 50代からの転職で名刀工に!?

 歴史上、数多くの名刀が匠の手によって生み出されてきましたが、その格付けともいえる分類がいくつか存在しています。なかでも有名なもののひとつとして、「最上大業物(さいじょうおおわざもの)」というランクを耳にしたことがないでしょうか?

 文字通り、最上クラスの名工を表したもので、幕府からの任務として試し切りを行う「御様御用(おためしごよう)」を生業とした「山田浅右衛門家」の五代目、「吉睦」によるものです。吉睦の著書は数度の改訂を経ていますが、天保元年(1830)の『古今鍛冶備考』を最終の版として、最上大業物は14工が指定されています。

 何をもって「名刀」とするかはさまざまな基準や考え方がありますが、吉睦の最上大業物では試し切りの専門家らしく、「切れ味」を第一義としているものと考えられます。

 そんな最上大業物のなかから、今回は「長曽祢虎徹」をピックアップします。「今宵の虎徹は……」という、創作での台詞も有名な名刀・虎徹。この刀を打ったのは、いったいどのような刀工だったのかを見てみましょう!

長曽祢虎徹とは

 最上大業物14工に列せられた長曽祢虎徹は、初代「興里(おきさと)」と二代「興正(おきまさ)」の二名。ここでは、初代・興里について取り上げましょう。

 17世紀初めごろに生まれたと考えられている長曽祢興里は、元々越前福井で活動していた「甲冑師」でした。現在も興里作の兜や鍔などが残り、甲冑師としても名工として知られていたといいます。

 ところが、戦乱の世が終わりを迎えた江戸期においては鎧兜の製作は振るわず、やがて興里は江戸へ出て途切れることのない需要があった刀剣の製作へと踏み出します。ときに興里、50歳でのことだったといわれています。以降、興里は200振りを超える刀を打ったとされ、「名工」として知られるようになったのですから、後世から見ると実に歴史的な「転職」だったといえるでしょう。

虎徹の特徴

 「虎徹」という印象的な銘は実は興里の法名で、それ故に「虎徹入道」と銘を切ることもありました。虎徹は当初「古鉄」と表記し、日本刀原料として古い鉄を巧みに扱ったことに由来する銘ともいわれています。

 「虎徹を見たら偽物と思え」というのは有名な警句ですが、これは虎徹の人気ぶりから贋作が非常に多いことの表れでもあります。

 また、虎徹は銘の表記が、いくつかに変わっていることでもよく知られています。

 先述の通り「古鉄」を「虎徹」とした当初は、虎の字の最後の画であるハネを長く波打たせることから「ハネトラ」、次に虎の略体字である「乕」を用いた「乕徹(こてつ)」は「ハコトラ」と、それぞれ通称されています。

 晩年には「虎入道」と銘を切ることもあり、これらの頻繁な銘変更は贋作の横行を防止する目的もあったのではと考えられています。

長曽祢虎徹の代表作3振り

 以下に長曽祢虎徹のなかでも有名なものを3振り、ご紹介したいと思います。

灯籠切虎徹(とうろうぎりこてつ)

 ある旗本が虎徹に注文した刀の代金を、値切ろうとしました。虎徹はそれに激怒し、「いくら金を積まれても打たない時は打たない。ただし切れ味はご覧通りだ」と言って、手近な松の枝を切断したところ、その勢いのまま下にあった石灯籠まで切ってしまったという故事を持つ刀。

 反省したその旗本は、請求金額に上乗せした代金を払おうとしましたが、とうとう虎徹の刀を売ってもらうことはできなかったといいます。

 灯籠切虎徹は、戦前まで細川子爵家が所持していたといいますが、現在では行方不明となっているようです。

風雷神虎徹

 その名の通り、鎺元の樋の中に風神・雷神の彫り物がある脇差です。差表に風神、差裏に雷神があしらわれ、これらの彫金も自身で行ったことを示す銘が切られています。

 刀自体の切れ味もさることながら、虎徹は刀身彫刻の見事さでも高く評価されています。元来が甲冑師であり、総合的な金属加工技術を高水準で保持していたことを十分にうかがわせます。

 一時、犬養毅が所持していたことでも知られています。

蜂須賀虎徹(はちすかこてつ)

 「乕」の字を用いた、いわゆる「ハコトラ銘」の刀。阿波徳島藩主の蜂須賀家に伝わり、「弐ツ胴裁断」裁断銘も切られています。

 初代・蜂須賀小六ではなく、三代目あるいは四代目の時代に購入されたものと考えられており、昭和の初めごろまでは蜂須賀侯爵家に伝来していたことが確認されています.

おわりに

 あまりにも有名な虎徹ですが、知名度と評価に比例して大変な高額であったことも有名です。

 幕末京都の治安維持部隊であった新撰組の局長・近藤勇が、愛刀として虎徹を使用していたという伝承がよく知られていますが、贋作が多いことと上記の理由から、近藤の虎徹は真作とは考えにくいというのが定説です。しかし、故郷への手紙では自身の佩刀が虎徹であることを誇らしげに書いた一説があり、近藤はなかば真作だと信じていたのかもしれません。

 ともあれ、明日をも知れぬ幕末の京で、自身の命を預けるに足る刀は、きっと近藤に大きな勇気を与えてくれるものだったのでしょう。多方面からの伝説を生み出した、名刀・虎徹に関するお話でした。


【主な参考文献】
  • 『別冊歴史読本 歴史図鑑シリーズ 日本名刀大図鑑』本間 順治監修・佐藤 寒山編著・加島 進協力 1996 新人物往来社
  • 『歴史群像シリーズ【決定版】図説 日本刀大全Ⅱ 名刀・拵・刀装具総覧』歴史群像編集部編 2007 学習研究社

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  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術についての考察記事を中心に執筆。 全国の史跡を訪ねることも多いため、歴史を題材にした旅行記事も書く。 「帯刀古禄」名義で歴史小説、「三條すずしろ」名義でWEB小説をそれぞれ執筆。 活動記録や記事を公開した「すずしろブログ」を ...

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